第4回【名刺、ねこまんま、一酸化炭素】
お題【名刺、ねこまんま、一酸化炭素】
死に方を選べる世界に連れていかれた男の話。
「COの世界」
それは小さな引っかき傷のようなものだった。
人というのは大抵変化に気が付きにくいものである。それでも最初は違和感を感じて、次にその違和感のわけを探して、ようやくその変化を見つける頃には、何時間、はたまた何日も経っていることが多い。
だから俺は、玄関のドアノブの横についた三本の細い傷がいつからあったのか、知りようがなかった。もしや俺がつけたのかもわからないが、少なくとも入居した時にはなかったのは確かだ。とにかく心当たりがないので、僅かな不審を覚えた。
だが会社と自宅を行き来しているだけの俺にそんな傷をつける出来事が起こった記憶もなく、例え泥棒が使うマーキングだったとして、特に金ももちあわせていない俺にとっては些事でしかない。なにより始業時間に遅れてしまうので、それ以上考えることなく鍵を閉めて、会社へ向かった。
疲れて帰り、急いで出勤する日々の中でその傷のことは忘れ去られた。そしてまた違和感を感じた時には、縦長の線が九本にまで増えてしまっていた。
一体なんの傷なんだ?
出入りの時に鞄があたっているのか? 配達業者かなんかが荷物を擦って歩いてるのか? いや、こんな風に規則正しくは並ばないだろう。
流石の俺も気味が悪くなり、マンションの管理人に電話をした次の日のことだった。
その日俺は休みで、普段のくせで朝四時に目が覚めた。まだ早いし、もう一眠りするかと布団に潜り込んだ時、奇妙な音が聞こえた。
カリ、カリカリカリ、ガリガリっ
玄関から何かを削るような、擦るような物音。瞬時に理解した。玄関の傷をつけてる野郎だ。
俺は布団から飛び起きて、手近にあったクイックルワイパーをもって玄関の覗き穴をみた。
黒い髪が艶やかな、丸みのある頭が見えた。小柄な、女? 少女かもしれない、そんな風貌だった。玄関に近寄って気付いたが、彼女は控えめにドアをノックしていた。
俺は意を決して、ドア越しに声を出した。
「何か御用ですか?」
女はぴょん、と体を跳ねさせて、答えた。
「こんにちは、この度、人生契約に則り、主様の魂を頂戴致したくお伺い致しました」
「あ、結構です」
なんだ宗教か。あの傷も宗教団体特有のマーキングね。
俺は心持ちすっきりして、鍵とチェーンがかかってる事を確認すると、玄関から離れてリビングへ歩いた。
ガチャッ、キィ
ドアの開く音、毎朝毎晩耳にする蝶番の軋んだ音が聞こえて、秋の冷たい風が背筋を通った。
後ろを振り向くと、小柄な可愛らしい女の子がたっていた。肩につかない程度の黒髪に、耳には金のピアス、黒のワンピースに生えるいかつい金のネックレスが首元に吊り下げられている。輝かしい金の瞳が俺の目をじっと見つめ、何となく、彼女が人では無いことを理解し、同時に、俺はもう死ぬのかもしれない、と悟った。
「初めまして、ねこまんまCO3831号様。この度主様の人生契約が満了したのでご案内に参りました。私案内人のハステトと申します。数週間ほど前から、何度かお伺いして、玄関に名刺を置かせていただいたんですけれども、気付いて頂けなかったようでーーー満了期日が過ぎてしまいました」
ゆら、と視界が揺れて、世界が··········正確に言えば目の前にいるハステト以外の世界が、ぐるぐると崩れて行った。coffeeにミルクを溶かし込むようにゆっくりと混じりあって、気が付けば薄暗い世界に立っていた。ハステトの向こう側にはのぼり階段がひとつ佇んでいて、二階、三階と上の渡り廊下に続いている。吹き抜けになっている天井は三角を描くように少しずつ狭まっており、上をむくと無数のドアが視界いっぱいに広がった。
「ねこまんまCO3831号様には選択の権利が御座います。それぞれのドアからお気に召した方法で人生終了のプランをお選びいただけます。ドアを開き、一度体感なさってから、お決めになることを推奨しております」
ようするに死に方を選べ、ってことか。俺の人生もここまで。それもこんな形で。神様が訪ねてくるだけまだ良いのかな、なんてことを考えていた。正直なところまだ実感が湧いていなかった。
階段をのぼり、「COpilot」と書かれたドアを指した。
「じゃあ、とりあえずこれを体感で··········」
「かしこまりました。ではドアを開いてください」
