第22話 ごみ出し当番


 翌週の月曜日、放課後。


 伊織は課題に必要な教科書やノートを机の引き出しから取り出し、学校鞄に詰めていた。それを影光が後ろの席で欠伸をしつつ、待っている。


 そんな二人の元に、とある生徒が駆け寄ってきた。


「ねぇちょっと! 冴木くん⋯⋯!」

「わっ」


 急に浴びせられた大きな声に、伊織は肩をぴくっと跳ねさせた。驚いて声の主に振り向くと、そこには同じクラスのコミュ強少女、瀧山茜たきやまあかねが立っていた。

 彼女の綺麗に整えられたショートヘアから、何やら良い香りが伊織の鼻孔をくすぐった。


 茜は両腕を縦にぶんぶん振りながら鬼気迫る顔で、伊織をじっと見つめている。


「ど、どうしたんですか、瀧山さん⋯⋯」


 おどおどと毎度の如く敬語で尋ねると、茜はやっぱりといった顔で身を乗り出してくる。


「どうしたじゃないよ! 冴木くん、もしかして帰ろうとしてる?」

「そ、そうだけど⋯⋯」

「だめだよ帰っちゃ! 私たち今日ゴミ出し当番の日だよ!」

「⋯⋯⋯⋯あっ」


 伊織はそこでようやく気がついた。


 二年一組では出席番号順に上から四人ずつグループを作り、放課後に行われる週に一度のゴミ出しを当番制で回していくという決まりがあった。決まりというか、学校側が勝手に定めたものだけれど。


「やっと気づいた! 私と冴木くん同じ班だから、ほら、冴木の『さ』と瀧山の『た』で結構近いし。っていやそんなことはどうでもよくて───冴木くん、完全に忘れてたでしょ?」

「はい⋯⋯ごめんなさい」


 伊織は素直に認めて、謝罪した。


 迂闊だったというより、記憶が勝手に消去していた。ゴミ出し当番は伊織に限らず誰もが忌み嫌い、面倒くさがっている。

 以前伊織と影光がゴミを大量に運ばされたのは、その日の当番だった生徒が一人も職員室に来なかったからである。体よく押し付けられたというわけだ。


「もうっ! 危うく私一人で運ぶことになってたかもだよっ!」


 茜は頬を膨らませると、腰に両手を持っていき、伊織を可愛らしく説教した。


「面目ないです⋯⋯」


 ひたすら項垂れる伊織を見て気が済んだのか、茜はいつもの快活な笑みを見せた。


「よし、許したっ! じゃあ行こう。あそこに瀬戸山くんも待機させてるからっ」 

「瀬戸山くん⋯⋯?」

「そうっ、あいつも当番忘れやがってたから、捕まえといたっ」


 茜はそう言うと、自分の後方を指さした。

 その先には、高身長の美男子が引き戸にもたれかかっていた。眠そうに目を擦っている。


(あぁ、たしか⋯⋯蒼介と同じサッカー部の⋯⋯)


 伊織は彼を知っていた。同じクラスというのもあるけれど、一番は蒼介の友人だという印象が強かった。


「本当はもう一人いたんだけど、とっくに帰っちゃってて⋯⋯さ、行こうっ、冴木くん。あ、それからこれは特に関係ないけど、新田くん」


 茜は視線の先を伊織から影光に移した。


 それまで楽しそうに伊織と茜のやり取りを見ていた影光は、まるでカウンターを受けたように目を丸くした。


「な、なんだよ」


 影光がぶっきらぼうに答えると、茜はまた頬を膨らませる。


「なんだよじゃないよっ! 佐奈ちゃん、また前みたいに新田くんと仲良くなりたいって話してるよ。なのに、微妙に避けてるよね。佐奈ちゃんと仲良くしてあげなよっ」

「⋯⋯別に、避けてねぇよ」


 影光はバツが悪そうに、そっぽを向いた。


「本当に? それならいいけどさっ。じゃ、今度こそ行こ、冴木くん」

「う、うん⋯⋯」


 茜に促されるまま、伊織は荷物を急いでまとめて立ち上がり、廊下へ向かう。途中で瀬戸山も参加した。

 

