【みじかい小説No.13】北風と太陽のコートの死

くさかはる@五十音

北風と太陽のコートの死

「ねぇねぇ、北風と太陽のさ、上着っていうか、コートがあるじゃない?

 俺はユウコにとってのコートになりたいんだよ。」

昨夜の寝入りばな、シンジはそんなことを言った。

言われてすぐは、どういう意味か分からなかったけれど、一晩たって、ユウコはシンジに返事をした。

「シンジはコートになりたいって言ったけどさ、考えてみれば北風が吹く時には大事にされて、太陽が照れば捨てられる、コートってかわいそうなやつなんじゃない。

 シンジはそんなかわいそうなやつになりたいの?」

温めなおしたパンケーキにバターを溶かしながら、ユウコはシンジの細い目を見やった。

「違う違う、そうじゃない。」

シンジはそう言って笑う。

シンジの細い目は、笑うと更に細くなる。


ユウコがシンジと出会ったのは、長野県にある有名な山を登っているときのことだった。

友人と登っていたユウコが、山頂付近の石碑の前で写真を撮ってほしいと、たまたまそばを通りがかったシンジに声をかけたのがきっかけだった。

写真を撮ることを趣味としていたシンジは快く誘いにこたえ、そこから急速に二人の仲は縮まっていった。

付き合いはじめてから一年が経ち、同棲をはじめ、現在は二年が経とうとしている。

既にお互いの体にあるほくろの位置も把握する仲となり、ユウコはひろかに結婚を意識したりもしていた。

しかし、運命の歯車は思わぬ方向へまわりだす。


それは、11月なかばの、強い木枯らしの吹く、よく晴れた日のことだった。

ユウコはその日、シンジと仕事終わりにいつもの喫茶店で落ち合う約束をしていた。

一日の仕事の疲れがたまり、いつも以上に肩が凝っていたことを思い出す。

ここ最近、空咳が止まらなかったが、今日はよく出ると思った。

なんだか体も熱っぽい。

信号機が青になるのを他の大勢の通行人たちと待っていたが、なんだか視界がふらふらする。

この時点でユウコはよくある風邪だと思っていた。

だから、少し体調が悪いからと知らせて、シンジを待たずに帰ってしまえばよかった。

けれど、ユウコはシンジを約束の店で待った。

ユウコの意識はそこで途切れる。

紅茶を飲みながらその場で倒れたユウコは、そのまま救急車で運ばれたのである。


平日の夕暮れ時、救急救命は混んでいた。

知らせを受けたシンジは飛ぶようにして駆けつけた。

ユウコにくだされた診断名、それは、「結核」だった。

意識を取り戻したユウコに、シンジは言った。

「大丈夫だからな。俺がついてるからな。」

そう、何度も何度も、シンジはユウコに呼びかけた。


一昔前までは、さしたる治療薬もなく不治の病であった結核だが、現在ではペニシリンを筆頭に抗生物質が効く病気となっており、半年も入院すれば治るとされている。

それが、ユウコが医師から受けた説明だった。

結核と診断されてから後、ユウコは隔離病棟に移された。

働いていたバイト先は、辞めざるを得なかった。

経済的な負担は、すべてシンジが負った。

入院してすぐは緊張が勝った。

だが、隔離が始まって一週間もすると、ユウコは自分の立ち位置が分からなくなったような気がしていた。

毎朝7時に起きて病院食を食べると、途端にすることがなくなる。

本は読み飽きてしまったし、スマホのゲームもなんだかやっていてむなしく感じられる。

話し相手にはシンジがなてくれているが、それとて忙しい合間を縫って毎日夜の一時間程度。

有り余る時間を前に、ユウコは寄る辺をなくしてしまったかのようになっていた。

「軽い鬱症状が出ていますね。」

医師からはそう診断がくだった。

ユウコは電話で、シンジにそう説明した。

「大丈夫だから。」

シンジはそう言った。

次の日も、また次の日も、ユウコはすることもなく、イライラだけが募っていった。

シンジは励まし続けた。

「大丈夫だからな。」

「何が大丈夫なのよ!」

鬱症状が出始めて何週目かの夜、ユウコは思わず叫んでいた。

看護師が慌てて何やら言っているのが聞こえたが、そんなことおかまいなしにユウコはシンジに暴言を吐き続けていた。

病院からは安定剤が処方された。

