第23話 『青駆け』誘い受け論争


「いやー、それにしても助かりましたよ。先輩方が手伝ってくれて。一人でこの量をさばくのは結構骨が折れたと思いますから」


 作業再開から五分弱、美也子は伊織にだけ聞こえる声で言った。


「他の当番の子は来れなかったの?」

「⋯⋯ははは。ちょっとみんな用事あるとかないとかでー⋯⋯」


 至極当然の質問をしたはずだけれど、美也子のかすかに曇っていく顔を見て、伊織はしまったと思う。


「もしかして、わざと・・・来なかったとか?」

「⋯⋯まぁ、はい」


 影光が言った通り、あのあと噂は真っ二つに分かれた。由貴が美也子を誑かして浮気の罪をすべて押し付けたする説と、美也子の告白通り、彼女こそが由貴と鈴零の仲を引き裂いた張本人だという説。(正しいのは後者)


 噂の状況を整理すると、鈴零が被害者だという立場は変わらず、由貴もしくは美也子を悪だとする勢力で均衡していることになる。


 つまり、美也子は新たに由貴と同じく非難の的に晒されたというわけだ。

 これを加味すれば、美也子が一人でゴミ出し当番に赴いた理由は想像に難くない。


 実際今も、他の当番生徒たちが美也子にちらちらと悪意のある視線を向けてヒソヒソと会話しているのが見て取れた。


 美也子の周囲を取り巻く現状は、かなりアウェーであることが窺える。


「ごめん⋯⋯」

「えっ、なんで先輩が謝るんですか」

「いや、その⋯⋯」


 たしかに伊織が謝る道理はないので、言葉に詰まった。視線を様々な方向に彷徨わせる伊織を見て、美也子はおかしそうに笑う。


「心配してくれたんですか? 大丈夫ですよ。そもそもすべて私が蒔いた種ですし、これぐらいの仕打ちは優しいものです。まぁ、クラスの皆が微妙に私を避け始めた時は流石にショックでしたけどね」

「⋯⋯⋯⋯」


 伊織が暗い顔で黙ったままなので、美也子は一旦口を閉じた。そして、何か話すべきことを思いついたのか再び口を開く。


「本当は一昨日の告白で由貴先輩に向けられていたヘイトを全部私に向かわせようとしたんですけどねー。方法があからさますぎたのかな、失敗に終わっちゃって⋯⋯今考えればもっとマシな方法あったのに、あの時は気が動転してて、頭が回ってなかったんだと思います」


 美也子は言い切ると、ふっと息をついた。自嘲気味に肩をすくめる。


 彼女の捨て身の釈明は、結果としてより燃料を投下する形となり、噂が余計に白熱してしまった。噂の鎮静化もこれでいくらか遠ざかってしまっただろう。


 しかし、伊織が気に病んでいるのはそこじゃない。

 もっと大事な、一番重要な部分。

 

「───君が」


 伊織は動かしていた手を止めると、顔を上げた。

 美也子の目をまっすぐ見つめ、真剣味を帯びた声色で言った。


「君が由貴に対してやったことは、たしかに酷いことだと思う。でも、他人がとやかく言うことじゃない。百歩譲って陰口ならまだしも、直接的な嫌がらせをするのは間違ってる。君に罰を与える権利があるのは、由貴と君のお姉さんだけだ」


 紛れもない、本心だった。心の内で募っていた気持ちを、そのまま吐き出す。


 予想だにしない伊織の言葉に美也子は若干戸惑いと驚きの表情を見せると、すぐに取り繕い、自嘲気味に笑った。


「違いますよ」


 続けて、美也子はきっぱりと言った。

 悲しみと自分への嫌悪と、それから絶念に満ちた顔。伊織なりに発した思いやりの言葉を強く拒絶するような、翳りに帯びた大きな瞳で───。


「え?」

「もとから私、こんな扱いなんです。噂がなくてもあっても、嫌われてます。友達もいないですし。私は、お姉ちゃんみたいにきらきらできません」

「⋯⋯それは、どういう───」

「後輩ちゃんっ! どこまでできたー?」


 伊織が問う前に茜が割り込んだ。茜は美也子とは対照的な人懐っこい朗らかな笑みを浮かべて、背後から抱きついた。肩に両手を回された美也子は、茜の表情を模倣したような顔を作り、振り返る。


