第22話

――翌日


「今日は看護師さんはいないんですね」

「抜糸だけだからね、じゃあ、そこのベッドに腰かけて」

「あぁ」


ガチャガチャ


「そういえば、あんたは何で医療に携わっている?」


抜糸する時、女エルフに暇だったので話しかけてみた。


「物語なら劇的な動機で医道を志すなんてありますが、簡単な話、日銭を稼ぐ手段ですよ」


「そうか」


確か俺の記憶ではエルフの医療費国庫予算は年900万キュレ、その他に保険への財政支援として年25万キュレ。

この国では長年にわたり人口を調整しているので10年か15年程度では大差はないはずだ。ここに保険適用外治療を含む自己負担分が加わり、300万人の医療従事者と、関連産業の雇用を支えている。

つまり実際のところ、医療産業というのは個人の収入としてはたいして高くはない。

例えば一介の医療実験者は年収3~4キュレ時給10~15ツゥプシェである。

医者の給料は時給換算するとバイト並みぃい!

なんていうネタは昔からよくあるものだ。

つまり、日銭を稼ぐだけで医療産業への従事を選ぶ奴は皆無。この女エルフは嘘をついている QED 証明終了。


対して紛争地域への軍駐留は、ひと月に90万キュレが目安だ。

平均するとひと月60~90人が死ぬが、これで駐留兵士20万人と関連の従事者を支える。この出費は国際派兵となれば出兵しない国からの支援もあるので国庫負担は押し下げられる。

つまり戦争は貨幣流動機構として優秀、それが貨幣経済の真実だ。

弾薬、武器、食料、資材、これらを戦争ほど消費する公共事業が他にあるだろうか?

俺は聞いたことがない。


「医療研究はもうかるのか?」

そう言うと俺は頭をトントンと叩く。

この発言はカマであり、確認でもある。


俺はこの4週間ほどで気が付いたことがある。

医術とは魔法ではない、人の自然治癒の範囲内で限定された学問であり実証学だ。

例えば角膜手術のように生体から生体への移植や、もしくは白内障手術のように生体を人工部品に置き換える事は人の自然治癒を土台にしている。

ところが培養液内で腕や脚を生体培養して欠損者へ移植することはできない、これは『部品』はできても結合はできないからだ。人体の神経細胞は再生しないので生体部品と体との神経接合が行われない事で、実態は血肉のある棒と変わらない。

このように、人の自然治癒の範囲外の行為を医術はできない。

ところが現在の俺の置かれた状況は違う、

脳細胞の再生ができとるやないかい! そう、出来ているのだ。

つまり俺の今の状態は魔法の領域であり、医術ではない。

したがって医術外の行為に携わっている彼女は医者ではない。


「軍事利用の研究なので別に儲かりませんよ」

彼女は俺が頭を示したことで言わんとしていたことが分かったようだった。


「民間医療に転用すれば傷病障害に対する国庫負担が減るだろう?医療研究者として君や研究チームの名声も高まるし、いい事だ」


「おかしな人ですね、善意者のように技術の進歩に感謝しろと言いながら暴利を得ようとする利己主義は多く見てきましたが、あなたはまるでについて心配しているように聞こえますよ。

軍人としてはむしろ優秀な兵士を何度も戦場に送れる可能性を喜ぶべきなのでは?」


そう、医療は個人としてたいしてもうからない。

だから医療産業のやり口は狡猾で残虐だ。

植物人間のような延命治療や薬物の過剰処方、向精神薬による薬漬け、それは医療の収益を上げるために行われる、死ぬこともなく苦痛を与え続けられる地獄そのもの。

地獄の鬼がいるとすれば、こういう者たちに違いない。

軍需と医療産業は、どちらが人道に反しているか?それはよく議論の命題に上がる。

個人的には、生かすのと殺すのはどちらも変わらないという結論だ。

直線の紙を折り曲げると端がくっつくように、人を殺すのと生かすのは経済学上は同じことだ。


「たしかに熟練者の育成には金がかかる、人権を喪失したゾンビのようにヒトを扱えたら経済上は国家の利益につながるだろう」


俺がそう言うと、彼女はムッと嫌な顔をした。

初めて明確に感情を見せた瞬間だった。

「そういうのはこの国ではできないですよ。出来ても私はしないですけど」


「そうか。医者というのは、そういうものが多い印象だった」


「そういうもの?」


「死刑になるのが分かっている犯罪者を治療したり、善意を押し付けたりな。

少なくとも労災・戦傷保険を管掌する労務局監督官はそう思ってる事は退役した軍人の話から聞いているよ。

数ミリの骨の残置を盾にして傷病年金の認定額を下位等級認定された話は聞いているからね、医者を恨むな、一生懸命に治療しただけだ、彼らは不平不満が述べられると決まってこういう発言をするらしい。善意であるとのたまえばどんな理不尽も受け入れるべきだ、とな。

ふっ、彼らの国庫への厚い貢献・・・おっとこれは事実だから、善意を恵んでくれたおかげで、どれだけの軍人と労働者が悲しんだか。」


「それを私に言ってどうなるのです?」


「そうだな、少なくとも善意であればよいというのは、時に悪意の片棒を担ぐことは知るべきだろう。無知であれば邪悪ですらある。

仮に脚を切断して20~30年傷病年金を受けて、ある日突然に脚が再生されたからと傷病年金を打ち切られたら死刑宣告に近いと、その患者本人は感じるはずだ。

場合によっては根治ではなく対症療法が望まれている。」


「つまり、医療に携わる者は規定や規則を知り、則って治療をすべきだと?」


しばしの沈黙


「どうだ、今は非常勤か臨時かはわからないが病院での業務も行っていると見えるが完全に商業か軍需に移っては?医療産業なんてものは感謝を願っても感謝はされず、給料もたいして高くはなく、実態はただの小間使いだろう。

それに比べてこの2つは、ただ目の前のことを実直にやっていればいい、実に研究者向きだと思わないか?」


「最初にあなたも言ってたじゃないですか、金持ちになりたいなら医者なんてならないですよ」


「そうか」


しばしの沈黙


「最初の質問ですが簡単な話ですよ、難しい勉強をしていたら

研究者か、現場作業のどちらを主業としてやるか選択を迫られた。でも選べなかった、それだけの話です」


「人を治す事にやりがいを感じたというやつか」


「おかしいでしょうか?」


「いいや、崇高な理念だ。自分にもある。

戦士たる同胞おとこの権利を守る事、それが俺のただ一つの理念だ」


「・・・事故で片腕をなくしたり、脚をなくして元に戻るよりも

やはり、もう一度戦場や職場に戻るのを考えると、苦しいものですか?」


「まぁ、・・・そうだな、感じた恐怖や痛みというものは傷が治ってもそのまま背負い続けるものが多いだろう」


沈黙


「はい、今日の処置は終わりです」


そういうと、彼女は処置室から退出した。



▼▼

1キュレ=1万ドル=100万円

1キュレ=10000ツゥプシェ=100万円

1000ツゥプシェ=1000ドル=10万円

100ツゥプシェ=100ドル=1万円

1ツゥプシェ=10000ディッド=100円

ただし1000ディッド硬貨未満は発行されていない

日本でもネット決済取引では桁があるが1銭1厘硬貨なんてないだろ?


※実際は円高想定なので 1ドル80~90円

▼▼

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