第23話
――
「爪切ってけろ~爪切ってけろ~」
「おじいちゃん、それは義手だよ」
トイレから病室に戻る途中、病棟の処置室から声が聞こえた。
診療室と処置室を併用した部屋は病棟に2か所あり、1室は個室との経路上にあったので、たまに他の患者が処置(ガーゼを取り替えたりなんだり)を受けているのを見かけることがあった。
※病棟の病室の経路から外れた部屋(例えば角部屋など)を通常は兼用室とするが、緊急の事故などで病室に転用することを想定している病院では病室に隣接していることがある。
「終わりましたよ、部屋に戻りましょうね~」
「あぁ」
看護師がカラカラと歩行補助機を押す老人を支えながら部屋から出てきた。
治療室の前を通ると中にいるエルフ女と目が合い会釈されたので、
「彼は義手だという認識が出来ないほどボケているのか?」
と、俺は今しがた出て行った老人の方を示しながら聞いた。
彼女は一瞬、逡巡してから、
「どうだろうね、たしかに認識力が下がっている事は確かだけど日常生活に支障が出てると言い切れない部分はあるから。義手のプラスチックって質感とか追及されてるから、ボーとしてると爪だって思うことがあるんだよ」
と、説明した。
※説明しよう、措置入院とは!?
生活遂行力がないと判断された場合、指定医の診察により脳に不可逆の認知判断障害が認められた場合、その地域の地方長官の決定で1年間の措置入院を行え、経過観察後に行政判断で安楽死することができる。
「そうか、民間のものは見た目を重視しているのだったな。軍用義肢は機能や性能が重視されるので形状を生体に寄せるのは二の次だった。」
俺がそういった時だった。
急に女エルフが距離を詰めてこちらに近づいてきた。
「そう、そうなんだよ! 義手はいろいろな材質のものがあるからね。
まず作業・スポーツ用だと義手はモノを掴んで固定することが求められるから、頻繁にモノを換えるかどうかで筋肉とかの動きで動きを制御するのか、ボタンで制御するのか、電動モーター、ガス式、圧力式を人によって判断して調整しなきゃいけないんだけど選択肢が多い分、患者さんに合わせたものが出来てありがとうって言われたときとってもやりがいがあるんだよね。
義足は板バネ方式はカーボンで軽量化できるんだけど耐用年数が短くて高価だから場合によっては皮革やプラステッチで作った軽量なものも選択肢に入ってきて、そうなると質感や見た目が追及されて日常用との兼ね合いが・・・」
なんか楽しそうに急に語りだした。
いや、落ちつけ。
確かに俺は義肢にそれほど興味はない。
だが『いや、興味ない事はちょっと・・・』などという事は、自分の科学的矜持に合致しているか!?よく考えろ、よく考えるんだ俺。
「どうかしましたか?」
俺が無言で聞いていたので不思議そうな顔で聞いてきた。
ふむ、
それなら何か他の話題、っと・・・。
「そういえばあなたにもお礼をと思っていたところです」
「何を・・・でしょうか?」
「新しい命を!」
「でも、あなたはそれでまた望まぬ戦場へ向かわなければならなくなった。それは嫌なのでしょう?」
そう言いながら彼女の表情が少し曇ったのを見て、
先日のやり取りを思い出す。
「あの時言った事は半分は冗談だよ、
規定の運用は所管の監督官の役目だし、その不備についても上級庁や裁判官の判断だし、ひいては国民の議員投票権の責任だ。向けられるべき非難は国民や監督官庁に対してであり一人の技術者の判断とは関係ない。
それに感謝しているよ先生、
またあいつらと戦える、
俺は感謝している」
「そうでしょうか?その感謝は、あなたがしょい込む必要はない事も自分の責任のように錯覚しているだけという側面もあるのでは?」
彼女は何かに悩んでいるのだろうか?
迂遠すぎてちょっとよくわからない。
「私はわからなくなってしまったよ。」
彼女は俺に答えを聞いてきたのだろうか?