ユウコの、シンジに対する暴言はおさまらなかった。

シンジはそれでもなお、毎日「大丈夫だから。」とユウコを励まし続けた。

毎日、毎日、隔離病棟の中で、ユウコは日に日に病んでいった。

シンジへの暴言はもはや日常となっていた。

それでもシンジは「大丈夫だから。」と励まし続けた。

一か月が過ぎ、二か月が過ぎた頃、漠然とした不安から、ユウコは病棟内で自殺未遂を起こす。

病棟内は騒然となった。

しかしあと四か月は隔離しておかなければならない。

自殺未遂騒ぎがおさまった頃、久々に許された通話で、ユウコはシンジに告げた。

「もう、電話かけてこないで。こっちからもしないから。」と。

翌日から、二人の通話はなくなった。

ユウコは日がな一日、ただ何もせずにぼうっと窓の外を眺める日が多くなった。

何もせず、何も感じず、何も考えない。

病室の中には、機械のモーター音と、壁掛け時計の音だけが響く。

時折、様子を見に来る看護師が声をかけてくる以外は、誰も話をすることはない。

ユウコの中の何かが、ゆっくりゆっくりと壊れていった――。

三か月が過ぎ、

四か月が過ぎ、

五か月が過ぎ、

六か月が過ぎた。


その日は、六月の、朝から雨のよく降る日だった。

「ユウコさん、お疲れ様でした。退院です。」

ユウコはこの日、六か月ぶりに隔離病棟から出ることになったのだった。

「おめでとう。」

「おめでとうございます。」

「退院、おめでとうございます。」

病院のスタッフが口々に祝ってくれる。

「あ、ありがとうございます。」

ユウコは久々に口を開いた。

声が出なくなっていた。

「ユウコさん、今日からお世話になります、精神科の山田です。」

そう言われて手を握られたのは、隔離病棟から別の病棟に移ってからのことだった。

「えっ?」

「ご両親のご意向で、精神科への入院が始まります。ここで十分なリハビリをしてから社会復帰を果たしましょう。」

ユウコは混乱した。

両親は何も説明してくれなかったからだ。

「待って!ちょっと待ってよ!!」

その時だった。

「大丈夫だから。」

シンジの声だった。

「シンジ?いるの?どこにいるの?」

周囲を見渡してもシンジはいない。

「大丈夫だからな。俺がついてるからな。」

どれだけ見渡しても、シンジはいない。

声はするのに。

「ユウコ、ユウコ、しっかりしてお聞き。シンジさんはね、もういないんだ」

気がつくと両親が神妙な面持ちで、車椅子に座ったユウコに語りかけていた。

「ユウコ、シンジさんはね、ユウコのあまりの変わりようにショックを受けてね、出て行ってしまったよ。これからは親子で頑張っていこうねえ。」

両親はそんなことを言っている。

なぜだろう、両親の言っていることが理解できない。

シンジ、シンジ!

どこにいるの、シンジ――!!


それから私は、精神科の閉鎖病棟で三か月ほどお世話になって、作業所という職業訓練施設で働きながら社会復帰を目指すこととなった。


五年が経った頃、私はある事実を告げられる。

シンジは離れていったのではない、自殺したのだ、と。

私のあまりにもひどい暴言を毎日聞きすぎたせいで精神的に病んでしまい、両親が私たちの暮らしていた部屋に入った時には、シンジの遺体がそこにあった、と。


「俺、北風と太陽の、コートになりたいんだ。」

かつてシンジはそんなことを言っていた。

寒いときにあたためてくれて、あたたかくなったら脱ぎ捨てられて。

あの時のシンジは、そんなある種のヒーロー像にあこがれていたのかもしれない。

今なら分かる。

けれど私が言ったように、本当にかわいそうな存在になっちゃうなんて。

それも私のせいで。

薬の副作用で頭がぼんやりしているせいか、不思議と悲しくはないし涙も出ない。

「大丈夫だから。俺がついてるからな。」

私に残されたのはこの幻聴のみ。

私がシンジを追い詰めた。

私がシンジを殺した――。


私はこれから一生この責を背負って生きてゆく。

逃げることの叶わない、この重い重い責を。

誰よりも近くなった、この声と共に。

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