第18話 友人キャラの憂鬱


「それでですね先輩⋯⋯って、聞いてますか?」

「んー? うん」


 週明けの月曜日。午前十時。


 カードゲームショップのショーケース前で、バイト用の制服を着た伊織と葵───君嶋葵が二人並んで立っていた。


 葵は影光ガールズ(影光が好きな女の子の総称)の内の一人であり、伊織には恋愛相談に乗ってもらっている。

 一気に二人も増えてしまった恋のライバルに対抗すべく、先週の火曜日に恋愛相談の約束を取り付けていた。


 本日月曜日は、伊織たちの学校が創立記念日で休み───つまり三連休の最終日。

 ゆっくりと相談に乗ってもらうのに、ピッタリな日だ。


 しかし、今日の伊織はずっと上の空で、葵の言葉に曖昧な相槌を打っているだけだった。


 黙々とショーケースに飾られたカードの在庫確認を行いながら、けれど意識は別の方向に流れていて、完全にどこ吹く風の状態である。


 浮かない表情も相まって、まさに“憂鬱”と言って差し支えない様子であった。

 どこか、顔が赤みがかっているようにも見える。


 葵はとうとう堪えきれず、持ち前の庇護欲を唆られるような可愛らしい声を張り上げた。


「ちょっと先輩! 聞いてますかって!」

「わっ! あ、ごめん⋯⋯」


 伊織は肩をぴくりと跳ねて、やっと葵のほうを向いた。葵は在庫が事細かに記された紙を挟んだクリップボードをぎゅっと両腕で抱えながら、伊織をじろりと睨んでいる。


 ただ、葵は小ぢんまりとした身長に柔らかそうな栗色のボブカット、加えて大きな瞳を持ったいわゆる童顔であるからして、あまり怖くなかった。

 怒り慣れていないので、余計それが顕著に現れる。


「もう! 先輩さっきから私が何言ってもずっと心ここにあらずって感じで無視して! 相談云々の前に普通に傷つきますよ!」

「本当にごめん⋯⋯ずっと考え込んでた。あ、この『龍神ベアリング』枚数多いな。買取金額下げといて」

「まったく先輩は⋯⋯まぁ私は相談に乗ってもらってる側なのであまり偉そうにはできないですけど⋯⋯はい、わかりました。『龍神ベアリング』、下げときます」


 仕事をこなしながらも、会話を始める二人。

 葵は紙にボールペンで書き込みつつ、


「それで? 何を考えてたんですか? 珍しいじゃないですか先輩が考え事なんて⋯⋯あ、『右脳の虜玉とりこだま』あと何枚ですか?」

「いや、ちょっとね⋯⋯色々周囲の人間関係に巻き込まれすぎて⋯⋯『右脳の虜玉』、あと一枚。やっぱこのカード人気だなぁ。ルール改定からずっと覇権だ」

「え、それってもしかして私のせいでしょうか⋯⋯? なんか、すみません⋯⋯『右脳の虜玉』は序盤の“貯め”に必須ですからね」

「いや、君嶋は関係ないよ」


 鼻声で否定すると、葵が訝しそうに覗き込む。


「⋯⋯あともう一つ気になってたんですけど、先輩ちょっと風邪気味ですよね?」

「あぁ、うん⋯⋯昨日友達と遊びに行ったんだけど、雨に濡れちゃって」 


 昨日の朝に伊織が抱いた不安は残念ながら的中し、本屋を出たあたりからビルの外はどしゃ降りの雨雫に打たれ始めていた。


「傘、忘れたんですか」

「うん。途中までは降ってなかったんだけど、帰り際一気に降り出してきて」


 ちなみに伊織と家が近い影光も傘を忘れていたので、相合い傘もかなわず、二人仲良くずぶ濡れで走って帰った。


「災難ではありますが、自業自得ですね」

「その通り」


 伊織は頷くと、ショーケースの中から残り一枚となった『右脳の虜玉』を取り出した。

 人差し指と中指で挟み、葵に見えるように掲げる。


「『右脳の虜玉』を影光の誕プレにするのはどう?」

「えっ」


 突然話題が変わり、葵は目を瞬かせた。


「ど、どうしたんですか急に⋯⋯」

「どうしたんですか急にって⋯⋯影光へのアピールを提案してるんだよ。やっぱりあいつはこういう現金なものが一番喜ぶと思って」

「そうじゃなくて⋯⋯今は先輩の話だったはずじゃ⋯⋯」

「風邪なら大丈夫だよ」

「いやそれもですけど⋯⋯思い悩んでる様子だったじゃないですか」

「あー、別に話すことのほどでもないし、気にしなくていいよ。君嶋も俺の話とか興味ないでしょ」


 伊織は自嘲するでもなく、さも当たり前の事実のように告げ、『右脳の虜玉』をショーケースに戻した。


 葵は心外だとばかりに眉を顰め、


「興味ないというのはあながち間違っていませんが、それとこれとは話が別です。私は先輩に協力してもらっている立場です。私だけ話を聞いてもらって甘い蜜を吸おうなんて虫がよすぎます。先輩に困ったことがあるのなら、私は恋愛相談のお礼としてできる限り協力したいと思っています。相互扶助の精神です」