それとも、ただ相談したかっただけだったのか。
う~ん、ま、いっか。
彼女は俺の返事を聞く前に、仕事の途中だからと言って病棟へ向かっていった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――それから4日後
退院する、いや、退所するというべきか、それはあっという間に来た。
看護師詰所(ナースステーション)に軽く挨拶を済ませ、時間外はいつもは守衛がいる裏手口で待っている時に例の女エルフと遭った。
「先日の話の続きだが、何か悩んでいるのか?」
俺は思い切って聞いてみた。
魚の骨が喉に刺さったまま生活はできるが、出来る限り取れるように努力はするだろう?生体反射というものだ。
「あるとき、土壌中に含まれる有害物質について動物実験を依頼されたことがあってね。あの時は複数の汚染地域から送られてきた土壌サンプルを
もちろんそれで終わりではない、今度は彼らの脳を利用する。
皮膚は邪魔なので頭蓋の後部から引きはがすのだが眼鼻唇耳の位置で結着しているので切って剥がす。こうして現れた頭蓋を回転刃で切り灰色の脳細胞を取り出すんだ。
その後は眼球を取り出すんだが、眼球は強い筋肉で固定されているため取り出すのが難しい・・・」
彼女は淡々と語る。
その姿は科学界についてよくしらない人物が見たら、彼女を冷酷・無感情と感じるかもしれない。科学畑の人間は特に感情に左右されてはならないという慣習は外部のある種の人種からは、感情を軽視する前時代的なものと映る場合があることを私も理解するまでかなりの時間を要した。
こうした冷淡な人間を作ろうとする圧力は今日では医学界と軍事業界で行為者を自らの行為から遠ざけるためとして残置されてきた慣習だが、たしかに、それだけではないように思うのはおかしな話とは感じない。
人の感情や立ち居振る舞いというのは後天的なものが多くを占めるが、産業によっては教養や身内意識が成熟しているにも関わらずむしろ感情を表に出し論理性を低く見る業種がある。
その傾向が強いのが、例えば三権分立制の国家での法曹がそうだ。刑事事件における検察官や裁判官などは特に感情を表に出すことで知られる。
軍事裁判における法務弁務官(たいていは女)が集中砲火を浴びる最前線の兵士が敵兵確認をせず航空支援を求めたことで民間人への被害が出た!子供が〇〇人死んだ!とヒステリックに糾弾する姿はいつも胸糞が悪いものだった。
「動物実験もヒトのためになる、そうやってこの国で年間どれくらいが実験動物として殺されているか分かるかい?年に50万匹は死んでいるだろう。私が関わったのはその1/500にも満たないだろうが、そうやって君たちは命を得たわけだ。どうだい?君は1万人を犠牲に生を得たわけだ。
けれども人の生活のために動物を苦しめなければならない、というのは本当に本当なのだろうか。
生きるために字を覚え、その機序を調べるために頭を開かれ死ぬことを強要される
なぜ?どうして?彼らの目は訴えかける
さしずめ、君も1万人殺しの共犯者というわけだ、何か感想はあるかな?」
よく分からない質問だった。
科学者とは多くの生物を殺戮できる発明を行うほど表彰される、ハーバー・ボッシュですら戦時には火薬の製造に転用されて人々を殺した。
1000万人を殺しても1億人に影響を与えれば、それは称賛される。
私の知っている科学とはそういうもののはずだ。
「すまない、君の気持はわからない」
「そう・・・ですか」
「君はそのことで後悔しているのか?」
「後悔?まさか
この研究が人のためになると思ったから私はやったんだ」
「それを聞いて安心しました。
1万の人々は研究が結実しなければ無駄死にになる、それこそ彼らに報いていない。
俺はいつだったか人に迷惑をかけるな、と喚かれたことがある。
そこで本当にそんな人間がいるか、私は調べた。
まずその喚いた本人を調べた、次にその者が推薦する善人というものを、次は、次は次は・・・・結果、つまらん凡人ですら人に迷惑をかけていない者はいなかった。むしろ人に迷惑をかけてそこから何をすべきか考えている者の方が善人であると他人から認められる傾向があった。
結局ヒトは何かに犠牲を求めないといけないんだよ」
「それでも、」
彼女はそこで言葉を飲み込んだ。
そう、その考えはエルフにとって許されないものなんだ。
―― 知恵ある存在は平穏を恐れる
平和は全てのものにとって罪業である
それを思慮するものは
生に溺れず、生を崇めない―― 神の「啓示」より
生を過剰に賛美する行為は麻薬である。
「人は大量殺生をしないと生きられない。
自身だけがまっさらでいようとしても、それは誰かに押し付けているだけだ。
