第8話 負けヒロインVS負けヒロイン


「今、時間空いてる?」

『はい』

「それは良かった。君嶋、突然だけど、悪いニュースがあるんだ」


 伊織は気泡が浮き始めたパンケーキを右手に持ったフライ返しでひっくり返し、余った左手で携帯を耳にあてて葵と通話する。

(⚠よい子はながら電話せず、取っ手を掴んでひっくり返しましょう)


『悪いニュース⋯⋯ですか』

「うん。悪いニュース」

『良いニュースはないんですか』

「ないです」

『なるほど⋯⋯あの、私にとってよくない内容って、基本的に私自身が一番先に知るはずだと思うのですが』


 感情の機微を感じない淡々とした声で、葵はそう返す。

 まるで面識のない人と話す時のような、他人行儀な口調。


「まぁ、そうなんだけど⋯⋯」


 伊織も低いテンションで相槌する。

 彼にとって葵はただのバイト先の後輩で、特にそれ以上でも以下でもない。

 真雪同様、影光の横の繋がりでできた関係。


 そして真雪と違い、バイトのシフトで一緒になる限られた時間でしか交流がないので、親密度はそこまで高くない。

 それでも伊織には、伝えるべきことがある。


『冴木先輩から私に伝達される悪いニュースって⋯⋯もう、消去法で一つしかないですよね⋯⋯』


 何かを察したのか、葵の淡泊な声が、微かに色づいた。 少し不安が交じったような震えた声になる。


「あぁ、うん。察しの通り、君嶋が大好きな影光の件だよ」

『ま、まさか⋯⋯かかかかか彼女とかできたたんですか?!』

「いや、彼女はできてないよ」


 数秒前のAIみたいな口調はどこへやら。

 冷たかった声色が一気に濃く色づき、動揺の色を全面に出している。

 彼女は影光の前では、言葉に覇気が生まれる。


 普段は鉄仮面な童顔も、影光と話しているときだけはニコニコ笑顔。

 そのあからさまな態度を見て取れば、影光に好意を抱いているなんて明白だった。非常にわかりやすい。


 だから「影光先輩のことが好きなんです」って相談された日も、とりわけ驚きはしなかった。

 あまりに直球すぎて、伊織はつい笑ってしまったぐらいだ。


 それまで挨拶程度しか会話のキャッチボールが無かった伊織と葵に、“影光”という、ある意味で共通の話題とも言えるものが出来たのだ。

 だから初期の頃と比べたら少しは距離が近づいている。


 伊織は影光について知っていることをできる限り葵に話した。 好きな食べ物、ゲーム、漫画、スポーツ───最初は本人に直接訊いたら? と言ったが、恥ずかしい、と。彼女は奥手だった。


 影光の話題が無くなることはない、人間の情報は常に更新される。

 最近は影光がハマっている漫画を葵にこっそり教え、「それ、私も読んでます」と偶然を装い会話を弾ませるという作戦を実行して、着々と距離を縮めている。


 今では影光から葵に、オススメの漫画やゲームを勧める程度に親交は深くなっている。

 幸い彼女はサブカル系女子。趣味も一緒だ。


 カードゲーム専門店をバイト先に選択している時点で、葵も重度のオタク──影光がハマっているから、と読み始めた漫画も純粋に楽しんで読んでいる。


 葵曰く、「影光先輩には漫画を見る目があります」とのこと。という感じで、要するに伊織は葵の恋を協力している立場なのだ。

 恋敵が出現したとなれば、早急に連絡する義務が生じる。


 伊織は真雪という女の子が、影光に惚れていること、加えて彼女がまだ自分の好意に無自覚であること、全て話した。


『あわわわぁやばいやばいどうしましょう先輩!? どうしましょう!? ついに影光先輩にも春がががぁぁぁ』


 伊織の予想通り、葵はひどく取り乱した。

 携帯から髪をゴシゴシ手でかき回す音が漏れる。

 かなり焦っている様子だ。


 葵は真雪と同じ“クールな女の子”の括りで一緒にしてはいけない。実際の彼女は、表情の豊かな忙しない子なのだ。 ただ、人見知りが強いだけで。


 感情の“喜”で例えると、


 真雪「やったー」

 葵「やったァァァァァァァ!!!」


 こんな感じだ。


 根っからのクールガールの真雪と、根っこは明るい性格の葵とでは天と地の差ほど違うと言ってもいいだろう。  


 葵は伊織に対してまだ完全に心を開ききっていない───だが、“影光”が関わると、こんな風に素を見せることが増えている。


「落ち着け君嶋。まだ真雪は自覚してないから、土俵にも立ってないんだよ」

『でもでもでもぉぉ! 真雪さんって人は、中学生からの付き合いなんですよねぇ!? つまり四年も影光先輩と友達やってて⋯⋯それに比べて出会って数ヶ月の私なんて⋯⋯』

「恋の勝敗に付き合いの長さは関係ないんじゃない?」


 伊織は語尾に、「知らんけど」という魔法の言葉を付け加えた。


『そうなんですか??』

「いや⋯⋯ほ、ほら、長年想い続けたヒロインって、敗北の王道パターンだからさ」


 この発言はちょっと真雪に悪い気がするが、葵を元気づけるためだ。 真雪が実際のところ、いつから影光に気があったのかは不明だが。

 恐らく何かしらのきっかけがあったのだろう。


『それは漫画やアニメの中でのお話ですよね!? しかもそれを言うなら私だって、主人公の“後輩”っていう健気に想い続けて結局想いすら伝えられず負ける敗北ヒロインポジションですけどぉ!?』

「⋯⋯敗北者じゃけぇ」

『ああああああああああ!!!!』

(本当に面白いなこの子⋯⋯)


 完全に我を忘れて素を晒け出す葵。

 本当に寸刻前の彼女と同一人物なのだろうか、甚だ信じがたい──伊織も初見はそんな感想だったが、今はこのギャップが面白くて気に入っている。


 普段からこっち・・・でいれば良いのに、と伊織は思う。


「そんなに不安なら、さっさと告白すればいいと思う」


 ネガティブシンキングが止まらない葵に、具体的な助言を送った。


『簡単に言わないで下さいっ! それに現時点で影光先輩に脈があるとは思えません!』

「あー、うん⋯⋯」


 確かに現時点で告白して、良い返事が貰える見込みがあるとは思えない。

 軽率な発言だったな、と伊織は少し反省する。


「ごめん。告白は言い過ぎた。そうだな⋯⋯さり気ないアピールをしてみたら?」

『さり気ないアピール⋯⋯アピール⋯⋯キスとかですか?』

「どこがさり気ないんだよっ!!」


 火の玉ストレート。

 どっかの会長の妹みたいなこと言いやがって、とデジャヴを感じる伊織だった。


 



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