第15話 一ヶ月ぶり


 時はあっという間に過ぎるもので、もう日曜日がやってきた。


 時刻は朝の九時。


 薄暗い灰色の空の下、伊織は駅前にある待ち合わせ場所に真っ先に到着していた。


 携帯で時計を確認して、空を見上げる。


(やっぱり傘持ってこればよかったな⋯⋯)


 ここ最近は梅雨の影響か、曇りの日が多い。


 天気予報によれば今日の洪水確率は約ニ十%で、伊織は傘を持ってこなかった。


 だがこの淀んだ空を見ていると、不安になってくる。


「おーい! 伊織〜〜」


 由貴が大きく手を振りながら駆け寄って来る。


 無地のTシャツに薄手のジャケットを着こなして、肩には黒のショルダーバッグ。


 そして、右手には折りたたみ傘を握っている。

 伊織の不安が加速した。


「おー由貴、やっぱ今日降るかな?」


 伊織は目線を落として、由貴の傘を見る。


「いやー天気予報見る限りいいかなって思ったんだけどさ。外出た時この空見たら不安になっちゃって⋯⋯」

「だよなー、俺も持ってこればよかった⋯⋯」

「降ってきたら入れてやるよ!」


 由貴はハハッと笑い、右手の傘を軽く振り回す。


「男同士で相合い傘は勘弁」


 つられて伊織も微笑する。


「⋯⋯遅くなった」

「おー蒼介! 別に俺も今来たところ!」


 しきりに蒼介も現れた。

 ツーブロックに仕上げた黒髪を風に靡かせて、眠そうにまぶたをパチパチさせている。蒼介は朝にめっぽう弱い。

 男前の顔がふわふわしていてギャップ萌えを感じる。


「⋯⋯よっ」


 蒼介は右手を上げて伊織に会釈した。


 表情は今の天気には似つかわないほど、まっすぐで晴れ晴れとしている。


 素っ気ない顔に見えて、意外と分かりやすい。


「お、⋯⋯おう」


 しかし、伊織はおどおどとしていて言葉に覇気がない。蒼介とまともに話すのは一ヶ月ぶりだった。

 ブランクのせいで距離感が掴めずにいるのか、ただ単に緊張しているのか、目を泳がせている。


「なんだよ伊織! 緊張してんのか?」

「痛っ」


 由貴はガハハと笑いながら、伊織の背中を叩く。

 前に一歩押し出されてよろめく伊織。


「そうなのか?」


 蒼介は不思議そうに首を傾げる。

 

「え、いや!? 久しぶりに会ったから距離感掴めなくて⋯⋯」

「そうか⋯⋯」

「なんでそんなよそよそしいんだよ。遠距離中のカップルか!」


 由貴のツッコミで場が少し和み、三人で笑う。

 伊織はいつもの雰囲気に安堵した。


 蒼介と由貴とは、部活も絡む友達も大きく異なる。

 おまけにクラスも毎年違うので、中学からは学校で一緒に過ごす時間が減っていった。


 こうやって一ヶ月もろくに話さないことなんてざらにある。

 ただでさえ友達の少ない伊織は、すぐに距離感を見失って蒼介と由貴から距離を取ろうとするが、由貴と蒼介はまったく意に介さず、離さない。


 伊織はそれに、いつも助けられている。


「悪い、遅れたー」


 駆け足で影光が寄ってきた。


 トントン拍子で四人が揃う。

 この中に遅刻魔はいない。

 全員きっちり集合時間の五分前には集まってくる。


「おー全然待ってないー⋯⋯って、何その服?」


 由貴が目を丸くして、影光のTシャツを指差した。


「あぁこれ? いいだろ、俺のお気に入り」

「へぇ⋯⋯」


 影光はTシャツの襟付近をつまみ上げて、自慢気に見せつけた。

 そこには、ピンク髪の美少女キャラクターが面積いっぱいにでかでかと印刷されていた。


 影光の大好きなラブコメアニメ『プリプリストロベリー』のメインヒロイン、リリー・キュルキュルちゃん。

 タイトルとメインヒロインの名前だけで、とてつもなくカオスなアニメだということは容易に想像がつくこの作品は、名前通り可愛さ全振りのラブコメアニメだ。


 作中数々の場面で「そうはならんやろ」と言いたくなるシーンのオンパレードが巻き起こるのだが、訓練された熱狂的なファンは「なっとるやろがい! キュルキュル!」と口を揃えて言っている。


