5、

 

 時は流れて私は13歳になった。


 私は祖父の庇護のもと、平穏な日々を送っていた。と言いたいところだが、少し違う。

 確かに家族から肉体的に虐げられることはなくなった。だが精神的なものは止まらなかったのだ。予想通りに。

 家族と顔を合わせれば嫌味のオンパレード。


 両親は私を見ると舌打ちし、声をかけることもない。存在の無視だ。


「お前のような醜い女が、魔力をうまく使いこなせるわけないだろう?」


 14歳の兄は、そう言って失笑する。

 容姿と魔力に何の関係があるのかと言い返せば睨まれた。それは妹に向ける目ではない。


「リリアはお姉様じゃないでしょ? 僕の姉はミリス姉様だけだ」


 成長し11歳になった弟は、生意気にそう言って私を呼び捨てにする。


「早く魔法を使いこなせるようになればいいですわねえ。そしたらどこか貰い手が現れるかもしれませんよ?」


 そう言うのはミリスだ。成長と共に美しさに磨きがかかるミリス。家族の愛情を一身に受けて育った彼女は、とても美しい。──容姿だけは。

 彼女はまだ12歳だというのに、縁談話でもちきりらしい。


 美しいミリスは、誰からも愛される。誰もが彼女を愛する。

 だが、誰あろう彼女こそが最も醜く陰湿な心を持っていることを、誰も知らない。私だけが知っている。


 ある日、祖父に命じられて魔力を高める特訓をしていた。10歳の時に魔力が発動してから三年、ようやく自分の中の魔力を感じるようになった。それほどに、魔力を扱うのは難しいのだ。だからこそ、祖父は焦がれてやまない。


 魔力を高める集中力を鍛えるため、庭で瞑想していたら、突然雨が降った。いや違う、私の頭上にだけ、水が降って来たのだ。

 驚いて目を開けば、「あらごめんあそばせ。汚いゴミが落ちてると思ったので、バケツの水で流そうと思ったんですの」と言って、ニッコリ美しい笑みを浮かべるミリスが目の前に居た。彼女の手には、どこから持って来たのか、メイドが使用する掃除用のバケツが。

 ポタポタとバケツから残りの水が滴り落ちる。

 ポタポタと私の前髪から臭い水が滴り落ちる。


「うふふ、醜いお姉様には汚い水がお似合いですわね」


 そう言って、バケツを放り投げてミリスは去って行った。慌ててメイドにお願いして入浴して身を清めたが、しばらく臭いはとれなかった。


 また別の日には、クローゼットの中の服が全てズタズタにされていた。

 祖父と共に、祖父の知り合いである魔力に関して詳しい人に話を聞きに、街に出て一日家を空けた時のことだ。

 誰か部屋を出入りしたかとメイドに聞けば、ミリス様が出て行かれるのを見ましたという証言を得た。どうせとぼけるだろうと思いつつミリスを問いただせば、「お姉様に似合うようにお直ししてさしあげただけですわ」と、否定することなく言われた。いけしゃあしゃあと……!


 けれどそれ以上の被害はない。ぶたれることがないだけで……肉体的な暴力がないだけで、これほどに平穏に思えるとは。このまま、平穏に18歳を迎えることができれば良いのだけれど。

 

 だが時は残酷なもの。私は17歳から10歳に戻れても、それ以前には戻れない。

 そして祖父の病は、私が10歳以前から少しずつ進行していた。時が戻った時点で、祖父は既に病魔に蝕まれていたのだ。予防対策はなんら意味がなかったのだ。

 それが分かるのは、13歳の時を過ごしてる今。祖父の吐血を目の当たりにした、まさに今である。


「お祖父様!?」


 魔力の勉強の成果を見せろと言われたある日、お祖父様の部屋に行くと既に祖父は自身が吐いた血の上に倒れていた。

 慌てて医者を呼ぶが、手の施しようがないと言われる。薬で症状を緩和するくらいしかないと。

 ショックのあまり、医者の声がどこか遠くから聞こえるようだ。


 そんな私の耳に、追い打ちをかける声が聞こえる。

 眠る祖父を前に、ニヤニヤ笑う父の声が。


「ふんっざまあみろ。これで俺の時代がやってくる。公爵家はもうすぐ俺のものだ……!」


 実の父を心配するでもなく。

 既に己の私利私欲のことしか考えない父の発言。


 また、繰り返されるの……?


