四街区
オルトさんの屋敷に来てから一週間が過ぎた。
未だに空は灰色のままだ。
僕はあれからずっと部屋に篭っている。
部屋から出るのは食事やトイレ、お風呂の時だけだ。
そんな僕を見かねて、オルトさんとルドーさんが時折、顔を見せてくれる。
少し会話をしては、横になる。
それの繰り返し。
僕自身、この生活をずっと続けることは出来ないと考えていた。
まさに今日、その考えは的中した。
いつものように、朝食を摂っていると、オルトさんからこの後執務室に来るよう言われた。
僕に話があるそうだ。
「僕は先に行っているね」
そう言って、オルトさんは足早に食堂を後にした。
何の話だろう...。
等々、この屋敷を出る時が来たのかな。
はぁ....これからどうしようかな。
ふと、向かいにいるマナさんが視界に入った。
何故かニコニコとしている。
いや、マナさんはいつもと変わらないか。
「.....ご馳走様でした」
僕が立ち上がると脇で控えていたルドーさんがさっと傍に現れた。
「カルマ様、こちらでございます」
「...はい」
僕はルドーさんに続き、食堂を出ようとした。
「カルマ」
その時、僕を呼び止めたのはマナさんだった。
振り返って目に映ったマナさんの顔はどこか寂しげであった。
「...行ってらっしゃい」
特に何かを言われた訳じゃない。
ただ、一言だけ。
オルトさんの執務室に行くだけなのに。
「....行ってきます」
マナさんは最後に微笑み返してくれた。
僕はルドーさんを追い階段を上った。
今日の廊下はいつもより妙に静かだ。
扉の前に立ったルドーさんはコンコンッと2回ノックした。
「どうぞ」
「失礼致します」
扉を開けて入ったその部屋は左右の壁一面に本が敷き詰められ、正面には大きな窓があり、その手前に設けられている机には書類がチラホラと見受けられた。
「どうだい、僕の執務室は?」
「....す、すごいです」
「ははは、ありがとう。ここは代々アルバ家当主が使ってきた歴史ある執務室だ。中にある本はどれも貴重なものばかりで面白いぞ!」
「....は、はぁ...」
「いつでも読んで貰って構わない。さて、本題に入ろうか....。カルマ、もしこの屋敷から出ていくとしたら宛てはあるのかい?」
来た。
やはり、等々言われてしまうのか、出て行けと。
僕は産まれてからエスペランサを出たことがない。
そして、その村はもう無い。
僕に行く宛てなんて...。
「浮かない顔だね。行く宛てがないんだね?」
「....はい」
ああ、出て行けと言われてしまう。
「ふぅ。良かったと言うべきかな...」
「....え?」
「実は君から話を聞いてからマナと話し合ったんだ。その結果、君を養子として迎えようと言う話になった」
え?養子?どうして?!
「理由を知りたいかい?」
僕は大きく頷いた。
すると、オルトさんは眼鏡を外し、右目から何かを取った。
「見て欲しい、この目を」
オルトさんが右目から外したのはコンタクトだった。
そして、そこには黒い瞳があった。
「....黒い髪に黒い瞳...」
「そう、僕は元々下民だ。ずっとコンタクトをして誤魔化している」
オルトさんが下民.....。
下民がこんな立派な屋敷に住んで、王都に入れるなんて...。
「驚いたかい?僕は昔、ここからずっと東にあるエステという集落に住んでいた。そこを治めている
エステ?
十貴族?
