第2話 修羅場不可避!


「由貴、お前⋯⋯」


 伊織は頬を支えていた左手を放して、由貴の右肩にもっていく。

 その左手には、軽蔑の念を込めて。


「か、勘違いするなよ!? 俺から手を出した訳じゃないからな!?」


 由貴は念を察知したのかすぐさま伊織の左腕を振りほどき、自分の潔白を主張した。

 汗の量がみるみるうちに増えていく。


「じゃあ、なんでそんなことになったんだ」

「さっき言っただろ! キスされた・・・って! 彼女の妹から突然されたんだよ!」

「突然されないんだよ普通⋯⋯」


 いくら由貴の顔面が見る人全てに恋慕の情を募らせる顔面惚れ薬だとしても、付き合ってもないのにいきなりキスを仕掛ける人間なんてそうそういるもんじゃない。いたらそれはただのビッチか、倫理観が欠如したやばいやつだ。普通に犯罪である。


 伊織の興味は『親友が彼女の妹とキスした』ことよりその『妹』自身の方に移った。


「その妹さんとは初対面?」

「初対面では⋯⋯ない⋯⋯。というかむしろ⋯⋯いや、何でもない。ええと、何回か話したことはある。名前は美也子ちゃん」

「ほう」

「鈴零と付き合ってから、美也子ちゃんとも結構話すようになってさ」

「ほう。この学校の生徒なんだ」

「うん。一年生」


 伊織は少し下を向き、考え込む。


(うーん。その数回の登下校で由貴に惚れたのかなぁ⋯⋯妹さん⋯⋯)


 にわかには信じがたいが、それぐらいしか可能性が思いつかない。

 

 数回女子と会話するだけで問答無用にその女子を堕とすくらいのパワーが、今の由貴にはあるかもしれない。

 伊織はどこの乙女ゲーキャラだよ⋯⋯と思いつつ、


「それで惚れられたんだな。きっと。それでついキスしちゃった的な」

「⋯⋯そんな数回一緒に帰っただけで惚れるか⋯⋯?」

「由貴、お前は小中の頃から素材は一流だったんだ。でもその時はそれを何一つ活かさずにいた。だからずっとモテなかった。ところがどっこい、今は違う。変な色の金髪にちゃっちいピアス、クソ長かった前髪は上げて眼鏡からコンタクト、それだけで素材の良い由貴は前とは別人だ。惚れられてもおかしくない。性格もいいしね」