ーー俺は、飛行機に乗っていた。いきなり? なんで? とか思うより先に、色々な状況を察した。それは夢みたいなもので、その前後とか説明がなくとも、何となくわかる、そういう感覚だった。おれは小さい頃から操縦士を目指していて、やっと副操縦士になったばかり。隣には操縦士がいて、ランプのつかない機械たちをガチャガチャと動かしながらなんか叫んでるけど、あーだめだ。凄まじい落下、ジェットコースターなんて比にならないくらいの重力を感じながら、目の前が真っ青になってーーーー海へ落下した所で、はっと目が開いて、ドアの前に立っていた。
冷や汗がだらだらと流れ顔と背中を濡らして、手足はぼんやり痺れて感覚がなかった。
「ねこまんまCO3831号様がお選びしたのは副操縦士の扉で御座います」ハステトの声が響いた。
てっきり心臓麻痺とか、交通事故とかを想像していた俺は面食らった。選べるってそういうこと? だったら人生を選び直したいくらいだ。仕事仕事で、楽しいことなんてない人生で、最後だけ華やかになっても仕方ないじゃないか。
はあ、とため息をついて、次へ次へと色んなドアを体験して回った。
「COmplaint of」
ーー医療ミスを訴えて裁判をしたがその後遺症のため裁判中に死亡。
「COmpany」
ーー自分の設立した会社が失敗、倒産し借金の末自決。
「COmbat」
ーー兵役により戦死。
「COntinental」
ーー地層調査中に土砂に生き埋めになり窒息死。
何十ものドアを周り終える頃には、俺はうんざりしていた。一回死ぬだけでも疲れるのに、その瞬間を何度も味わうのはとても良い気分ではなかった。
この世に幸せな死に方なんてないんじゃないか?
そう思いながらも何度も何度もドアを開いて··········
ーー俺は平凡な家に生まれた。優しいけど頑固な父と、おかんっけの強い母、賢明で優秀な兄。家族仲はよかった。いつの日だろう、兄に対して負い目を感じるようになったのは··········。仕事で成功すれば、仕事を一生懸命やれば、誰もが認めてくれると思った。父も母も、兄も、周りの人も、皆··········そうしているうちに、いつしか、みんな疎遠になってしまった。
「CO」
その世界の俺は平凡だった。仕事もほどほどで、才能なんかこれっぽっちもなかったけど、優しい女の子に巡り会えて、結婚して、ひとり子供を設けて、父さんとも母さんとも、兄ちゃんと義姉さんともたまに会って、時々学生時代の友達とキャンプなんか行っちゃって。幸せ? どうだろう。普通ってかんじだな。でも、少なくとも不幸じゃなかった。死因は、事故だった。旅行中に足を滑らせて、川に落下。やっぱりこんな死に方しかねーのかよって思ったんだけど、最後に目の前に広がる嫁さんの顔とか、子供の顔とか、家族の顔が目の前いっぱいに溢れた。
そういえば、何回も死んできたけど、走馬灯を見たのは初めてだった。
俺はドアの前で蹲って、少し泣いた。
「ねこまんまCO3831号様、如何なさいますか?」
暫く泣いたあと、俺は立ち上がって「CO」のドアを指した。
「ここにする」
「承知しました」
すると目の前にハステトが現れて、俺の手を握った。手の甲にはあの玄関の傷が三本付けられていた。やっぱりあの傷はハステトがつけていたんだ。
「ハステトは何者なんだ?」
「わたくしは神でございます。」
ぱあ、と三本の傷が光ると同時に「CO」のドアが光る。
「どうして俺の事を、ねこまんま、って呼ぶんだ?」
ハステトは少し首を傾げて言った。
「ねこまんまCO3831号様は、神が何を食べて生きているか知っていますか? 魂ですよ。貴方は神のご飯なんです。生まれたその時から決まっているんです」
それが神だって? そう言おうとした途端に、呼吸が止まり、体全体に激痛が走って、その場に転がった。暴れようともがいても体が言うことを聞かない。
なんで? どうして? 幸せに、あんな風に死ねるんじゃなかったのか?
ひたり、と目の前に黒い猫が現れ、俺の顔をのぞきこんだ。
「貴方が選んだのはCO(一酸化炭素)、身体中の酸素が一酸化炭素に結びつき、一酸化炭素中毒になって命を落とす。貴方の体験したCO(共に)とは違う世界だったのです。」
そんなことって··········! そんな仕打ちがあるか! お前なんか神じゃない! 悪魔だ!
「OH MY "COT"(cotangent)! なんてね。天から落とされた(点のない)女神は神にはなれなくとも、悪魔ではないのですよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます