第二章 今度こそ
1、
「……リア」
声が聞こえる。誰かの声が。けれど私の目は開かず、体は動かない。
「……ア。リリア!」
「え、あ……はい!?」
今度はハッキリと呼ばれ、途端に体が動いた。体を跳ねさせ私は飛び起きた。
「……ここは……?」
「なにを寝ぼけておるのだ、リリアよ」
目を開けて最初に飛び込んで来たのは、祖父の顔。
「お祖父様……」
「私が話してるというのに、寝ていたのか?」
そう言って、不機嫌に眉をひそめてムスッとした顔をする。ああ、確かにお祖父様だ。生前の、まだお元気なころの。
そして気付く、今いる場所を。見覚えのあるそれは、祖父の部屋だった。
戻ったんだ。
無事にループしたこと、生きてることに安堵してそっと息を吐いた。
だが気を抜いてる場合ではない。私は状況を見極めるべく、祖父の話に耳を傾けた。
なぜだか今回のループは、いつもの箱の中ではない。10歳の仕置き最中である、あの箱の中では無いのだ。そして私は祖父と普通に会話している。それはつまり、これまでのループと違う時間に戻ったということだ。
今私は何歳? 一体何をしてる状況?
ゴクリと喉を上下させると、祖父がまた口を開いた。
「それで? ミリスが自分の服をボロボロにしたという証拠は?」
言われたことに一瞬キョトンとして……そして息を呑んだ。
ミリスが私の服をズタボロにした、それは確か13歳のとき。祖父と街に出かけてる時の話だ。
確かにそのことを私は祖父に話した。
だが祖父は
「だんまりか。証拠はないんだな? 証拠もないのに決めつけるな」
そう。確かに記憶のままの言葉を耳にして、私は自分の置かれた状況を理解する。
前回の生では結局失敗した。何も変えられなかったと悔しく思った。
だが今回、初めて13歳に戻った。この変化は大きい。これまで戻っていた10歳の箱の中、あれは魔力を認識する大きなポイントだったのだ。では今回は? この時点に戻ったということは、おそらく大きな意味があるはず。
そっと手を見れば、10歳より成長した、13歳の手が見え、ギュッと握りしめた。
間違えるな、選択を。今話すべきは、ミリスの所業などではない。あんなもの、どうでもいい。
「何をしておるのだ。……もういい、これで話が終わりなら部屋に戻って──」
「お祖父様」
言葉を遮るように私は祖父に声をかける。一瞬目を細めた祖父は、けれど私の真っ直ぐな視線に何かを感じたようで、小言は出なかった。
「なんだ」
「今日街でお会いしたかたに、もう一度じっくりお話を聞きたいです」
「……なんだと?」
ミリスが私の服をズタボロにしたあの日、私は祖父と共に街に出かけていた。
祖父の知り合いで、祖父と同じく魔力に興味があり、色々独学で研究をされてるかただ。私は同行したが、ほとんど祖父とその知り合いで話していて、私はただ聞いてるだけでよく理解できなかった。
この時点に戻ったことに意味があるとしたら、そのことだとしか考えられない。……間違っても、ミリスの件をどうこうではないだろう。
考えるな、もう間違えたくない。死にたくない。
「会ってどうする? 聞きたいことは今日、ワシが全て聞いたぞ」
「お願いします。今日は突然で、私は聞きたいことすらわかりませんでした。ですがまたお会いできるのなら、今度は聞きたいことを明確にし、じっくりお話ししたいのです。だからどうか……」
お願いします。
懇願を繰り返す。横たわる沈黙。祖父は私をジッと見つめ、私もけしてそらすことなく見つめ返した。
ややあって、祖父の小さな溜め息が響いた。
「……ふん、まあいいだろう。手配してやる」
「! ありがとうございます!」
やった! これで前回とはまた違う展開になるはず。
変えてみせる、今度こそ変えてみせる。
変えられない未来はなにかを理解した。祖父がもうすぐ吐血し、一年後に亡くなる未来は変えられない。
では変えられる未来を導き出し、正解を見つけるまで。
運命が私で遊びたいというなら遊べばいい。私は負けない。
何度でも、何度繰り返しても、私は負けるつもりはない。生きるために、私は運命に抗ってみせよう。
「ベントスに連絡しておいてやるから、今日のところは部屋に戻れ」
「ベントス?」
