第13話 二日連続美少女に呼び出される男


(水川さんが、俺の名前を呼んでる⋯⋯?)


 にわかには信じられない出来事に、体を硬直させる伊織。


「伊織く〜ん? ⋯⋯伊織くーーん?」


 誰からも返事がないので、千雨は背伸びして再度名前を呼び掛ける。

 その声に反応して、教室に残っていたクラスメイトの殆どが辺りをキョロキョロさせた。

 クラスメイトは皆、伊織の下の名前を知らない。


「伊織って誰?」

「さぁ?」

「このクラスのやつ?」

「でも返事ないし」


 クラス中がヒソヒソ会話で埋め尽くされる中、真雪と影光だけは伊織に視線を一点集中させていた。


 一組で明確に伊織の下の名前を知っているのは、この二人だけである。


「なぁ、伊織。呼ばれてるぞ。このクラスで伊織ってお前だけだろ」

「⋯⋯⋯⋯」


 影光が声を落として伊織に言った。


 だが伊織は微動だにせず、額に冷や汗をかいていた。 心臓の鼓動が激しくなり、緊張で顔が強張ってしまう。

 伊織は重度のコミュ障なのだ(女子限定)。


 突然クラス一の人気者で美少女の水川千雨から名前を呼ばれて、体が本人の意思関係なく萎縮してしまう。


 真雪と葵に対しても、慣れるまではずっとこうだった。

 今回はそれに加えて、数十人のクラスメイトの視線。


 伊織は注目されたり目立つのが嫌いだ。というより、苦手。

 例えるならクラス集会の前で、教師が自分の私物を持って「落とし物です。心当たりのある者は今すぐ名乗り出てください」と言われても名乗り出しづらいあの感じ。


 それと比べるとだいぶ規模も小さいが、人一倍そういうものに羞恥を覚える伊織にとって、これは地獄の状況。 頭を抱えてしまっても無理はない。


(それにしても既視感あるな⋯⋯この状況⋯⋯)


 特に話したことがない接点なしの美少女からの呼び出し。 先日、そんな事があった気がする。


 ⋯⋯そうだ、戸田鈴零だ。


 由貴の彼女で巨乳美少女、戸田鈴零から放課後に呼び出されて感謝された。


 今、それと完全に状況がデジャヴっている。


 昨日と異なる点は、呼んだ張本人である千雨が伊織の名前を知らないことだ。

 このまま無視してやり過ごす手もなくはない。


 しかし、それは人として終わってる行動だ。

 伊織の中で羞恥心より、人としての良心や罪悪感が上回った。


「おい、伊織⋯⋯」


 影光にも急かされ、伊織はため息をついて覚悟を決めた。


 伊織は一旦深呼吸をして、心臓の鼓動を落ち着かせる。 そして、意を決して声を上げかけた──その時。


「うーん⋯⋯クラスにはいないみたい⋯⋯クラス名簿は先生が持ってっちゃったし⋯⋯ごめんね? 美也子・・・ちゃん」


 千雨は挙げていた右手を後頭部に持っていき、廊下に身を乗り出す。

 乗り出した先に立っていたのは───。


「あ〜れれぇ〜⋯⋯おかしいな〜⋯⋯一組だって聞いてたんですけど⋯⋯」


 子悪魔的な可愛い声、それでいてウザさを感じないハキハキとした口調で千雨に返事するのは、美也子・・・と呼ばれた謎の美少女。

 どうやらこの子が伊織を探していたらしい。


 毛先を外にはねたくびれヘアは、端正な顔立ちとも相まって妙に大人っぽい雰囲気を纏っており、とても高校生とは思えない容姿だった。


 敬語で千雨と話していることから、彼女は一年生であることが伺える。


 “同級生で同じクラスの委員長”から、“全く接点のなさそうな後輩の女の子”に相手が変わって、ますます頭が混乱する伊織。


(⋯⋯美也子、美也子⋯⋯どこかで聞いた気が⋯⋯)