「もうすぐ終わりそうですー。先輩たちが手伝ってくれたおかげです。ありがとうございますっ!」

「いやいや! 私は大したことしてないよーっ!」

「本当にね。九割僕がやったから」

「それは言い過ぎじゃない!?」


 瀬戸山も会話に参加し、完全に訊くタイミングを失った伊織。ため息をつくと、諦めて自分のわずかに残っていた作業に取り掛かった。


 ペットボトルのキャップを外しながら、伊織は直感的に思う。


(俺には、どうにもできないことだ)


 わかりきっていたことを、改めて痛感する。美也子の、あのどす黒い色に染まった瞳。その瞳を捉えるだけで、自分の言葉が届く前にかき消えて、何もかも呑み込んで、自己嫌悪で潰してしまう───そんな暗澹たる彼女の心情が、嫌というほど伝わってきた。


 伊織には明確な理由がわからないけれど、戸田美也子は自分や姉、それに周りの人間に対して強いコンプレックスを持っている。


 きっと、伊織がどんな言葉をかけても、気休めにもならないだろう。なにもかも悲観的に受け取るのが目に見えている。


(この子の闇を払ってくれる人がいるなら⋯⋯多分、それは───)


 自分でない他の人間を思い浮かべ、伊織は茜と瀬戸山のやり取りに微笑む美也子の顔を見据えていた。







 一時間ほどでペットボトルの作業が終了し、そのままゴミ出し当番は解散となった。伊織は茜や瀬戸山と別れ、地面に置いていたスクールバッグを背負った。

 そのまま、帰宅しようとしていた美也子の元へと近づく。手をあげながら、声をかけた。


「あの、ちょっと」

「冴木先輩? あぁ、さようならです」

「いや、そうじゃなくて⋯⋯」 


 別れの挨拶だと勘違いした美也子は、ぺこりと短めに頭を下げた。伊織はそれを頭を振って否定する。


「じゃあ、なんですか? ⋯⋯その、あまり私といると冴木先輩にも変な噂が立つかもしれませんよ?」


 美也子は気遣い半分困惑半分といった面持ちで言った。


「お、俺は別に大丈夫でしょ」

「いやいやいや。冴木先輩、私と噂になりかけましたからね?」

「えっ? う、嘘⋯⋯」

「嘘じゃないですねー」


 美也子の衝撃発言に伊織は全身を震わせた。自分がそういった色恋の噂に巻き込まれかけていたとは、初耳である。


「そんな、ばかな⋯⋯」

「そんなばかな、ですよ。ほら、私が冴木先輩を自習室に呼び出した日があったじゃないですか? その時に結構色々と憶測が飛び交って⋯⋯まぁ結局冴木先輩の影が薄いから忘れ去られましたけど」

「忘れ去られたんかい」

「はい。みんな、そんなわけないかーって感じでした」

「へぇ」


 普段の冴えない振る舞いが実を結んだのか───伊織は初めて自分のキャラが薄いことに感謝しつつ、本題に入った。


「ってそんなことより、あの、訊きたいことがあるんだけど⋯⋯」

「⋯⋯なんですか?」

「あのさ、『青球に駆ける』って漫画読んだことある?」

「え、はい⋯⋯読んでるというか、単行本も追ってますけど⋯⋯」

「なるほど。じゃあさ───」


 ここで区切ると、伊織はためをつくったあと、緊張が滲んだ声を出した。


「た、高杉彼方は『攻め』か『受け』、どっち派っ??」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」


 直後、美也子はフリーズした。伊織の質問の意味がちんぷんかんぷんだったためか、それとも意味はわかるけれど、意図がわからなかったからか、あるいはその両方か、とにかく美也子は氷のようにかたまった。


