第14話 戸田美也子


 その日の放課後。

 伊織は影光と別れたあと、自習室Aの引き戸を開いた。


(まだいないか⋯⋯)


 伊織を呼び出した美也子はまだ来ていなかった。


 通常の教室の約半分の広さで、長机一つに横一列椅子が六つ羅列されている。


 二階の隅の方に設置してあるこの自習室Aの使用率は極めて低い。

 故にほぼ空き教室と化しており、サボり魔御用達の場所となっている。


 もはや何の為にこの教室が存在するのか甚だ疑問だが、そんなことは今どうでもいい。


 伊織にとっては、早くこの意味不明な状況から抜け出したい、その一点の気持ちしかなかった。


 改めて呼ばれた理由を自分の中で整理して熟考しても、罵詈雑言を吐かれる未来しか想像がつかない。


(落ち着かない⋯⋯)


 挙動不審に辺りをキョロキョロ見回して、首筋に冷や汗をかく。


 その後特に理由もなく、背負ってるリュックを揺らしてウロウロする。

 とにかくじっとしていられなかった。


「遅れてすみませーんっ⋯⋯委員会呼ばれちゃっててー⋯⋯」


 伊織が自習室に入ってからまもなくして、美也子が急いだ様子で引き戸を勢いよく開く。


 美也子は目にかかった髪を右耳にかきあげて、少し息を切らしながら頭を下げた。学生鞄を左肩に掛けている。


「⋯⋯ぜ、全然⋯⋯今来たとこです⋯⋯」


 伊織は動きをピタッと止め、待ち合わせに遅れた人を気遣うような台詞を敬語でたどたどしく口にする。下を向いて目を合わせようとしない。

 いや、合わせられない、のだ。


 伊織は見知らぬ女子と話すと緊張(以下略)。


「あ、あの⋯⋯大丈夫ですっ? ずっと下向いてますけどー⋯⋯あっ、もしかして具合とか悪い──」

「い、い、いや全然大丈夫なんで!」


 心配して寄って来る美也子に手でストップをかける。それ以上近づくなと言わんばかりに、血相を変えて皮膚越しに骨が浮き上がるぐらい右手を広げて力を全集中させていた。


「そ、それならいいんですけどー⋯⋯」


 美也子は右足を後ろに引いて、若干引き気味に言葉を返した。


「あ、あの⋯⋯」

「はい」

「な、何の用でしょう?」


 伊織は頭を上げて、単刀直入に訊いた。


 わざわざ校内で辺境の地扱いされている誰の目にも触れないであろう自習室Aに呼び出された理由。


 伊織はそれが気になって気になって、二限目からの授業がまったく頭に入らなかった。


「あ、いや全然、大したことじゃないですよ! ちょーっと由貴先輩が信用している親友さんのことが気になって⋯⋯どんな人かなーって」


 美也子は右手を振ったのち、親指と人差指を寄せて輪っかを作った。


「は、はぁ⋯⋯? それだけ、ですか?」

「はい、それだけですよ」


 伊織はかなり拍子抜けして、右手を下げる。

 そして、緊張の紐が緩んだ。 本当に大したことなかった。


 てっきり文句を吐かれるとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。

 むしろ逆で、興味を持ったという。


 姉妹揃って変な人だなと思う伊織に、美也子は口を開いた。


「いやぁ〜由貴先輩って優柔不断じゃないですか? 私にキスされたことをお姉ちゃんに黙ってたのは、お姉ちゃんが傷つくかもと思って言えなかったからみたいですし」  

「⋯⋯⋯⋯」

「後々のことを考えたら、絶対すぐに報告すべきなんですけどね。まぁ私はそんな由貴先輩の性格を知っててキスしたわけですけどー」


 身振り手振り悪びれなく、饒舌に話す美也子を見て、伊織はムッとする。


 たしかに由貴は人を傷つけることを第一に嫌い、そのせいで決断力が鈍くなるときがある。


 しかしその厄介な性格を利用したのは美也子だ。


 関係を壊しかけた張本人が取る態度ではなかった。


「でも私の予想とは裏腹に、次の日にはもうお姉ちゃんに報告してて⋯⋯あれ、読み間違えたかなって思ってたら、親友に相談したって聞いて⋯⋯」


 美也子は伊織を見つめ、ニコッと頬を緩ませる。


「由貴先輩がそんなにも厚く信頼している親友さんって、一体どんな人なのかなーって」

「⋯⋯⋯⋯はぁ」


 前のめりの姿勢で、上目遣いで伊織から目を離さない。

 が、数十秒後、


「でも大丈夫ですっ! その反応でもう大体分かりましたから」 と笑顔で言って踵を返した。


 笑顔に笑顔を重ねるように作った表情に、伊織は強い印象を受けた。

 腹黒さというよりかは、どこか悲しそうな顔で、伊織は幾分と違和感を感じた。


 そのまま去ろうとした美也子に、伊織は声を投げる。


「あ、あの⋯⋯!」

「はい?」


 美也子は今までほぼ無言だった伊織に呼び止められて、目を点にした。

 伊織に左肩を向けて返事をする。


「な、何が目的か知りませんけど⋯⋯由貴の邪魔はもうしないでください⋯⋯」


 段々と語尾が小さくなっていく伊織の喋り方に、美也子はさらに笑顔を重ねた。


「あ、はい分かってますよ! もう二人に土下座で謝罪して許してもらえましたしー⋯⋯伊織先輩を呼び出したのだって、純粋に気になっただけですから」

「あと、その⋯⋯」

「まだ何か?」


 伊織は握りこぶしに力を入れて、声を張り上げる。


「由貴は俺に相談しなくても、ちゃんとどうするか決めてたよ。それに由貴は⋯⋯あなたのことも考えてたから、彼女に報告することを躊躇ってたんだと⋯⋯思う」


 最後は頑張って敬語を殺して、美也子にそう伝えた。由貴は周りの人間が傷つくことを嫌う。

 たとえそれが、彼女との関係を壊しかけた泥棒猫だったとしても。


「⋯⋯知ってますよ。でも私は、あんな方法でしか⋯⋯」


 美也子は小声でそう言い残し、学生鞄につけたキーホルダーを鳴らしながら小走りで去っていった。


「⋯⋯⋯⋯」


 伊織は美也子の台詞の中で一番印象に残ったものを、もう一度脳内再生する。


 ──もう大体、分かりましたから


「⋯⋯なにが、わかったんだよ」







***






 その日の夜、伊織は電話を二回使用した。

 一回は自分から葵にかけて、もう一回は影光からかかってきた。


 葵への電話は当然三人目のライバルが登場したという報告。


『えj5はmjtばmgmgs!?』


 案の定取り乱していた。


『まぁ最近は!? そういう昔会ってました系ヒロインが勝つ傾向にありますけど!? ラブコメの流行は日々変化していくわけで──』

「現実とラブコメを同列に語るな⋯⋯」


 週明けの月曜日、伊織と葵のシフトが被る日にまた改めて作戦を立てようと決めて通話は終わる。


 そして影光からの電話の内容は、遊びの誘いだった。


『今週の日曜日、久しぶりに四人で遊びに行かね?』

「由貴と蒼介部活大丈夫なの?」

『休みだってさ』

「そうなんだ。了解」

『集合時間はまた追々連絡するわ。じゃあ、また明日』

「うぃす」


 そこで通話は終了。

 伊織はその場で仰向けに倒れ込む。


 そして、一言こう呟いた。


「蒼介と遊ぶのは、一ヶ月ぶりだな⋯⋯」



 



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