 だが薄っすらと、美也子・・・という名前に聞き覚えがあった。


 唐突に、由貴の言葉がフラッシュバックする。



 ───鈴零の妹にキスされたんだ⋯⋯ 。



 ───名前は美也子ちゃん



「───!」


 霧のようにおぼろげだった人物像が、今ハッキリと浮かんでくる。


 ⋯⋯そうだ。 会長の妹だ。泥棒猫だ。


 彼女持ちの由貴にキスを仕掛けた泥棒猫だ。


 伊織は目を見開いて驚愕した。


 あろうことか伊織は、戸田姉妹から二日連続呼び出しを受けたのだ。意味不明である。


 百歩譲って会長(姉)がお礼を言いに来たのは納得できるとしても、妹が伊織に一体何の用があるというのか。はて、皆目検討がつかない。


(まさか⋯⋯文句的なアレか!?)


 あんたのせいで優柔不断な由貴先輩を奪えなかったじゃない! とでもクレームを言いに来たのだろうか?

 それはいくらなんでも、八つ当たりが過ぎる。

 

 さっきまで声をあげようとしていた伊織は恐怖でまた萎縮してしまい、体をビクビクさせている。


「あれ、千雨。何してんの?」


 教室に一人、千雨の友達と思われるショートカットの女子生徒が入ってきた。

 困り果てた様子の千雨に話し掛ける。


「あ、真姫ちゃん。実はね〜この子が伊織くんって人を探しているみたいなんだよね〜」


 千雨は美也子の肩に手を置き、事情を話した。


「ふーん、伊織って冴木でしょ? 冴木伊織。そこに座ってる奴」


 そう言って真姫は当然のように伊織を指差した。

 クラスメイトの視線が、一斉に伊織に集まった。


(何で俺の名前知ってるんだ!?)


「あ、伊織って冴木くんの名前だったんだねー。何で名前知ってたの?」


 伊織と千雨の疑問が一致する。

 千雨は伊織に視線を向けたあと、真姫に尋ねる。


「四月の自己紹介の時にフルネーム言ってたでしょ? だから、何となく覚えてた」


 真姫はあっけらかんとした表情できっぱりと言い切った。 確かにクラス替えの日に“自己紹介タイム”という時間が設けられ、自分のフルネームや趣味などを発表した。


 しかしそれはもう一月以上も前の話であって、しかも自己紹介はクラスメイト全員が行っており、大勢の生徒の情報の中で都合よく伊織の下の名前を記憶するのは普通無理である。


 真姫の化け物的記憶力に、伊織は舌を巻いた。

 こんな目立たないクラスメイトの名前を記憶の隅に残していたとは、素直に感心である。


「へーすごーい。⋯⋯ということで美也子ちゃん。伊織くんはあの子らしいから」


 千雨が伊織に指を向けた。


「はい! 千雨先輩ありがとうございますー! えぇと、真姫? 先輩もー」

「ん」


 美也子は二人に深くお辞儀したあと、小走りで伊織の元へ駆け寄った。

 姉とは正反対のミニスカートが揺れて、他の男達の視線を釘付けにする。残念なことに見えなかったが。


 美也子は数秒で伊織の机の前に到着すると、その場でしゃがみこんだ。

 伊織はあらゆる酷い罵詈雑言を想定して身構える。


 それを知ってか知らずか、美也子はあざとい上目遣いで伊織を見つめて、


「単刀直入にいいますねー。ちょっと放課後、自習室Aに来てくれません?」

「え───」


 伊織の声が漏れ出したと同時に、二限目開始のチャイムが鳴った。


「おっと〜。チャイム鳴っちゃったんで、一旦これで。それじゃー待ってますんでー」


 美也子は手を振って、また小走りで教室を出ていった。彼女がいなくなってから、クラスメイト達がざわざわと騒ぎ出す。


「⋯⋯⋯⋯え?」


 伊織は唖然として、心に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。

 





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