第21話 勇気の大告白


「え、なになに?」「びっくりした⋯⋯」「つーか妹ちゃんじゃん」「由貴が手出した子?」「うわタイムリー」「でもなんでうちのクラスに?」「さぁ?」


 美也子が突然乱入し、クラスの生徒が数人ヒソヒソと言葉を交わすが、すぐに消えて、教室は水を打ったように静まり返った。


 伊織は一瞬、美也子は自分を呼んでいるのかと思った。先週に前例があるので、理由は不明だがまた自分を呼び出しにきたのかもしれない、と。


 だが、伊織の予想に反して美也子の双眸はクラス全体をじっくりと見回していた。

 クラス一人ひとりの目を順番に視認していくような、あるいは噂に呑み込まれたクラスの雰囲気そのものと対峙するような、鋭い瞳だった。


 やがて教室の中をすべて見終えると、美也子は深呼吸した。

 そして、二歩ほど前に進み、もう一度息を吸って、吐き出すように言った。


「え、えと⋯⋯ど、どうもっ! わたくし現在噂の渦中にいる戸田美也子ですっ! きょ、今日は皆さんの誤解を解きたくっ、朝から図々しくも馳せ参じましたっ!」


 しどろもどろに、懸命に、必死に言葉を紡ぎ始めた美也子。

 その姿には、過去に伊織を呼び出したときのような余裕や小悪魔的態度は一切感じられなかった。

 本屋の時に見せた彼女の様子とまったく同じだ。


「た、単刀直入にいうとですねっ⋯⋯ゆ、由貴───大山先輩からっ、わ、私に手を出したのいうのは⋯⋯真っ赤な嘘ですっ!」


 美也子はおそらく自分が出せる最大限の声量を駆使し、由貴の潔白を主張した。

 それに対するクラスの反応はというと、ほとんどは口をぽかんと開けて、彼女が言ったことに対して困惑している様子だった。


 無理もないだろう。噂が学校中に広まっていると言っても、仮に百人いて百人全員が噂話に花を咲かせるわけではない。過半数以上は耳に入ったとしても話題に触れないだろうし、そもそも興味がないという人間のほうが多いのだ。こうなるのは至極当然のことである。


 それでも、美也子はかまわずに続けた。

 半分以上には関心がなくても、教室の中に必ずいるであろう、一部の噂好きの人に伝えるために。


「大山先輩とお姉ちゃんの仲が少し悪くなっちゃったのは、私のせいです。つ、つまりですね⋯⋯その、私から大山先輩にキスしたんですっ!」


 美也子ははっきりと、声を張り上げて告白した。

 彼女の可愛らしい声は教室内をよく通り、誰一人として聞き逃した者はいなかっただろう。


「まじかよ」


 まさかの告白を受けて、影光がぽつりと言う。

 伊織も心の中では異口同音だった。噂好きの女子グループも「まじ?」と互いに顔を見合わせたあと、好奇の目線を美也子に注いだ。


「はい! そうです! 私が最低だったんです! 由貴先輩のことが大好きで大好きで⋯⋯もうとめられなくなっちゃって、キスしました! お姉ちゃんの彼氏を奪ってやろうって! 大失敗でしたけど! はははっ!」


 美也子の口調は自嘲を超えて自棄になっていた。

 なにかを押し隠すように大袈裟な身振り手振りをつけていて、とても痛々しい。


「ということですので皆さんっ! 誤解無きようお願いしますっ!」


 彼女の弁舌が終わるタイミングを狙ったかのようにチャイムが鳴って、同時に担任の早乙女が呑気な顔で教室に入ってきた。

 ろくに前も見ていなかったので、美也子とぶつかりそうになる。


「はーいお前らぁさっさと席につけ───ってわぁっ! び、ビックリしたぁ⋯⋯どうした? 一年生かぁ?」


 言いながら、早乙女は教卓の前に立ち、生徒名簿とプリントが入ったファイルケースを手元に置いた。


「なんか用かぁ?」

「あ、いえいえ! なんでもありません! 失礼しました!」


 美也子は早乙女の問いに適当に返すと、踵を返して教室を出ていった。


「⋯⋯?」


 早乙女は頭に疑問符を浮かべたが、さっさと切り替えて、出席を取り始めた。


 ホームルームが滞りなく終了し、一時間目が始まるまでの五分休憩にて、影光が先ほどの出来事について切り出した。


「それにしても、さっきはビックリしたなぁ」

「うん」

「まさか戸田妹が単身で乗り込んできて自分から噂の訂正をしてくるとは。それもあんな大勢の目に晒された状況で⋯⋯メンタル尊敬するわ」


 影光は皮肉ではなく、本当に感心を含んだ声音で言った。


「あのガン決まりの覚悟なら多分、他のクラスにも言い回ってるだろうな。むりやりキスとかとんでもねぇことしてる割には、誠意ある。でも、ちょっと悪手かもな」

「悪手?」

「うん。だってあんなあからさまな自白、普通はしねぇだろ。これじゃあ素直に受け取られないかもしれない。強引に由貴が戸田妹に自白させて罪を被らせたーとか、またゴミみたいな解釈する奴が現れるぞ」

「あー⋯⋯」

「まぁ、しばらくは噂が二分するな。戸田妹が言ったことが事実だっていう説と、由貴が戸田妹を盾にしてるって説に。戸田妹は相当勇気出したんだろうけど、やっぱり最後は噂が風化してくれるのを待つしかねぇよ」

「⋯⋯そうだな」


 伊織が相槌をうったところで一時間目の授業開始を告げるチャイムが鳴り、会話は終了した。


 伊織は数学の授業中、窓の外を眺めていた。

 外はどんよりと暗く、雲が空一面に満たされている。

 最近はずっとこんな調子だ。

 

(戸田妹は結局、何をしたかったんだろう)


 ふと、そんな疑問が脳裏に浮かぶ。

 美也子は何を考え、何を感じ、行動に至ったのか。


 しかし、伊織にそれを知る術はない。


 ここまでの話は結局、伊織があくまで“第三者視点”で聞いた情報である。


 キスの件も、由貴と戸田姉とのぎくしゃくも、噂が広まった過程も、伊織は実際に見たわけでもなければ詳細を知っているわけでもない。

 

 所詮、蚊帳の外。伊織には直接的な関係がない。


 さらに言えば、由貴の問題に踏み込むのもお門違いである。

 影光が口酸っぱく言っていたように、過度な干渉は行うべきではない。せいぜい相談を聞いて、軽いアドバイスを与える程度に留めておくのがいいだろう。


 友人は、友人キャラのまま、イベント盛りだくさんな由貴の成り行きを見守ることに徹するべきだ。


 わかっては───いる。


 それでも伊織は、もやもやした。

 頭の中の霧が頑なに晴れてくれない。


 なぜだか、どうしても、他人事とは思えない気がしてくる。


 何重にも複雑に重ねられた感情で揺れる自分を感じながら、伊織は早乙女に当てられるまで、ずっと虚空を見つめていた。






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