 長々と親友の魅力を語る自分に少し恥ずかしくなったが、伊織は構わず言い切った。ヤケクソである。


「そ、そうなのか⋯⋯。た、確かに二年入ってもう七人に告白されたけど⋯⋯つか、また金髪ピアスいじったな!」

「それか、ただのビッチだな。姉の彼氏を寝取る趣味のあるビッチ」

「まだ前者の方が良い気がする⋯⋯」

「俺も前者であってほしい。で、どうするの?」

「そうそうそれを相談しに来たんだ! これから俺はどうしたらいいと思う?」


 伊織はお手上げ〜と言わんばかりに両手首を外側に曲げる。顔もそれっぽい顔を作って。  


「そこをなんとか⋯⋯! 相談に乗ってくれよ⋯⋯!」

「えー嫌だよ。そんな由貴みたいな状況になった事無いし⋯⋯というか、そういう類の相談は蒼介にしてよ。由貴と一緒でモテるし。適任でしょ」  

「でもあいつ、彼女いたことないし」

「まるで俺には彼女がいたみたいな言い草⋯⋯」

「お前が一番相談しやすいんだよ〜頼むよ〜」

「うーん⋯⋯やっぱり無理だよ⋯⋯」


 由貴から目線を逸らし、難色を示す伊織。


 これまでたくさん由貴の相談に付き合ってきたが、恋愛類の相談に関しては聞く耳を持たなかった。


 伊織に恋愛経験なんて無いからだ。


 誰かに好意を抱いたことも、抱かれたことも、これっぽっちも無い。


「そこをなんとか!」

「無理」

「そこをなんとか⋯⋯!」

「無理」

「そこをなんとかァ⋯⋯!」

「無理」

「そこをなんとかァァァ!!」


 こんな攻防が数分続き、由貴はしまいにその場でひざまづいて土下座までしだす始末。


 それに観念したのか、伊織は深く溜め息をついて、


「分かった⋯⋯分かったよ⋯⋯相談乗るから⋯⋯。顔上げて⋯⋯恥ずかしい」


 伊織はキョロキョロと周りに視線をやった。


 ヒソヒソ声だった由貴の声はいつの間にか、教室中に響く大音量ボイスと化している。

 土下座をかましつつ、大声で奇声を挙げる金髪ピアスのイケメンはかなり目立つ。


 周りに注目されて、羞恥心に押し潰れそうになる。    

 伊織は目立つのが嫌いだ。というより、苦手。


「本当か!」


 目をキラキラさせながら顔を上げた由貴。


「本当だよ」

「ありがとう⋯⋯!」


 由貴は伊織の両手を熱く握り締め、上下に揺らす。

 伊織はその暑苦しい手を解いて、


「だから⋯⋯その四つん這い止めてくれ、あと声量抑えて」

「分かった⋯⋯!」


 伊織の注文通りに、由貴はみっともない四つん這い状態だった体を中腰に戻す。


「まず、今の由貴の状況を整理させてもらうぞ」

「おう⋯⋯!」

「ええと、一ヶ月前に彼女ができて」

「うん」

「昨日彼女の妹にキスされたと」

「⋯⋯うん」

(波乱だなぁ⋯⋯)


 どういう生き方をすればそんな事態に巡り合うのか、皆目検討もつかないが、由貴によればこれは事実らしい。


「一応確認なんだけど、事故じゃないのか?」


 この可能性も探ってみたが、由貴にすかさず否定される。


「そもそも、どういう状況でそうなったんだ?」

「ええと⋯⋯鈴零がトイレに行った隙に部屋に侵入してきて、そのままダッシュで飛びかかって来て⋯⋯」

「キャー大胆〜⋯⋯」


 なんて猪突猛進な子なんだ。前世はイノシシかなにかだろうか───と伊織は思った。


「どういう感じで?」

「どういう感じとは?」

「どんな風にキスされたかってこと」

「それ聞く必要ある?」

「ある」


 実際はそこまで無いけど、ただ伊織が気になったので聞いてみる。


「ええと⋯⋯、こう⋯⋯、正面から、胸ぐらを掴まれて、唇に」


 由貴は左手で自分の制服の襟を掴み、反対の手で狐の形を作ると、それを自分の唇に向けた。


「その後は?」

「すぐ反対方向向いて、走って出ていった」

「ほう。ところで、ガードはできなかったの?」

「まさかキスされるとは思わなかったし⋯⋯無理だよ⋯⋯」

「ほう⋯⋯」

(そうかなぁ⋯⋯?)


 ガードできなかったことへほんのり不信感を抱いたものの、伊織は実際にそういう場面に出くわしたことが無いので、何とも言えなかった。


 急に女の子がイノシシのように突進してきて、胸ぐらを掴まれてキスされそうになった時、回避できるかどうか? なんじゃそりゃ、分かるか!

 

 なので、経験者の由貴が無理だと言うのならば無理なのだろう、と強引に納得した。


「もう一つだけ確認」

「うん」

「妹さんは由貴と会長が付き合っていたことは知ってたのか?」

「うん、知ってた」

「ほうほう」

(なるほど、確信犯か)


 確実に姉の男だと分かっていながらのキス⋯⋯完全に奪う気でいる。

 自分のものにする気マンマン。なんて末恐ろしい小娘なんだ。

 伊織は軽く背筋が凍った。


「なるほど⋯⋯うーん」


 伊織は口元に手を当てると、考える仕草をとった。

 数十秒後、口を開く。


姉妹・・ってのが面倒くさいな。どうやっても修羅場になる道しか見えない⋯⋯」  

「そうなんだよ⋯⋯」


 仮に、妹美也子の立場が鈴零とは赤の他人のA子ちゃんだとする。そうすれば話は早い。


 この場合の由貴のするべき行動は、A子ちゃんを振って鈴零に起こった事実を正直に話す、以上。


 鈴零とA子ちゃんがあった日にはギスギスな修羅場は避けられないだろうが、それでも被害は最小限だ。 赤の他人・・・・なんだから、自分から出向かない限りはまず会うこともない。