「今日会った知り合いの名前だ」
「そ、そうでしたわね」
前回のループでは一度会ったきりだった。祖父に紹介されたかの記憶も曖昧で、すっかり名前を忘れていた。
とにかく用件は済んだ。私は祖父に頭を下げて退室し、自分の部屋へと戻る。戻って、自室の惨状を思い出した。
「ああそうか。ミリスが服を全滅させたんだっけ……」
床に散らばる服の残骸。もはや着ることかなわぬ、ボロとなったそれ。それを何の感慨もなく見つめた。
メイドから、ミリスが部屋から出てきたのを見たと聞いて、その足で祖父に話しに行ったのだったな。けれど祖父は相変わらず家族の件に関してはノータッチ、塩対応で、結局数日同じ服で過ごす羽目になった……のが、前ループでのこと。
今回は祖父との会話の内容が変わったが、それ以外の行動は同じはず。たしか自室に戻ったところで……
「あらまあ、ひどいことになってますわね、お姉様」
とぼけた声が耳を汚したのだ。
「ミリス」
振り向けば、ニヤニヤした顔で扉付近に立つ義妹。口元を手で押さえてるが、そのニヤケ顔は隠せない。
「あなたがしたんでしょ?」
これは前回と同じ質問。それに対するミリスの返答はよく覚えている。
「あらご存知でした? ふふ、お姉様に似合うように、お直ししてさしあげただけですわ」
一言一句、前と同じことをミリスは言う。前回は、ここで私は彼女を睨みつけ、ふざけるなと怒鳴ったのだ。それでミリスは涙を浮かべて兄の元へ──
いや、そんなこと思い出す必要はない。そんな無意味なことは時間の無駄だから。今私がやるべきは、ミリスの相手なんぞではない。こんな女、どうでもいいのだ。
だから私は「そう」とだけ言って、服の残骸を拾い始めた。メイドに頼んでもいいのだけれど、とりあえずミリスが去るまでは自分でやろう。
「そう、ですって? それだけですか?」
さっさと立ち去るのかと思いきや、意外にもミリスは声をかけてきた。まるで不満で仕方ないというその物言いに、おやと思って顔を上げる。そこには悔しそうに私を睨むミリス。
なるほど、私が怒って、何かしらのアクションを起こすことを期待してたというわけね。それでまた家族の同情を買う作戦だったのに、思うようにいかなくて苛立ってるというとこか。
ほんと、幼稚ね。思わずクスリと笑えば、「なにがおかしいのよ」と言葉遣いをガラッと変えたミリスがまた睨む。
「別に」
会話は簡潔に。あれこれ言っても、この義妹に話が通じないのは、とうに理解している。揚げ足取りが趣味の義妹は、私が何を言っても悪くとらえて家族に言うのだ。涙ながらに。ならば会話は不要。簡潔が一番。
再び視線を床に落として服を拾う。その陰から見つかった物を、無言で拾い上げた。
「ちょっと待ちなさいよ、無視するなんていい──」
度胸。
ミリスの言葉と、私の動きが交差する。
私の腕を掴もうと伸ばしてきたそれを遮るかのように、私は拾った物を彼女に突きつけた。
「ひ!?」
「あら危ない、いきなり私の背後に立たないでちょうだいよ、ミリス。刺してしまうところだったわ」
「な、なにを……」
「どうしてこんなところにハサミが落ちてるのかしらね。ああそうか、ミリス、やった行為はどうでもいいけど、ハサミの後片付けくらいはちゃんとしてよ」
そう言う私の手には、ボロと共に床に落ちていたハサミ。その刃先がミリスの顔面スレスレで止まる。
青ざめるミリスからスッと離して、静かにそれをテーブルに置いた。
コトンと音が響いても、ミリスは動かない。だから私はもう一度ハサミを手に取る。
「なにをしているの? 早く自室へ戻れば?」
柄に指を入れ、クルンと回して刃先をミリスに向ける。所作は淡々と、無表情に。それだけで十分だった。ミリスは真っ青になりながら、無言で出て行った。
「ばっかみたい」
たったこれだけのこと。こんな簡単な抵抗で、脅しで、義妹をああも簡単に撃退できるとは。
我ながら情けない話だ。
何度もループして、精神だけは大人になり、ようやくここに来てうまく対処できつつあるようだ。
そのことを実感して、微笑む。実に楽しい気分で、また服を拾い始めるのだった。
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