 去り際、影光に「先に帰っといて」と言うと「おう、じゃあな」と別れの挨拶を返してくれた。

 彼の声に若干覇気がなかったことには、伊織以外誰も気づかなかった。


「収集場所に行く前に、クラスのゴミ袋が溜まった職員室に行かなきゃねっ」


 茜の言った通りまずは職員室に寄り、ゴミ袋を取りに行った。ゴミ袋は全部で十二袋もあった。

 先週また当番をすっぽかした不届き者がいたのと、体育祭の準備の影響でゴミが相当に溜まっていたらしい。


 三人で四つずつ持ち、校舎裏にあるごみ収集場所におぼつかない足取りで向かう。

 

「お、重ぃ〜⋯⋯!」


 女子らしからぬ唸り声をあげながら先頭を進む茜をよそに、瀬戸山はニヤニヤとした顔で伊織に近づき、囁いた。

 砂糖を大量にまぶしたような甘ったるい声が伊織の耳に侵入する。

 いわゆるイケメンボイスだった。王子様系の。


「冴木も茜に捕まったの?」

「う、うん」

「僕もサボろうかと思ったんだけどさ。ほら、みんなもサボってるし。でも、茜が警察みたいにしつこく追いかけてきたから断念した。ほんと、真面目だよなー」

「そ、そうだね」


 伊織はつまらない相槌を打って、瀬戸山の話を聞く。相手があまりにも眩しくてキラキラしていたものだから、伊織は萎縮してしまった。


 伊織が瀬戸山との会話のペースを掴みかねている間に、学校内でも滅多に来る機会がないであろう辺鄙の地に到着した。校舎裏である。


 階段を降りて外へ出た三人の視線の約二十メートル先に、罪人を閉じ込める時に使うような大きな鉄格子の檻が地面の上に設置してあった。

 

 檻に閉じ込めているのは罪人ではなく、学校中から溢れたごみを入れた袋の山だ。

 正面が開け放たれており、周辺には教師や他の当番の生徒たちが十数人集まっていた。

 

「あ、やっと一組きた。ほら、こっちこっち」


 笑顔の似合う中年女性教師が、伊織たちを呼ぶ。

 招かれるままに、三人は女性教師のところまでごみ袋を運んで行く。


 が、鉄格子に近づくほどに三人の目は怪訝なものに変化していった。


 なぜだか教師や生徒たちがペットボトルを持って、キャップとボトルに分別していたのである。


「もしかして⋯⋯僕たち、ハズレ引いた?」


 瀬戸山がため息混じりの声を出すと同時に、伊織たちは檻の前に着いた。

 地獄耳の女性教師がにっこりと口の両端を吊り上げると、瀬戸山の声に反応する。


「今日はゴミ出しの他に、ペットボトルの分別もしてもらいまーす。ゴミ出し当番はゴミの細かい処理も仕事に含まれてるからね、仕方ないね。ほら、君の持ってるごみ袋、たくさんペットボトル入ってる。それも分別対象」


 女性教師は伊織のごみ袋を指し示した。


 持ち上げて確認すると、たしかに四つのうち三つは、すべて空のペットボトルが入った袋だった。白半透明の袋だったので分かりづらいが、ペットボトル同士が擦れる特徴的な音でそれは確認できる。


「そういえば冴木くん⋯⋯私と比べて軽そうだね」

「えっ⋯⋯」 


 腰を曲げて重いごみ袋を運んでいた茜は、目を細めて言った。

 茜と瀬戸山から冷ややかな視線が伊織に注がれる。


(いや、知らんがな⋯⋯)


 伊織は沈黙を貫いた。


 持つのが楽だったのは否定しないけれど、決して故意ではない。







 結局三人は教師の指示に従い、使い捨ての透明手袋を嵌めると、大量にあるペットボトルの分別作業を始めた。

 瀬戸山が「なんで僕たちがこんなことしなくちゃいけないんですか」と不満を漏らすも、「こっちが聞きたい」と教師に返されては、何も言えまい。きっと真の敵は他にいるのである。


「はぁ〜だるい〜」

「文句言ってる割には瀬戸山くん⋯⋯早いね」

「そりゃあさっさと終わらせたいし、集中するよ」


 瀬戸山は俊敏な手付きで次々とペットボトルを仕分けていく。くるくるとキャップを外し、ボトルに中身が余っていたら近くの蛇口に捨て、二つの袋にぞれぞれ分けて捨てていく。