 しかし今回は違う。鈴零の彼氏に手を出したのは鈴零の妹。鈴零の家族。

 切っても切れない縁の家族。

 

 修羅場不可避である。


「姉妹仲、良さげだった?」

「見てる感じは普通に良かった⋯⋯と思う⋯⋯美也子ちゃんは『お姉ちゃん』呼びして懐いてた感じだし、鈴零の方も可愛がってた、と思う」

「ほう⋯⋯」


 目に見える光景が全てじゃないんだなと、伊織は思った。

 人は皆、他人には見せない本性を隠し持っている、と。


 由貴のように本性をさらけ出して生きている人間は滅多にいない。


 妹の美也子にもあったのだろうか。


 姉の彼氏を、姉妹仲を引きちぎってでも、奪おうとする、そんな泥棒猫の本性が。


 伊織は一度も会ったことのない人に対して、そんな事を考えた。 そしてまた数十秒深く考え込み、今日一深い溜め息をついた。


「とりあえず、会長には真っ先に正直に言わないといけないと思う。んで、その後に妹をフる。別に告白されたわけじゃないけど、妹さんにけじめはつけさせないと。本気にせよ、冗談だったにせよ」


 伊織なりに捻りに捻り出したが、結局これしか思い浮かばなかった。


 そもそも、妹が由貴に手を出した時点で姉妹が修羅場るのは避けられない事態だ。


 変に黙っていれば、それこそ余計に状況を悪化させるだけ。

 他の方法なんて思いつかない。

 洗いざらい正直に話した方がいいに決まっている。


「だ、だよな⋯⋯! それしかないよな!」


 由貴は両手をぐっと握って、ガッツポーズをとる。

 彼の意外な発言に、伊織は少し驚いた。


「なんだよ⋯⋯どうするか決めてたなら、俺に相談した意味ないじゃん」


 少し不機嫌な口調で伊織は話す。

 それに対し由貴はすぐに首を振って否定して、


「あるよ! 俺の判断が正しいか不安だったんだ」

「あぁ⋯⋯なるほど」


 どうやら、第三者の賛成意見が欲しかったらしい。


 由貴は伊織を頼って相談した訳ではなくて、伊織のアドバイスと自分の考えを照らし合わせて、自分の考えが合っているかどうか確認したくて相談したのだ。


 由貴も由貴でしっかりと考えていた。


(誰かに同調されれば、安心するもんな)


「まぁ、別れることになったらジュース奢ってやるよ」


 再び左手を由貴の右肩にもっていく伊織。

 今度は、応援の念を込めた。


「洒落にならないこと言うの止めてくれ〜⋯⋯」


 苦しい顔で唸る由貴に、伊織は優しく微笑む。


「てか、由貴に彼女ができてたなんて知らなかったよ。教えてくれてもよかったのに」

「いや⋯⋯ちょっと恥ずくて」

「なんじゃそりゃ」


 伊織は呆れたように肩をすくめる。


「ははは⋯⋯」


 由貴はなおも照れており、頭を掻きながら頬を少し染めていた。 

 その姿を見ながら、伊織はつくづく思う。


(変わったな⋯⋯)と。


 この垢抜けた感じ、見た目だけじゃなく中身も少し変わっている。

 元々由貴が持っていた良いところはそのままに、かっこよさも板に付いてきた。


(何なんだろう⋯⋯女を知るとこうなるのか)


 伊織は自分にはよく分からないが、由貴が幸せそうならそれでいいか、と軽く微笑んだ。

 もっとも、その幸せが妹に潰されそうになっているのだが⋯⋯。


(親友の今後に幸あれ⋯⋯)


 授業五分前のチャイムが鳴り、由貴は感謝の言葉を口にしながら自分のクラスに戻っていった。




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