第30話(2章2) ツィヴィーロ①

―ツィヴィーロ視点―


教護院の朝は早い、

当直から帰ってきた一人が寮にベルを鳴らすと起床の時間だ。

ご存じのように区に1000人ほどいる教護院職員は、定められた寮に住む。寮は5階建ての建物が3棟、コの字型に並び、中央には門扉がある造りだ。

それぞれの建物は10室あり、4人部屋が27室、共用部分が2室、地下室が3室ある。

全員が寮から作業場へ行くわけではないが、ベルが鳴り朝5時に起きて朝食を済ませたら洗面所へ行き歯を磨き、身だしなみを整え、それぞれの赴任地や外部施設へ向かう。

エルフの女性は生まれてから12年、教護院で他の児童と育った後、中等科で3年学んだら全国いずれかの教護院で職員として20~25年働きながら研究や学業等を行います。

なぜこうした制度を採っているのか?というのはエルフならだれでも知っている事ですが、公務員化を敷き他の職制や一般との接触を断つ専業職業制が進むと数多くの弊害が生まれるので、それを抑えるためです。

例えば今日(こんにち)、軍事・官僚国家によくみられることですが、警察学校や軍学校という実力組織は専業化が進むと自浄作用の機能不全という弊害側面が強く出て、市民生活を圧迫します。

また、法曹(特に検察・裁判官)が身内で固まると冤罪の危険性が高まったり、有罪率99%を誇るような狂った思考放棄を伴う連帯意識と選民思考の先鋭化が起こり、市民の常識とかけ離れた常識を基にした暴力による国政への混乱を巻き起こします。

このように、個人を形作る道徳の手ほどきというものは社会と密接に関係していて、私自身、自らの経験や学びにより好むと好まざるとにかかわらず社会の一員としての人格を形成してきました。

思い起こせば、それをはっきりと意識した一つの事件、私の哲学に影響を与えた転換点の事は今でもはっきりと覚えています。



― 二十数年前 ―


その人はエリザ(※12話参照)という名前で私より10才は年上、当時もうすぐ30になる中堅職員でした。背はそれほど大きくはありませんでしたが、黒髪に青い瞳は遠くから見ても一目で彼女だとわかる特徴です。

産まれは東方の都市らしく国都とは地理的に反対にあるためか規律や決まりにうるさい西方気質とは違い、割とフランクで、外部の男性などと積極的にいろいろな書物を送り合ったり、お菓子などを届けてもらったりしていました。

彼女は自身の活発な空想力を刺激する知識への探求について、科学や化学、論理的なものその他、分け隔てはありませんでした。

いう事でもない事ですが、男性と付き合うことは非難されるようなことではありません。むしろ誰とも付き合わない女性エルフは少年愛者を疑われ、仕事能力に障害があることを疑われます。

現に私たちは3勤4勤という勤務形態で普段の休日は少ないですが、その代わり拘束時間は緩いので、その合間に男性と逢引きしたり、夜に男性のところに泊まり、翌日、そのまま職場に行く者もいますが、勤務時間に遅れなければ特に何も言われません。

若い女性官は少年の憧れでありこそすれ、女性側が少年愛に目覚め、少年をかどわかすなんて許されることではありません。

だから男性とよく合っていた、それ自体はいいのです。問題は男性とあっていた それと同程度、同僚の女性と付き合わないという事が問題だったのです。


つまるところ、古代における男性兵士が互いにスキンシップして連帯感を高めていたように、動物というものは本質の部分で同性を利益競合相手と見做すため、異性的な存在とお互いに認識する儀式を通すことで、共益関係にあると脳に学習させる必要があるのです。

女同士でスキンシップをしないという事は、同僚からの同性嫌悪を抑えられないとエルフの常識では見做されていました。


女というものは自分のために張り切るものを好み、共感するものを愛します。つまらない会話でも笑い合ったり、相槌を打つ、人の悪口を言っては共感しあうといった行動は男性から奇異の目で見られ批判されることですし、このせいで女は女同士で協調する事が難しいという事は大半の女性も理解していると思います。ありていに言えば、たいていの女性というものは相手を能力ではなくラベル付けで振り分けているようなもので、組織的な観点でいえば非効率・不合理な思考システムです。

もちろん女性自身も中身の伴わない会話や意思疎通を続ければ知能が摩耗することを理解しています、だけれど、これは生物的なプログラムで、肉食獣が草食獣を食べることを棄てられない事と似ています。

例外的な逸脱者の存在によって女性のこうした生物的側面を修正できるというのは、あまりにも傲慢な主張でしょう。


あるとき、「あなたがこの院に来てから」と、施設長から注意を受けている彼女を見ました。「あたしはいつもあなたともっと親しくなりたいと思っていたのですよ。あなたは大そう奇麗だし、頭もよさそうに見えますしね、あなたのような人を見ると、あたしは何か、とても不安になるの。いけませんよそんなことじゃ、自然が男と女を作ったからには、どちらかを不必要だと考えているわけありませんもの。

つまりこの宿命的な真理が証明している通り、半分を疎かにしたり、半分に偏重することは、完全無欠たりえないヒトにとって危険です。

とりわけ、人は知識と学問とから導かれる常識の違いで、ただでさえ半分からは嫌われるようになっています。みんなと仲良くなる必要はないけど、もうちょっと考えてみて」


この人はロベシエータという名前で、2年前から施設長を受け、あと1年で任期が明けます。だいたい女性エルフは35~40才になると民間企業や特別職公務員(この国では任官制度上、課長級以上は身分保障がない特任制度が敷かれているため、一般職と区別されている)になりますが、施設長という役割は、それまでに1回は回ってくる当番のようなものです。


エリザは施設長の言葉に「私が世間の思惑など物ともするなという女性だと考えておられるなら、それは勘違いですよ」と言葉を返しました。

「私は別に同性が嫌いなわけではないし、避けている訳でもありませんよ。

ただお互いに知識や考え方のキャッチボールができない人と話す時間があれば、そうではない人と付き合ったり本を読んだりしている方が有意義に感じるだけです。」


それを聞き、施設長もまた返します。

「隣人もまた同胞であるという言葉があるでしょ?