 伊織はこのアニメの独特なノリについて行けず切ってしまったが、影光は最後まで完走し、無事沼に落ちた。


 ちなみにNCG(影光のハマっているカードゲーム)はこの作品とコラボしていて、『プリプリストロベリー』のブースターも発売している。


「伊織はこのキャラ知ってるのか?」

「知ってるけど、このアニメ俺には合わなかったんだよな⋯⋯」

「なるほど」


 蒼介の言葉に今度は問題なく返せたので、一安心する伊織。

 距離感を見失うのは毎度のことだが、慣れれば問題ない。


「さぁ全員揃ったし、行こう!」

「おう」


 由貴の声に残りの三人が返事した。


 主に、伊織たちの遊びのパターンは三つ。


 ①外に出て遊ぶ

 ②誰かの家で遊ぶ。

 ③外に出て遊んだあと、誰かの家で遊ぶ。


 今日は①のパターン。 今いる駅から三駅進んだ先に、この街一番の繁華街に出る。


 そこで一際目立つのが『ミネクトビル』だ。

 映画館やゲームセンター、カラオケといった娯楽施設が充実しており、飲食店の種類も和・洋・中なんでもござれとばかりに揃っている巨大なアミューズメントビル。


 伊織たちは外に遊びに出る時は基本的にここで時間を過ごす。

 由貴を中心に他愛ない会話を続けながら移動をし、目的地にやってきた。

 休日なだけあって人でごった返しているが、ガチの都会と比べればきっとマシだろう。


 最初に回ったのはボウリングだった。


「しゃー! やりーっ」


 意外にも影光は四人の中で一番うまくて、最終的に170超えの高スコアを叩き出していた。


「よし、投げるぞ。お前ら見とけよ。パワー溜めてぶっ放すからな⋯⋯いくぞ⋯⋯いくぞ⋯⋯」


 ただ、毎回球を投げる前にエネルギー充填だとか言ってなかなか投げようとしないので、他の三人はボウラーズベンチに座り、興味なさそうにスマホをいじっていた。

 時々よくわからない格好のつけ方をする影光に有効な対処法は、とことんスルーすることだ。


「あれ、由貴なに見てんの?」

「あーこれ? まぁ、鈴⋯⋯彼女の試合動画っ!」


 伊織が尋ねると、由貴はスマホの画面を見せてくれた。蒼介も気になったのか、覗き込む。


 画面上には、ユニフォーム姿の戸田鈴零が自分と色の違うユニフォームを着た女子が白熱したラリーを繰り広げる姿が映し出されていた。


 どうやら、公式がアップロードした卓球の大会の試合動画らしかった。わざわざ動画に収められていることから、大会の規模が大きく、かつ結構いいところまで勝ち進んでいることが伺えた。


「これ、試合が動画になって全世界にアップされてるってこと? 生徒会長、やっぱりすごい」

「一応、全国大会らしい。まぁこの試合は惜しいところで負けちゃったみたいだけど」


 照れ笑いを浮かべて、由貴は答えた。


「十分すごいよ。な、蒼介」

「おう。かっこいい」


 カメラから見て奥側に戸田鈴零が映っているので、彼女の瞳の奥に宿す熱い闘志が画面越しにも伝わってくる。目力が修羅場を幾度もくぐり抜けてきた人間のそれだった。


 伊織と蒼介が称賛を送っていると、影光がしかめっ面で割り込んできた。


「お前ら、無視すんな」

「あぁ、ごめん。もう投げた?」

「いや、まだ」

「はよ投げろ」


 伊織は呆れながら突っ込んだ。

 言われた通り投げて(ストライクだった)、ボウリングが再開した。

 

「あー、やばい」


 蒼介はガターを連発、50未満で終了した。

 投げ終わるたび、それほど悔しそうでない声を上げていた。


「下手くそー! 次から球蹴ってピン倒せば? サッカー部だし」

「ただの迷惑行為だろ」

 

 影光が軽口を叩いたが、蒼介は肩をすくめて正論を返す。いつもの二人のやり取りだった。


 伊織と由貴は可もなく不可もなくの成績で、平均的スコアである110前後に落ち着いた。


 結局、調子づいた影光が三人に頼み込んで3ゲームも投げた。伊織はもう腕がパンパンだった。



 昼食は無難に100円回転寿司を食べた。


 蒼介は刺し身が苦手で、穴子や玉子、海老天寿司などを注文する。ラーメンも頼んでいた。


「まーた蒼介が刺し身避けてるよ。好き嫌いなくさなくちゃだめでちゅよ〜」

「うっせ」


 影光の煽りに、さほど苛ついた様子もなく蒼介が流す。それに対し、影光は満足そうに唇の端を吊り上げる。


 伊織はというと、久しぶりの外食だったのでネタの種類問わず大量に注文した。

 ボウリングの影響で感覚が鈍り始めた指先をなんとか動かし、ネタを口に運んでいく。

 咀嚼するたび、自分のなけなしの貯金を切り崩して飯を食べるという感覚に、愉悦を覚えた。


「そういえば由貴。お前、彼女と上手くいってんのか? 妹にキスされたんだろ?」


 テーブル席で談笑する中、影光が例の話題を唐突に切り出した。

 現在由貴は彼女の妹にキスされて、面倒な状況に陥っている。

 彼女へ正直に報告したことは聞いていたが、その後の進捗は不明だった。


 影光は向かいの席に座る由貴にやや前のめりになって、身体を乗り出す。

 蒼介は驚いた顔で、由貴に視線を向けた。


「それが⋯⋯一応仲直り? はしたんだけど、最近元気無さそうで⋯⋯」

「愛想尽かされちゃったりしてな」

「じょ、冗談でもそういうこと言うなよ⋯⋯!」


 影光のからかいに由貴は頭を抱える。


「でも、会長は由貴にベタ惚れだったよ。影光も見たでしょ? あの惚気具合」

「あーたしかに。そういえば、そうだったな」


 伊織がすかさずフォローを入れる。

 実際、あの様子を見て愛想を尽かしたようには見えなかった。

 他に元気がない理由として考えられるのは⋯⋯。


(妹の美也子だな⋯⋯)


 伊織は目の前の皿に置いてある炙りサーモンを、抱いている不安ごと呑み込むように、口いっぱいに頬張った。




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