第5話 太もも紳士


 伊織と影光が校舎の外に出たのは、放課後になってから一時間後の事だった。


 鈴零から惚気話を散々耳に打ち込まれた挙げ句、その後職員室に鍵を返却しにいったのだが、ついでだとか言って教師に大量のゴミ袋を数回に分けて引っ越し業者の様に運搬させられた。


 四階職員室から校舎裏のゴミ収集場所まではそれなりに距離があって、体力のない二人はそれだけでだいぶ苦しんだ。


 「は〜いお疲れ〜」と煽り口調で感謝の欠片も感じられない早乙女の態度には心底殺意が湧いたが、言い返す勇気なんてないのでスルー。


 ようやく帰宅にこぎつけた時には午後五時。

 部活に所属していない彼らが帰るには、かなり遅めの時間帯だった。


「はぁ⋯⋯くそ、今日は最悪な日だ⋯⋯」


 帰宅途中、怪訝な顔を隠すことなく、全面に負の感情を出していく影光。 相当イラついている。


「ごめん⋯⋯俺がうたた寝してたせいで⋯⋯」

「伊織のせいじゃないよ。あいつだよ、あいつ。早乙女! 全部あいつが悪い!」


 影光の怒りの矛先は伊織ではなく、早乙女に向かっていた。


 高らかに声を上げ、親の敵かと疑うほどの憎悪をぶつける影光。

 自分に怒りの感情が向けられてないことを知り、ホッと胸を撫でおろした伊織は、影光の怒りを忘却の海に沈めるため、そそくさと話題を切り替える。


「そ、そう言えば俺の弟達が、また影光とNCGやりたがってたぞ」


 NCGとはノーマル・カード・ゲームの略で、トレーディングカードゲームだ。


 シンプルなルールながら戦略に奥深さを魅せてくれるこのカードゲームは、小学生のガキからいい歳したおじさんまで幅広く、長年愛され続けている。


 例に漏れず、伊織の弟達も今熱中して遊んでいるのだ。


「え? 前あんなにボコボコにしたのに、また闘いたがってるの?」

 

 影光はNCGの全国大会出場経験のあるトップクラスのプレイヤー。

 七年前にこのカードゲームが流行って以来、今なお熱く己の魂を注ぎ続けている。


 自分と同じ世代の人間がカードゲームに興味を失ってしまって、周りの人間が伊織以外プレイしなくなっても、彼の情熱が消滅することはなかった。


 だからこそ、プライドも必然的に。


 小学一年生相手でも容赦はしない。


「うん。また勝負したい! って」

「⋯⋯伊織の弟はドMかなにか?」

「なわけないだろ。悔しいんだよ、リベンジしたいんだよ」

「えー? 面倒だな⋯⋯」


 気乗りが薄い影光は、顔をしかめた。


「一回やって、上手い具合に負けてやればいいんだよ。勝ったら弟も満足するさ」

「それはごめん。できない⋯⋯」

「何で?」

「俺のカードゲーマーとしての誇りにかけて⋯⋯! 誰だろうと手加減なんてしない⋯⋯! いつでもどこでも全力投球だ⋯⋯!」


 影光はぎらぎらと瞳を熱く燃やして、右手を握り拳にしてそう告げた。


「はぁ⋯⋯」


 伊織は提案を秒で却下され、呆れた表情で頭を抱える。

 全く、自分が楽しめればそれでいいのか⋯⋯と。


 影光は根は良い奴だが、基本的に器が小さい。

 自分のプライドを守るためには誰かを傷つけることを厭わない。

 大袈裟に言うと、そんな性格をしている。


「分かったよ⋯⋯弟達には断られたって言っとく」

「おう」

「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」


 しばらくの間、沈黙が続く。


 どれだけ仲の良い相手であっても数秒の沈黙は生まれやすい。

 別に気まずくて会話が無いわけではないが、伊織はこの沈黙が苦手だ。堪らなく不安になる。


 そんな伊織の不安を打ち砕くように、影光は話題を切り出した。 あの由貴の話題だ。


「てか、由貴はいつの間に彼女できたんだ?」

「一昨日らしいよ」

「へー。伊織は知ってたのか?」

「まぁ⋯⋯」

「マジかー。俺には全く話してくれなかったぞ」

「それは影光、お前が『面倒くさい』とか言って由貴の相談を全て聞き流してたからだ。その分全部俺にしわ寄せが来たんだからな⋯⋯」


 影光、蒼介は、由貴のくだらない悩みを疎ましく思って相談には一切乗ってこなかった。  


 なので、由貴が困った時は一目散に伊織の元へ駆け込む。


「いやだって⋯⋯いちいちくだらないことでヘルプ出すんだもんあいつ⋯⋯」

「それは分かる」


 うんうんと、頷いて同意する伊織。


 これまでの由貴のしょうもない相談内容は数知れない。 例えば⋯⋯、


 ───今使っているトイレの芳香剤の香りがすごく苦手で変えたいと思ってるんだけど⋯⋯使い切らないと勿体ないし⋯⋯どうしたらいい?


 ───友達が巨○ファンで、阪○を愚弄してるんだけど、俺は阪○ファンなんだよね⋯⋯その友達には嘘ついて自分は巨○ファンって言ってるんだけど⋯⋯もうこれ以上阪○が悪く言われるのは耐えられない! どうしたいいんだ俺はー!