ここで過ごした記憶が愉しい思い出とまではいかなくとも、経歴の助力になるような人を見つけられないのは損ではなくて?

そうね、同年代とは話が合わないなら後輩の面倒を見るというのも一興かもしれませんよ、女の敵は女と言うでしょう?後輩も10年もたてば立派な味方になっていますよ」


「しかし施設長、どうせ彼女たちの多くは、自分たちは後方の治安を守る儀仗兵であって、わずかばかりの志願兵が前線に向かう事はあっても自分たちは一番最後なのだと思っているに違いありません。何事かを成すためには、何事かを受け入れなければならない。例え今はその「何事か」はわからなくとも、何事も成すことを見据えていないものと一緒にいることは苦痛でしかありません。」


「あなたが教育すればよいではないですか。法律と規範に反しない限り、私たちは自由なのですよ」




この高尚な議論を聞いていた私は、人とはなんと鎖に繋がれた哀しき生き物だろうかとため息を漏らしました。

動物であれば明日か明後日か、もしくは数週間の食料を考えるだけでいい。

それなのにヒトは数十年先を考え自分を抑制し、社会システムと言う欺瞞によって期待や不安におびえて、時に嘘で自分を纏う。


15才になるとエルフは大人とみなされます。子供として扱われないという事は、大人としての立ち居振る舞いをしなければならない義務が生じるという事です。

私は15歳を迎えてからの3年間、その義務を甘んじてうけ入れました。



「まだ起きているのですね、眠らないの?」


「そんなこと、できるもんですか」


私はベッドの中で、火照った体で昼間の事を考えていた。


「ねぇ、おねぇ様、女というものは生きづらいものですね

男にとっての英雄とは、多くのものから嫌われること

女にとっての英雄とはたくさんのものと愛情を通じ合うもの

私ね、昔、ヒーローもので怪人が好きだったの

ヒーローなんて理想を語って暴力をふるっても、

社会をよりよくしようとあがいているのではなく、ただ不満分子を殺してるだけで、現状を維持しようと圧政を敷き民を粛清している暴君のようでしょう?とても怖かったの

だから、組織として成立させて体制に理解されなくても理想に抗う姿がとても格好良くて、だからね、男の子と遊ぶとき、いつも怪人役を買って出ていたの

でもあるとき、怪人ていうのは市民を虐げてるから悪なんだよって子が出て、みんなヒーローやりたがって、それ以来、みんなその遊びしなくなっちゃった

あの時から体制から悪だと認定されたものは悪者として虐げられてもいいの?って、ずっと棘が刺さってる」


「ふーん、あなたやはり面白いわね。ね、そんなことより続きをしましょうよ」


そういうと、彼女は体を合わせて来た


また、チクリと私の肌に棘が刺さる。

女同士で肌を重ね合わせ、互いに貞淑だが低俗な女の気質を自慢しあう風潮は、ハリネズミのジレンマのよう。


しかし私は、だからと言って一人になる事を望むほど馬鹿でもなかった。同僚の女性に「もうあなた方の私婦であることはできません」と言えば、きっと何日かは気持ちがいいだろう、でもきっとその数日後には「あぁ、どうしたものか」と、哀れな顔でつぶやいているだろう。

そうして教護院を出て男を頼ることも考えられない事でした、たかが18やそこらの少女が生き馬を抜くような市井の男性と折衝することができると考えることは荒唐無稽でしょう。きっと幾人かの男の情婦として、いいように扱われるだけになる事が目に見えます。

「下等な関係においては体の対価に金を求め、中等な関係においては地位を求め、上等な関係においては互いの知恵を求めるのです。」

という喩えがあるように、18やそこらの少女が手練手管を備えた大人に提供できる知識は何があるでしょう?


だから私は、見知らぬ都市で、自身の立ち位置を自分なりのやり方で立て切った彼女に最初からあこがれていたのかもしれません。

私はそのやり取りを聞いてからというもの、たまにエリザと交遊を持とうとしてみました。


もちろん、そんな私に幾人かは、「あの女は男とだけ親しくする堕落した女だから気を付けるように」中にははっきりと「男に寄生する女(アビュータ)」と言って忠告してきました。

しかし、こうした反論は矛盾があるとはっきり言わざるを得ません。

不信仰とふしだら、そして愛国心はバーターのような関係です。

戦争が起こった時「お前の後ろに国境があるぞ」というより、「お前の隣と後ろには最愛の同胞があるぞ」と言ったほうが結束帯が強くなるというものです。

集団として、彼女の行動がデメリットにならないなら非難されるのはおかしなことでしょう。

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