 

「あーもうっ! 手袋したままだとやりにくいよ〜!」


 一方の茜はよく滑るビニール手袋に悪戦苦闘中。

 不器用な手付きで進行速度は遅かった。


 教師の一人から「じゃあ手袋外す〜?」と煽られて「やだ汚い〜!」と嘆く。それを聞いて教師たちは笑ったが、目は死んでいた。

 教師陣も生徒と一緒にこの作業をしているからであろう。辛い感情が顔から滲み出ていた。好き好んでやっている者など、誰もいない。


 ちなみに伊織に関しては特に言うことはない。

 普通の作業スピードで、可もなく不可もなく⋯⋯。

 

「これ、冗談抜きで一時間ぐらいかかるかも⋯⋯あーしんどいよ〜! ───って、あ! また私たちと同じ犠牲者が!」


 茜は勢いよく立ち上がって、前方を指さした。


(───っ!)


 指で示された先にいる人物を見て、伊織は驚く。


 そこには、戸田美也子がいた。


 一人で八つほどごみ袋を抱えて、不安定な足取りで懸命にこちらへ向かってきていた。全身に力を入れて運んでいるからか、顔を歪ませている。だいぶしんどそうだ。


「あの子一人で持ちすぎだよっ! ちょっと手伝ってくるっ!」


 彼女の姿を見るや否や、茜は一目散に駆けつけて行った。伊織も助けようとおもむろに腰を上げたところで先に瀬戸山が茜に続いたので、これ以上の救援は必要ないと判断し、二人には続かず自分の作業を続行した。


 美也子は助けに来てくれた二人の先輩にぺこぺこと頭を下げ、遠慮がちにごみ袋をいくつか渡した。

 ごみ袋を受け取った瀬戸山と茜は美也子を自分たちの作業スペースに誘導した。「一緒にやろう」と声をかけたのだ。


 美也子は丁寧に何度も感謝を述べながら檻付近までやって来ると、伊織の隣に腰かける。


「わっ! さ、冴木先輩、なぜここに⋯⋯?」


 そこでようやく、彼女は伊織の存在を察知した。

 彼女から見て伊織は背を向ける形になっていたので、無理もない。


「なぜって、当番だからだけど⋯⋯」

「あっ、なるほど⋯⋯いやぁ、冴木先輩とは何かと縁がありますねー」

「そうだね」


 軽くやり取りを交わすと、美也子と一緒に戻ってきた瀬戸山と茜が意外そうな顔をした。


「あれ? 冴木くんこの後輩ちゃんと知り合いなの?」


 茜は持ち場に腰を下ろしてごみ袋をその場に置くと、興味津々に言った。


「いや、知り合いというか───」

「はい、知り合いです。なんなら心の友です」

「⋯⋯まぁ、それでいいや」

「えっ。いやいや突っ込んでくださいよ」


 ちゃんと答えるのが面倒になった伊織は、美也子の冗談に乗っかった。


 事実、伊織と美也子の関係など無きに等しく、知り合いというにはあまりに親交が浅い。

 この薄い関係性を説明するのが億劫だった。


「へー、そうなんだっ!」

「どう見ても冗談でしょこの反応は⋯⋯」


 純粋な茜はあっさりと信じるが、瀬戸山がすぐさま首を横に振った。


「というか、僕たちも知ってるよこの子。君、一昨日の朝僕らのクラスにやってきて色々叫んでた子でしょ?」

「あー⋯⋯⋯⋯はい。その節はどうもご迷惑を⋯⋯私あの時、気が動転してて⋯⋯」


 瀬戸山が言うと、美也子が恥ずかしそうに顔を伏せた。どうやら、彼女の中で黒歴史認定されているらしい。


「え? そうだったっけ⋯⋯? 私覚えてない⋯⋯」


 茜は口元に人差し指を当て、首を傾げた。


「おい嘘だろ? はぁ⋯⋯茜の記憶力が心配だな」

「なっ⋯⋯なんだとぅ!」


 茜が本日三度目である頬の膨らませを行ったところで、教師からお喋りの注意が入り、美也子も含めた四人は真面目に作業を再開した。




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