必要であると理解すれば自分の手を汚す事ができるのは、目が曇ってない証拠だよ。
それでも納得できないならそうだな、被験者にすべて押し付けてしまえばいい。
彼らのためにやった、私の行為は恩寵なんだ、都合の悪いことは全部人のせい、功績は全て自分のおかげみんなやってることだ。
人の助けになることを出来るものは多いが、人の死を背負えるものは少ない。なぁにきみが前者であっても非難するものはいないさ」
「それは、あなたは平気なの?」
「平和な生活だけを望むことは、物乞いだよ。」
「そんなこと」
「私が老衰するためには〇×が必要だ、次にはあれが、これが、それが・・・。
やれ労働条件が気に食わない、俺の権利が脅かされる、でも自分は危険も負担も負いたくない!もちろんそれでいいやつもいるし、悪いやつもいるが、兵士なんて言うのは大概後者だ。
あなたにお目にかかれてお礼を言いましょう、私はここで平和に老衰していくことにしましょう。
そうじゃないだろ?兵士はそんなことを望んでいない」
俺がニッと笑うと
そこでやっと俺が本心から感謝を伝えてると理解したのか
若干、緊張していた彼女の筋肉が弛緩したように見える。
「そうね、それと、先ほどの提案は丁重にお断ります。この研究は私の私たちのもの。その罪業も私たちのもの。あなたたちにあげるわけにはいかない。
その代わり腕でも脚でも吹っ飛ばしても生きてたらまた来るといい
義手でも代用生体でもくっつけてあげましょう
エルフは長生きだからね
また会うことがあればあいましょう」
人生に答えなんてないさ
答えなんてないから、人はその時に最善だと思う事をすることしかできない
「そういえば君の名前は」
そこで俺は初めて彼女の胸のネームプレートに注意が行く。
「私はリツカよ、それが私の名前」
「GOOD、リツカ。また会おう」
俺はそう言うと、先ほど着いて表で待っている車両の方へ歩き出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――リツカ視点――
私は子供のころから科学が好きだった。
機械が水や空に浮かぶ不思議はどういう理屈だろう、考えるだけでワクワクした。
一方で、私には他者を助けたいという自然な思いがあった。
最初に私は船の設計に携わる仕事につきたいと思った。とても大量のモノを世界中に運ぶことは、きっと人の生活を助ける事になるだろう。でも私の国は造船が盛んではなかったし、軍用機を作るのには抵抗があった、そして宇宙は私の興味を捕らえなかった。
いつしか私は医用工学 そういうものがあることを知った。
私が、それと最初に邂逅したのは中等部における実験だった。
その日、先生は生徒をグループ分けし蛙を配った。カエルを殺した後に神経に電流を流すと脚が動いたが、数回やると動かなくなった。筋肉中の酸素や糖がなくなったことを説明され、そのあとにその足に蛙の脚に見立てた器具を取り付けて延髄に電流を流して動かした。
その時の私はカエルの死よりも、器具の機序についての関心が上回った。その後もこうした事に疑問を持つことはなかった、私の周囲は実験で猫の脊髄を破壊しながら愛玩用の犬をかわいがることができたし、実習で人の死体解剖を行った後は友人たちと肝試しで内臓料理で祝杯を挙げに行けるような友人ばかりだった。
科学と人の生活には犠牲が必要なんだ、生き物は動物もその他も道具に過ぎない
10年くらいたったころ、私は研究に行き詰っていた。正確には歯がゆい事があった、特に不可逆である脳への傷害は人工部品で代用不可能だと分かり、医用工学に幻滅した時期だった、軍から再生治療の研究に携わらないかという誘いを受けたのは。
その時期までヒトの遺伝子への操作が関わる研究は法的制約が多く、公的な研究や民間研究では認可が採り辛く、思考外に置いていた選択だった。
だから私はその誘いを受けた。
不思議なもので、ロケットや軍用機を研究するのは忌避感があったが、医学研究だという事が私の決定を後押しした。
それからはもっとたくさんの生き物を虐待し、殺した。
脊髄を破壊し、延髄を破壊し、脳の一部を破壊し、眼を取り出され、毒を飲まされ、ある時はいろいろな言語を覚えさせてその情報の記憶領域を調査するために脳を取り出され処分されるたくさんの生き物たち。
科学と人の生活には犠牲が必要なんだ、生き物は動物もその他も道具に過ぎない。私はその行為に疑問を持たなかった。
つごう5つの検体が運び込まれてきたのは、そんな時だった。
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