第34話『体育祭《開会式》』
六月二十一日の金曜日。
体育祭の日がやってきた。
登校すると、教室の雰囲気がいつもより活気づいているのが分かった。胸のあたりに名前付きの赤色ゼッケンを縫いつけた体操服姿のクラスメイトたちが、普段の数倍のテンションで友達と会話に興じている。
その想像以上の喧騒に、伊織はやや気圧されながらも席についた。
「おっす」
影光が前の席から、椅子に跨るように振り向き、片手を上げた。
伊織は面食らって、一瞬動きが止まった。
いつもは朝からスマホゲームに視線を落とすだけで碌に挨拶も返さないのに、珍しい。まさか、この空気に影響されて気分が上がっているのか。斜に構えた言動ばかりするくせに、単純なやつめ、と伊織が密かに苦笑する。
教室に滞在したのは三十分程度だった。
ホームルームで教師から体育祭についての注意事項を受けたあとは、一部委員会の生徒を除いて外へ移動する。
昨日運動部の面々が遅くまで残って設営してくれた大型パイプテント。その下に敷かれたブルーシートに腰を下ろし、伊織は一息ついた。仕事がない生徒は開会式まで待機なので、水筒のお茶をちびちび飲みながら時間を潰す。
ちなみに荷物は手に持っている水筒とプログラムが記された数ページの冊子のみで、貴重品は鍵のかかったロッカー、その他弁当などは教室に置きっぱなしだ。携帯は持ち出し禁止でロッカーに入っているため、手持ち無沙汰で仕方がない。
当然、ルールを平気で破る者もいる。周りも見ればこそこそとスマホを弄っている生徒をちらほら見かけた。
バレたら今日を合わせて三日、つまり週末の間は没収されるので、伊織はよくやるなぁと逆に感心する。
「スマホ使えねぇと暇だわー。体育祭の間、何すればいいんだよ」
意外や意外。真面目にルールを聞き入れた影光が、隣で不満を漏らした。
「応援すればいいんだよ」
正論で返すと、影光は鼻を鳴らす。
「誰をだよ」
「赤組に決まってるじゃん」
「別にそんな仲いいやついねーし」
「じゃあ由貴とか、蒼介とか」
「あいつらは応援しなくても活躍するだろ」
「じゃあ俺」
「お前は応援しても大して活躍しないだろ。応援しなくてもできるやつはできるし、できないやつはできない。よって、俺は誰も応援しなくてよし」
「最悪な教育方針。影光、親になるの向いてないよ」
「なる気ねーし」
教室ではちょっと浮かれてたのに、ここでは毒を吐き続ける影光。面倒くさい奴だ。多少腹も立ったし、伊織はからかってみることにした。
「じゃあ、真雪と君嶋と天見里さんだけ応援すれば?」
「なんだよそのピンポイントな人選」
「喜ぶよ、きっと」
「はぁ? 意味わかんねぇ⋯⋯」
そう言っている影光の目は泳いでいた。
真雪と葵は微妙だが、天見里佐奈については思う所がある、と伊織は推理した。これまでの反応から察するに、佐奈と過去に何かあったことは間違いない。
「別に、適当に女子の名前言っただけ」
だが、伊織はここで話を打ち切った。元々はひねくれた態度の影光を軽く懲らしめることが目的だったし、これ以上踏み込むつもりはない。葵に協力する立場ではあるので、佐奈についても最低限の情報は知りたいが、どこまで尋ねていいのか考えあぐねているのが現状である。
「んだよ、それ」
影光はそれきり、口を閉ざした。
機嫌を損ねてしまっただろうかと焦る伊織だったが、今期のアニメOPを鼻歌で歌い始めた影光を見て、取り越し苦労だと思うことした。
鼻歌が三曲目に突入したタイミングでアナウンスが入り、知らない女子の声で全校生徒に集合がかけられた。
応援エリアで暇を持て余していた生徒たちが、それぞれの動きで移動を開始する。
体育祭の日のグラウンドは大きな楕円を作って競技スペースが確保されており、その円をぐるりと囲むように応援エリアが設置されている。
そのため、外から中央に向かって生徒たちがぞろぞろと入場していく。中学までは行進で門から入場し、開会式に望んだはずだけれど、高校からはだいぶぬるくなった。学校によって、差はあるのかもしれないが。
開会式で行ったことは、各組の応援団長による開会宣言、校長による開会式の挨拶、ラジオ体操の大きくわけて三つだった。他にもなんか青組の応援団長である戸田鈴零が荒ぶっていたり、水川千雨のいる吹奏楽部の演奏が圧巻だったり、校長先生の挨拶が前代未聞の大ウケを見せたりと特筆したい点はいくつかあったものの、キリがないのでこれぐらいにしておく。
開会式を終え、再び応援エリアに戻った伊織はプログラムの冊子を確認した。自分が出場する競技は開会式、男子2000mマラソン、青風院代表リレー。
マラソンとリレーは午後に組み込まれているので、すでに開会式を終えた伊織の午前は平和なものであった。
その分、午後から地獄が待っているのだけれど⋯⋯。
億劫な気持ちになっていると、肩に手を置かれた。
振り返ると、影光がしたり顔で立っている。
「じゃ、ささっと100m走ってくるわ」
じゃんけん強者の影光がマウントを取るような口調で言った。
「いいなー影光は」
「そうだろうそうだろう。あとこれともう一つ、午前の競技やれば、俺は晴れて自由の身となる」
影光は腕を組み、なぜか尊大な態度で答える。
彼は100m走や玉入れ、といういかにも楽ちんな競技を手にしていた。
高校生で玉入れは恥ずかしくない?