 ───お気に入りのドラマが無事最終回を迎えたんだけど⋯⋯なんか⋯⋯こう、喪失感が凄い⋯⋯俺は、これから、何を、生きがいに⋯⋯嗚呼⋯⋯。


 数々の迷相談が伊織の頭にフラッシュバックする。


 よくいちいち付き合ってあげたな、と伊織は自分に感心した。


(まぁでも、本人は真剣に悩んでたし⋯⋯)


 悩みに大きいも小さいもない。

 思春期なんだから、くっだらないことで悩むのも致し方なしだ。

 伊織は脳内で精一杯由貴を擁護した。


「だろ?」

「まぁ、いつも聞いてくれなかったから、今回もスルーされると思ったんじゃない?」

「今回に関してはめちゃくちゃ相談乗ったけどな⋯⋯人の色恋沙汰は大好物だ。三次元も二次元も」

「恋愛経験ないくせに」

「いや伊織が言うなよ⋯⋯お互い様だろ」  


 ふん、と軽く二人で微笑する。


「⋯⋯⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」  


 そしてまた、始まるこの沈黙。

 

 ほんの数秒、されど数秒。


(なんかむず痒いなぁこの間⋯⋯)


 伊織も影光も自分から話を振るタイプじゃない。


 必ず相手の出方を伺うので、どうしてもワンテンポ会話が遅れてしまう。

 中学までは由貴みたいなムードメーカー的存在がいたから、会話のテンポが崩れることはなかった。


 高校生になり、由貴や蒼介がいなくなって気付かされる。

 この微妙な会話のテンポが伊織にとって、非常に心地悪い。


(はぁ⋯⋯こんなことで悩むなんて、俺も人のこと言えないな⋯⋯)


 そうやって感慨に浸ってると、影光が次の話題を振る。今度は現在由貴が置かれている状況についての話題へ移った。


「てか、由貴今めっちゃ修羅場ってるよな」

「うん」

「⋯⋯やばくね?」

「やばい」


 実際問題、ここから由貴の肩身は狭くなりそうである。

 無事彼女(鈴零)とは話し合いできたみたいだけど、姉妹仲に関してはなにも解決していない。


 果たして鈴零姉妹は、仲直りできるのだろうか⋯⋯。


 そもそも仲直りとかそんな次元の問題なのだろうか⋯⋯。


 ギスギスを限界突破して、最終的には由貴が刺されちゃうなんてENDも、可能性は低けれどどうしても想像してしまう。


「なんか心配だ」

「⋯⋯そうだね」

「まぁ⋯⋯俺達が首突っ込むことじゃないわな」

「あぁ」


 伊織と影光ができることは「なるようになれ⋯⋯」とただ神様に祈ることぐらい。


(どうか、由貴生存ENDでよろしくお願いします⋯⋯)と。


「それにしても⋯⋯⋯⋯由貴が羨ましい⋯⋯」  

「そう?」


 薮から棒に発した影光の発言に、疑問系で返す伊織。

 影光は驚いたような表情で、


「え!? だってそうだろ? あんな可愛くて巨乳なドエロイ彼女がいるなんて⋯⋯最高だよ⋯⋯」

「おい⋯⋯。それ会長に対してセクハラだぞ」


 男子高校生らしいちょっと下品な話題に移ったが、伊織はあんまり興味を示さない。

 それどころか、影光に注意した。


「別にいいじゃん、本人の前で言わなければ。伊織は興味ないの?」

「ない」


 きっぱり言い切る伊織を目にして、影光は正気を疑う。 ニヤリ顔一つせず、平静を装ってる様子もない。


 本当に胸に関心がないようだった。


 それに絶句した影光は、


「お前⋯⋯性欲ないのか⋯⋯?? 大丈夫か⋯⋯??」と何故か息を殺したような声で、質問する。 迫真だった。


 男子高校生があんなスイカを前に興味を示さない?


 お前は本当に人間か?

 おっぱいって知ってる?


 まるで宇宙人みたいな扱いに伊織は解せなくなり、慌てて補足する。


「い、いや、性欲はある⋯⋯俺はただ⋯⋯」

「ただ⋯⋯?」

太もも・・・フェチなだけだ!! 太もも以外に興奮はしない!!」

「⋯⋯⋯⋯」

「因みに『胸か尻か』の質問には『太もも』だと答える⋯⋯!」

「⋯⋯⋯⋯」


 伊織は物心ついた時から大の太もも好きだった。


 “ムチムチ”って言葉が世界一似合う太もも。


 あの見えそうで見えない絶対領域。


 膝枕はご褒美ではなく、神に仕えし神聖の儀式。

 

 太ももは───絶妙に滑らかな曲線美を描いている。

 伊織の夢はいつか太ももに挟まれて、生涯を終えること。

 それぐらい伊織の太ももへの愛はエグい。

 

 伊織があまり鈴零の巨乳に影光みたく虜にならなかったのも、太もも以外どうでもいいからだ。  

 会長はロングスカートだったので、とうに論外だった。


「お前⋯⋯変わってるよな⋯⋯」


 影光の言う変わってる・・・・・とは、“太ももが好き”だというところを指しているのではなく、“太もも以外には興奮しない”部分を指している。


「時代が俺に追いついてないだけだと言ってくれ⋯⋯」

「ふっ、なんだそりゃあ⋯⋯ぶふっ⋯⋯!」


 あまりにも格好つけて決め台詞を吐くもんなので、影光は思わず吹き出してしまった。


「てか、前にも言ったでしょ?」

「いや、言ってたたけどさ⋯⋯ふふっ、太もも以外興奮しないは初耳だし⋯⋯性癖やばいな⋯⋯ぶふっ! あははは!」

「笑いすぎでしょ⋯⋯」


 完全にツボに入った影光。これは数分抜け出せないツボり方をしている。


 電柱に右手、腹に左手を当てて、なんとか落ち着きを取り戻そうと深呼吸。


 伊織はすっかり日が沈み始めた夕暮れの空を見上げ、影光を待っていた。

 そこに、駆け寄る人影が一つ───



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る