 葵は早口でまくしたてると、腕を組んで、むふーっと鼻息を鳴らした。一応これも怒りを示しているようだが、可愛いにしかならなかった。


「君嶋⋯⋯お前いいヤツだな」


 これは心からの本心だった。

 君嶋葵の律儀さについては、伊織も常々見習いたいと思っている。


「なんですかその抽象的な褒め方⋯⋯」

「いや、これならひねくれ者の影光も墜とせるかもしれないなって思って」

「えっ! そ、そうですかね⋯⋯」


 頬を紅潮させ、腰をくねらせる葵。

 影光の名前が出たことで、意識がそっちに移ったようだ。


「うん。その調子で頑張れ」

「はい⋯⋯!」

 

 葵が元気よく返事する。


 うまくはぐらかすことに成功した伊織はため息をつき、安堵した。

 正直、伊織としてはこの心境を誰にも打ち明けたくはなかった。


 だが、頑固な葵のことだ。

 このまま話題をすり替えないと、伊織が話すまで諦めなかっただろう。


 そして、肝心な伊織の物思いとは、戸田鈴零の妹───戸田美也子のことだった。


 伊織の中で、彼女に対する関心が強まっていた。

 平たく言えば、気になっている。


 けれど、そこには決して恋愛感情なる色は一切含まれていない。

 これも平たく言えば、一種の“同類”に対する共感───。


 彼女と自分は似ている。

 伊織は自分でも驚くぐらい、親近感を覚えていた。


 先週、美也子に言われたことを思い出す。


 ───もう大体、わかりましたから!


 これは、彼女もあの時自分を同類だと認識したのではないだろうかと、今になって伊織は思う。

 

 同類・・───それは、周りには恵まれているけれど、自分自身は空っぽ。

 

(まぁ、これ以上あの子のことを考えても仕方ないか⋯⋯どうせ、もう話すこともないだろうし)


 鉛のような重い思考が仕事に支障をきたしそうになったので、頭の中でかき消した。


 その後は何も考えず、ただひたすら無心に作業を続けた。


 それが功を成したのか、ショーケースの確認作業が早めに終了した。

 休憩室に戻る道すがら、伊織は葵にあることを訊いてみた。


「そういえば君嶋、戸田美也子って知ってる?」

「なんですか急に? ⋯⋯はて、存じませんね」

「青風院高校の生徒だよ、一年生。あと生徒会長の妹なんだけど」

「あぁ、知ってますよ。その妹さん⋯⋯なるほど思い出しました。たしか私と同じクラスです」


 得心したように頷く葵に、伊織は思わず苦笑する。


「同じクラスのやつ忘れてやるなよ⋯⋯」

「忘れたわけではありません。端から人に興味がないので、脳が覚えようともしていないのです」

「相変わらずだな⋯⋯えぇと、じゃあもう一つ。君嶋ってBLは嗜む?」

「これまた藪から棒な質問ですね⋯⋯今日の先輩、ちょっと変ですよ⋯⋯? まぁ、大好きですが」

「大好きなんかい」

「そりゃ、もう。最高ですよ」

「⋯⋯やっぱり、『青駆け』とかでも想像したりするの?」

「そうですね。本来の楽しみ方ではないというのは重々承知していますけど、やはり豊かな想像を働かせてしまいます。高杉彼方くんはやっぱり誘い受けが似合うなぁとか⋯⋯あ、もちろん純粋にストーリー漫画としても面白いと思っていますけど、私はBLに限らず妄想癖がありますので⋯⋯」

「へー。たとえばどんな妄想?」

「そうですね⋯⋯これもBL的な妄想なのですが、たとえば影光先輩と冴木先輩のカップリングで想z⋯⋯ゲフンゲフン。いえ、なんでもないです」

「⋯⋯今の咳払いは正しい判断だと思う。これからは気をつけて」

「⋯⋯すみません」


 伊織はこの話も頭から削除した。


 世の中、考えれば考えるほど、疲れるのだ。


 伊織はくしゃみをすると、寒そうに鼻を啜った。

 




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