 ⋯⋯やがて、氷のとけた美也子は素っ頓狂な声を上げた。


「んぁ!?」

「だから、『青駆け』に高杉彼方ってキャラいるでしょ? それで───」

「いやいやいや意味がわかりませんよ! 急に何言ってるんですか! 私てっきりもっとシリアスなこと聞かれるのかと⋯⋯」


 美也子の反応は想定内とばかりに、さも普通に話を続けようとする伊織にたまらず彼女は突っ込みを入れた。

 それでも、伊織はかまわず続ける。一方的に、高杉彼方というキャラのBL適正について語り始めた。


「俺的にはクールで孤高の一匹狼キャラは、がつがつ『攻め』にいってほしいんだけど、それこそ獰猛な飢えた野獣みたいに⋯⋯だからさ、『受け』とかはありえない・・・・・かなって」

「だから何の話なんで、す⋯⋯⋯⋯ありえない・・・・・?」


 その刹那───美也子の目の色が変わった。


 困惑気味だった表情から一転、一気に険しくなり、鋭い眼光がまるで突き刺すように伊織を捉えた。どこからか取り出した細いフレームの桃色眼鏡をかけて、ブリッジをくいくいっと上下に動かす。


 そんな美也子の様子を見て、伊織は嬉しそうに口角を緩ませた。


「ありえない⋯⋯聞き捨てなりませんねぇ冴木先輩! 人様の性癖にけちをつける趣味はありませんが、こちらの領域に足を踏み入れ荒らしたとなれば⋯⋯話は別です⋯⋯! 今からとことん高杉彼方『誘い受け』の無限の可能性について語ってあげますよ⋯⋯!」

「君は『誘い受け』派なんだね」

「そうです! 始まりはまず、中学一年生の───」


 伊織はバイト先の後輩である君嶋葵の再来を予感しつつ、美也子の長くなりそうな語りに応じた。


 彼女が語り終えた頃には、空は眩ゆい夕焼け色に落ちていた。連日続く曇り空に抗うように、夕日は必死に顔を覗かせて、伊織と美也子を照らし───。


「なるほど⋯⋯色々と勉強になった」

「ふぅー⋯⋯まぁ、わかればいいんですよ!」


 伊織は美也子と一緒に校門を出て、住宅街を歩いていた。


「実はバイト先の後輩が重度のオタクで、BLも嗜むみたいだから、ちょっと興味が湧いてたんだ」

「そうだったんですね。なら、最初からそう言ってくれればよかったんですよ。急に意味不明な質問飛ばされて、私も困っちゃいましたよ」

「ごめん⋯⋯」

「別にいいですけどねー。あ、じゃあ私こっちなんで」

「うん」


 美也子は深々とお辞儀すると、道の途中でくるりと進行方向を変えた。

 そのまま先を進もうとする彼女を、伊織は控えめな声で呼び止める。


「⋯⋯あ、あのさ」

「はい。なんですか?」


 伊織は深呼吸をした。これから自分が発する何気ない言葉に緊張して、やや時間がかかったが、ようやく声を絞り出すことができた。


「君は、やっぱりそっちのほう・・・・・・が生き生きしてると思う」


 途端に───美也子は目を大きく見開いた。と思えばすぐに顔を歪ませ、やがて目を伏せた。あらゆる感情を交錯したような、複雑な表情だった。


 彼女は、震えた声で言った。


「なに、言ってるんですか」


 美也子の身体は小刻みに震えている。


「別に、ありのままを言っただけだよ⋯⋯そ、それじゃあ」


 言うと、伊織はそそくさと自分の帰り道を歩みだした。

 この時、内心は穏やかではいられなかった。心中で不安が渦巻き、消化不良な善意が燃料としてさらにネガティブな感情を増幅させていく。


(これぐらいは⋯⋯余計なお世話に入らない、よな⋯⋯大丈夫、かな⋯⋯?)


 どくどくと激しく鼓動を打つ胸を抑えながら、帰路を急ぐ。美也子の様子を確認する余裕など微塵もなかった。

 

 伊織は、美也子のことを何も知らない。

 けれど、どうしても言いたかった。


 無理してあの挑発的なキャラを演じていることだけは、間違いなかったから。


 ⋯⋯言いたかった。


 自分を卑下しないで───と。

 だから、素の彼女を心から褒めたのだ。

 ただ、それだけのことなのだけれど。

 

「どの口が言ってるんだって、話だよな」


 家路についた伊織は、春と冬が寝静まってから、リビングでそう独りごちた。




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