そんな憎まれ口が頭に浮かんだけれど、ぐっと堪える。
「せめてずっこけて恥かけ」
「せめてってなんだよ」
妥協して雑な軽口を叩くも、影光はどこ吹く風といった様子で入場ゲートへと向かっていった。
軽快な足取りで遠ざかっていく影光の背中を睨んでいると、「よっ」と肩を叩かれる。反応して首を曲げると、蒼介が見下ろすように立っていた。
「影光は100m?」
人だかりでほぼ視認できなくなった影光を見ながら、蒼介は言った。伊織は首肯する。
「そう。あと玉入れやったら、影光の仕事は終わり」
「なるほど。あいつらしいチョイス」
「もっと朝練に付き合わせて、苦しませるべきだったな」
伊織がいたずらっぽく言うと、蒼介は肩をすくめた。
伊織と蒼介の秘密の特訓は、あの日から体育祭当日まで毎日続いた。休日含め、ざっと十日ほど走ったのだが、最終日(つまり昨日)の朝は蒼介が遊び半分の思いつきで影光を誘ったのだ。
当然連絡もなしに突然家に押しかけたわけで、玄関から出てきた影光の母親に対しては罪悪感を抱いた。
でも朝練の旨を伝えた瞬間、意気揚々と息子を叩き起こしに行ったあたり、それほど迷惑ではなかったようで、むしろ本人よりもノリノリだった気がする。
母親に無理やり連行されてきた影光は、寝起きも相まってだいぶ不機嫌だった。最初は気乗りしない様子で誘いを拒んでいたが、蒼介に挑発されたことで渋々了承してくれた。蒼介の口車に半ば乗せられた形である。
そういった経緯を振り返り、(せっかくなら由貴も誘えばよかった)と思っていると、いつの間にか隣に腰を下ろした蒼介が呟いた。
「頑張ろうな、リレー」
「うん⋯⋯」
伊織は顔を伏せる。
そうだ。問題はそっちだ。
マラソンは付け焼き刃とはいえ一応の努力をしたし、結果に拘なければやり遂げることができるだろう。
だが、代表リレーはそうもいかない。マラソンのような個人戦ならともかく、チーム戦のリレーは否が応でも結果を意識してしまう。
ましてや赤組の代表チームは伊織と美也子を除いて精鋭揃いだ。そんな彼ら彼女らの足を引っ張って酷い結果を招こうものなら、青組に申し訳が立たない。
こういうとき、影光ならば「自分の意思でリレーに参加したわけじゃねぇし、知ーらね」と開き直ることができるだろうが、あいにく伊織はそのようなメンタルを持ち合わせていない。
だからといって、積極的に練習に励もうとする向上性もないので、伊織はどこまでいっても中途半端だ。
なまじ頑張ってマシな結果を出す、みたいなふわふわした目標でいるために、常に些細な不安にとらわれる羽目になる。
ちなみに、リレー練習は当日までに計三回行うことができたが、伊織としては手応えを感じられず、いまだ不安は残したままである。
(午後のことを考えると憂鬱だ⋯⋯)
またネガティヴな思考が頭に巡り始めたとき、ふいに蒼介が肩に腕を回してきた。らしくない行動に、伊織は目を丸くする。
「暗い顔するな、伊織」
蒼介の言葉はいつも短い。
けれど的確に、伊織の穴を埋めるような言葉を吐いてくれる。
「そうだな」
蒼介に微笑むと同時に、アナウンスが入る。
今度は知っている声だった。
放送委員の漆真姫が、マイク越しに淡々と綺麗な声音で読み上げる。
『次はプログラム2番、100m走です。準備が整いましたので、これより一年生から順に入場します』
入場曲は、まさかの『プリプリストロベリー』OPテーマ【キュルキュルピーヒャラテヘヘ♡】だった。
さっき影光が鼻歌に選曲していた。
どこか遠くから、「ひやっほうぅぅぅぅ!!」という馬鹿でかい歓声が聞こえたけれど、さすがに影光ではない⋯⋯と信じたい。
ともあれ、本格的に体育祭が始まった。
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