初めて聞く言葉だらけだ。
「君に出会った事は運命だと思ってる。きっと次は僕が誰かを救うべきだと」
「....え?」
「申し遅れたね。僕は十貴族が長アルバ家当主オルト=ジ=アルバ。と言っても婿養子だからあまり威張れるものではないんだけどね」
「....き...貴族」
僕はその偉大さに圧倒され尻もちをついていた。
「ははは、また驚かせてしまったね。....これは僕のただの自己満足に過ぎない。どうだろう、僕の養子になってはくれないだろうか?」
「...でも、僕は下民です」
「僕だって下民だ」
「...僕のような得体の知れないものを」
「カルマ。君の名前と事情を知ってる。それだけでも十分関わっている」
「....本当に、本当に良いんですか?僕でも」
「ああ、僕は君が良いんだ。君を助けたいんだ」
嬉しい。
すごく嬉しい。
でもこういう時なんて答えていいのか分からない。
「....」
「なんて言って良いのか分からないのかい?ならばこうしよう。良ければ僕と握手をしよう。ダメならそのまま振り返ってくれ」
そう言ってオルトさんは右手を突き出してきた。
この手を握れば僕の人生は大きく変わってしまう。
今までとは全く違う生活を送ることになるだろう。
村を出て、一度は死んでもいいと思っていた。
でも、そこを救ってくれたこの方の為に何かできればと思う。
今は無理でも将来必ず役に立ちたい。
僕はそんなことを思いながらオルトさんの右手を掴んでいた。
「うんうん。じゃあ早速王様に報告しに行こうか!」
「...え?」
「まぁ一応十貴族の一員だからね。養子を取るとなると一応報告をしとかないとね」
「....?!」
「大丈夫!心配ないさ!特に準備もする必要ないしね」
なるほど、今朝いつもより豪華な服を用意されてたのはこの為だったのか。
「さっ、ルドーは馬車の用意を頼むよ。カルマは僕と一緒に」
オルトさんは僕の手を握りながらエントランスへ降りた。
階段を降りきると扉の傍でいたメイドが開けてくれた。
外は眩しいほどの陽の光が刺し、初夏の空気を漂わせていた。
外に出るなんて久しぶりだ。
村では外に出ない日が無かったから、余計にそう感じる。
「それにしても少し暑いぐらいだね。まだ午前だってのに」
襟の高いこの服を着ているとますます体温が篭る。
「お、ルドーが来たようだね」
「お待たせ致しました。どうぞこちらに」
「うん、ありがとう」
「カルマ様、お足元お気を付けください」
確かに踏台を使っても少し足を高く上げないと乗れないや。
「それでは出発致します。はっ!」
馬の鳴き声と共に動き出した。
初めて乗る馬車に不安はあったものの、穏やかな乗り心地。
「カルマ、外を見てごらん」
言われるがままにカーテンを開け、ガラスに顔を近づけた。
笑顔で行き交う人々。
繁盛してそうな屋台。
2階建ての建物が多く、屋敷の豪華さとはかけ離れた街並み。
灰色でさえ無ければ、もっと感動的になれたかな...。
「どうだい、僕の街は」
僕の街?
僕は首を傾げた。
「この王都メディオは円形になっていて、全部で4つの区画があるんだ。王宮がある中央区。セロウノ家が統治する一街区。サンシスタ家が統治する三街区。それして僕達アルバ家が統治する四街区」
「....二街区は?」
「やっぱり気になるよね!僕も最初聞かされた時はつい突っ込んでしまったよ!二街区は存在するよ。ただ、ここより西にある都市の中にあるんだ。そこら辺の地理についてはまた別の機会に話してあげるよ」
そう言うとオルトさんは窓から街を眺め出した。
そして、そのまま頬杖をついて、呟いた。
「僕は皆が楽しく暮らせる街にしたかった。身分に関係なくね」
街を見ているようで、それより遥か遠くを見ているような目をしていた。
「....少なくとも僕には皆分け隔て無く楽しく過ごしているように見えますよ」
チラッとオルタさんの方を覗くと、驚いた顔で僕の方を見ていた。
恥ずかしくなった僕は再び視線を街に向ける。
その瞬間、向かいの家にいた少女と目が合った。
蒲公英色の瞳に金髪のショート。
灰色でしかない僕の視界に突如映り込んだ色を帯びた少女はどこか僕と同じオーラを纏っていた。
そう、大切な誰かを突然失ったかのような。
見えなくなるまで、お互い目は逸らさなかった。
見つめあった時間はほんの3秒程。
しかし僕にはそれが長く感じた。
「どうしたんだい、カルマ。何か気になるものでもあったのか?」
気づけば僕はガラスに頬を突き付けるほど少女を目で追っていた。
「いえ、なんでもないです」
きっと僕の見間違いだろうから...。
その後も灰色の景色はずっと続いた。
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