第21話
気が付くとそこは知らない天井だった。
カチャカチャ
音の方に顔を傾けると、横で作業をしているエルフの女が見える。
「あら、目が覚めたんですね」
「どうなった?」
「とりあえず、おめでとうございます。あなたは新しい生命を得ました」
「そうか」
起き上がろうとするが、肩と手首の関節が固まっているのかギシギシときしむ。
以前の俺ではない事は肉体的差異、記憶に欠落と齟齬が生じている事から理解できる。
脳の手術が行われたことを理解し、次は左右の目を交互に閉じながら目の前の女の各部位を口に出す。
「尻」
「胸」
「おっぱい」
「眼鏡」
口で呼称しながら左手で簡単に文字をなぞる。
脳梁が切断されていると左目の視覚映像が左半球の言語野に伝達されないため呼称障害が生じる、今やっているのはその障害がないかの確認だ。
特に左手の筆記機能は『言語野』たる左脳から右脳へ情報伝達するため異常があれば顕著に出やすい。
「すまないが左手に何か乗せてみてくれないか?」
目の前の女に言い目を閉じると手に何かが乗る。
やはり彼女も医者なのだろう、俺が何も言わなくとも何をしているかわかっているらしい。
手に乗ったそれをワサワサと探り、呼称する。
「空の点滴薬」
眼を開け、握っているものを確認する。
次にその点滴薬を目の前に置き左手でつかめるか確かめる。
これは脳機能に障害があると稀に出る、眼前に置かれた道具を意図に反して逆手で掴もうとするエラーが出ないか確かめるためだ。
特に右利きのものが利き手ではない左手で掴もうとすると、右手が勝手に動く症状が出ることが多いらしい。
終わると今度は左右の手を制止させ、無意識に動かないか確認する。
(動かない)
てんかん患者が脳梁離断術後に自分では異常に気付けないように、白内障患者がゆっくり進行する視覚障害に気が付かないように、実際には何か機能異常が出ている可能性はあるが、とりあえず簡易的に異常はない事が分かり一息つく。
「・・・どれくらい経った?」
「10年か15年か、私にもわかりませんね。ま、あまり気にしない事です、あなたはあなたという別人なのですから」
問いに、女医は優しげに答えた。
部屋は個室でカーテンレールは開けられていて、頭側でまとめられている。
女医の前にあるトレイには器具が並んでいる、今まで使っていたものを片付けているのだろう。
これまでの対応から、このエルフの女は人当たりは良さそうだ。
「すまん、俺の記憶では女医というのはもっと性格のひねくれたプライドモンスターのはずだが、あなたは実は男だろうか?」
「あらあらおかしい人ですね、私は女ですよ」
「そうか、すまない。俺は女が嫌いなんだ」
俺の発言を受け流し黙々と作業を続ける女エルフ
廊下ではたまにガラガラと車いすが移動し、髪を洗って戻っていく患者が見える。
「はい、終わりましたよ。ではこれからリハビリ頑張っていきましょう!?」
女エルフはそういうとガラガラとトレイを押しながら部屋から退出していった。
――それから3週間
初めは50m歩くだけでも「はぁ、はぁ」と息切れし、関節のあちこちも可動域が固まり、どこからが軟骨なのか骨なのかよくわからず負荷をかけるたびに折れるのではないかと思っていたが、1週間もたつ頃には割と動くようになり、3週間目あたりには体の調子もだいたいは戻っていた。
「だいぶ良くなってきましたね」
「そうですね」
頭に巻かれた包帯を取り、ガーゼや薬をつけ、また新しい包帯を巻く。
それが終わると担当医は器具を設置する。
おっと、ちなみに初日にいた女医が俺の担当医だったらしい。
―瞬間提示装置(タキストスコープ:スクリーンの右側と左側に、それぞれ異なる絵や文字を提示し、眼球運動より速い200ミリ秒以内にその像を消去できる装置。スクリーン中央を固視した被験者の眼球運動が起こる前に提示対象を消去することで 、右視野と左視野に別々の視覚対象を提示することが可能である)
左視野に視覚情報を瞬間提示するとその情報は脳の右半球のみに入力される。脳梁離断といった脳の機能障害があると左半球の言語野に情報が伝達されない事で、対象の名称を呼称したり筆記したりできないため、それを検査することができる。
「OKです、とりあえず問題は出ていませんし、頭の抜糸も明日あたりにはできそうですね」
「そうですか」
「じゃあ看護師さんお願いします」
「はい」
こうした検査が終わると、股関節、肩、手首の可動域を戻す為に恐怖のストレッチタイムである。
「いあたたた」
それが終わると1階に降りていく。
毎日昼過ぎには受付は閑散としている。
国によっては個人への信用制度や情報共有制度がない。そういった国で診療費の後払い制度を取る場合、「俺はそんな治療費払わないぞ!」などといちゃもんをつける患者で渋滞する不合理があるが、医療保険制を採る場合、入院や診療は点数化されて請求額は決まっているので、患者本人ではなく専門知識があるカード会社か保険会社を代理人として交渉すべきで、支払いを保証できないものに医療を受ける権利はないというシステムをエルフ国では採っているらしい。
実際、窓口で必要な診療行為かどうかをぎゃーぎゃーやりあっても全く意味がない。
そして正面玄関を出ると病院の前には陸上コートが見える。
休日などは学生が運動をしているのをよく見かける。
玄関から左に曲がるとエントランスには緊急車両停車スペースや、ベンチと灰皿があり入院者や職員がたまに時間を潰していた。
俺もたまに電子タバコを吸いに外に出ている。
「ふぅ」
ベンチに座り空を見上げる。
そこから見えるのは、変わり映えもしない奇麗な空だった。
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