 血の気が引くのを感じた。

 

 結局、祖父は一年後に亡くなった。私はまた、私は14歳。これまでと全く同じ。


「また駄目だった……」


 今回はうまくいくと思ったのに。これまでと全く違うと思ったのに。

 祖父の病はどうにもならず、祖父の庇護はなくなってしまった。父が爵位を継いで、ついに公爵となったのだ。


 いっそ、家を出ようか。そう考えるも、思い切れない。知識はあれど14の身で何ができると言うのか。ようやく一人で生きていけそうな年齢になる頃には私は処刑される。


 ギュッと握った手からは魔力を感じる。だが私は結局、今の今まで魔法を発動させることはできなかった。

 魔力は確かに感じるのだ。自分の中にあると理解できる。

 たくさん歌った。箱を破壊した時の歌を何十回、何百回と。それこそ喉が枯れるほどに。けれど一度としてあの光は現れず、魔法は発動しなかった。


「どうして……」


 私の問いに答える者はいない。


 祖父の葬儀を終え、自室で呆然と手を見つめていたら、バンッと扉が激しく開かれた。


「おいリリア、出ろ!」

「え。お兄様?」


 兄のアルサンが入って来たのだ。その背後には父とミリス。


「ど、どうしたのですか?」

「お前は今日から納屋で生活だ」

「え!?」


 驚く私の腕を、父が強く引いた。


「痛いです、お父様!」

「うるさい黙れ! 魔力を使いこなすことも出来ない落ちこぼれが! 俺が当主となった以上、お前のような醜く役立たずな娘を養う義理はない! 追い出さないだけマシと思え!」


 必死の抵抗むなしく、私は庭の隅に建つ納屋へと押し込まれた。


「出してください、お父様!」

「うるさい! 鍵は外側からかけ、窓はけして開かないよう固定されている。格子もある。許可なくここから出るなよ!?」

「そんな……」


 監禁。その言葉こそが相応しい状況。

 納屋の中には最低限の物しかない。汚い寝台と、薄汚れた服が数着。

 ランプすら無い。


「出してくださいお父様! ここから出して!」

「出たければ魔法を発動させればいい。お前には魔力があるのだろう? 父上は教育が甘かったのだ、これくらい厳しくすればお前も死に物狂いになるだろう。これはお前のためなんだよ、リリア」


 私のため? そんなこと、欠片も考えてないくせに!


「頑張ってくださいね~、お姉様♪」


 励ましてるとは到底思えない嫌味な笑みを浮かべ、ミリスが手を振る。それを最後に扉は閉ざされ、無慈悲な音を立てて鍵がかけられた。


 目の前が真っ暗になるような感覚。そしてそれは直ぐに現実となる。あっという間に夜となったのだ。


 真っ暗な納屋の中で、ビクともしない扉を叩き続け、動かぬ窓をガタガタと震わせて。窓を割ったところでその先にはめられた格子が行く手を阻むと理解したところで、私は床に座り込んだ。途端に埃が舞う。窓も開けれず、空気の悪い中で顔をしかめる。


「まるで、箱のようね……」


 かつて祖父に閉じ込められていた箱。

 そうだ、この状況はあの時によく似ているではないか。

 では、もしかして……


「~♪」


 小声で歌を口ずさむ。あの時のように。

 けれど変化は訪れない。納屋の中は相変わらず真っ暗だ。


「~♪」


 また歌う。何度も、何度も。声が枯れても。

 何も起きない。歌うのをやめれば静寂が広がるだけ。窓の向こうに見える公爵家。その温かな光がなんと遠いことか。


 それから数日が過ぎた。

 誰も来ない。忘れられてるのか、わざと放置されてるのか。

 食料が運ばれることもなければ、水もない。


 もう、歌うこともできない。


 ズルリと床に崩れ落ちる。嫌な臭いが部屋に充満する。


 失敗した。

 また失敗した。

 今度こそうまくいくと思ったのに、まさかこんな終わりになるなんて。しかも今度は14歳という早さでの終わりときてる。


 はたして次はあるのだろうか。ちゃんと戻れるだろうか。

 もし戻ったとして。戻れたとして。


 次は、何をすればいいの──?


 これ以上、何をすれば。どんな変化があれば。

 私は未来を生きられるのだろうか。


 絶望を胸に、私は目を閉じた。

 慣れ親しんだ死の気配を感じながら、私は目を閉じる。

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