第52話 世界は一人ではなかった(グローヴ)
幼馴染みというのは、幼い頃から親しくしていた者のことをいう。身体とともに、心も大きく成長する時分に自分の傍にいる幼馴染みという存在には、誰でも多かれ少なかれ影響を受ける。
グローヴは、それに関して比重が少し偏っていると自覚していた。
そもそも幼馴染みと言える存在が少ない。なぜなら家の表家業が手袋屋だからだ。手を見せることで人に信用されるこの国では、手袋を求めてやってくるのは後ろ暗い人間であるのと認識される。そうでない人間も、そうである人間もいる。しかし、後ろ暗い客を相手にする手袋屋も怪しいということで人からは遠巻きにされる。実際、裏で口に出せないことをしているわけで、周りからの評価は間違っていないとグローヴは冷静に考える。
一般の親は子どもをグローヴに近づけまいとする。だから、近くにいるのは似たような境遇の幼馴染みヘンナだった。
仲良くしなさいとは言われなかった。こわがって逃げないように守ってあげなさいと、グローヴは直々に祖父から言い聞かせられた。仲良くする方法なんてわからなかったグローヴはほっとした。
「ヘンナ、ごあいさつできるわよね?」
色なしのつめを塗りにきた母親の後ろで、不安そうに立っている女の子がいた。ちょっとだけ、いつも無遠慮に頭や顔や背中を撫でまわしてくる母親と同じような子だったら嫌だなと思っていたから、グローヴは安心した。
先にグローヴが泥のような茶色のつめを見せながら挨拶すると、えらいわねぇとつめ研ぎ師の母親が頭を撫でて来ようとする。ちょっと逃げそうになったところで、あっと女の子が声を上げてグローヴの前に出てきた。撫でてこようとした手は遮られた。
「わたし、ヘンナです。よろしくおねがいします」
土から芽生えた緑のつめをヘンナは見せた。ぺこんと頭を下げて子どもたちが挨拶し終わると、ヘンナの母親が仕事場へ連れていかれる。去っていくその後ろ姿を、ヘンナがぼうっと見送っていた。その場に残されたのは、グローヴとヘンナの子ども二人、それからお目付け役の大人が一人。
「とりえあえず、座れば」
「うん」
部屋に置かれているソファにヘンナを座らせる。自分は同じように座っていいものかと考えていると、ヘンナがあのと声をかけた。
「グローヴくんもすわってください。……すわるのがきらいじゃないなら」
「じゃあ座る」
ヘンナとは一人分の隙間を空けて座る。しんと静かだった。誰もしゃべらない。グローヴには、話しをするという選択がなかった。そんなことやったこともない。だから、腕を伸ばしてごそごそと本を引っ張り出した。いろんな種類の革の手袋の図面が載っている。文字が読めなくても、わかりやすくておもしろい。
ぺらぺらとページをめくっていると、横から視線を感じた。ヘンナが本の中身を横から覗いていた。グローヴと目が合って、はっとしたようだった。
「あ、ごめんなさい。きになっちゃって」
「べつにいいけど」
また、しんとする。グローヴがまぁいいかとページをめくろうとしたところで、おほんと空咳がされた。部屋の角で丸椅子に座っていたお目付け役だった。ちらちらと目配せしてくるが、グローヴは首をかしげる。
隣のヘンナも不思議そうにしていたが、何かを思いついてソファを下りて、自分が背中を預けていたクッションを抱えてお目付け役のところへ行ってしまった。
「あの、よければどうぞ。さむくないですか?」
「あ、ああ。ありがとうございます、ヘンナお嬢さん」
何だ、座っていた椅子が冷たかっただけか。視線を本に戻そうとすると、またお目付け役が咳をする。必死に何かをグローヴに伝えようとするが、さっぱりわからない。無表情なままのグローヴに肩を落とし、心配するヘンナをなだめて、お目付け役はわかりやすく声に出した。
「坊っちゃん、やさしいヘンナお嬢さんを退屈にさせるわけにはいきません。一緒に本を読んではいかがですか?」
「べつにいいけど」
「……えっと、じゃあおねがいします」
戻ってきたヘンナに見せるように、グローヴは二人の間にぼんっと本を置いて開いた。ソファに座ったヘンナは、興味深そうにページを眺めている。これでいいだろう。
しかし、後ろでお目付け役が何か口をぱくぱくして伝えてこようとする。目を細めてじっとグローヴは考えこむ。あ、あ、い、う……かわいくなんてわけ言うわけがない。やさしく、と言っているのか。
ページをめくろうとしないグローヴをヘンナが見上げてくる。自分より小さな生きものを見下ろして、グローヴは言った。
「お前、そんなにやさしいのがいいのか?」
違うというお目付け役の声なき叫びは誰にも理解されなかった。グローヴは、さっきやさしいとヘンナが言われていたのを聞いていたので、そんなにお目付け役が強調するほどやさしさを求める生き物なのかと思っていた。正直、やさしいが何を指すのかはよくわからない。
突然言われたヘンナは、ぱちぱちとつぶらな目でまばたきをした。
「やさしくなりたいので、やさしくしたい、です……」
「やさしい人になりたい? なんで?」
「なんで……?」
グローヴの言葉に、うーんとヘンナが声を上げる。なかなか答えが出てこない。待っている時間が暇になってきて、本の続きを読もうとグローヴが視線を落としかけたときに、ヘンナが答えを出した。
「だって、やさしかったらこわくないから。こわいのいやだから、やさしくなりたいです」
「こわいのか」
そこで、グローヴは祖父から言われた言葉を思い出した。こわがって逃げないように守ってあげろと言われていた。なら、やさしくすればいいのか。
「じゃあ、俺もお前に、やさしくする。そしたらいいだろ」
「え……。うん、ありがとう」
背後でお目付け役がほっと安心していて、意味のわからない奴だなとグローヴは思っていた。
その後、ヘンナの母親が仕事から戻ってきた。また、グローヴを抱き締めようとする彼女の腕をヘンナが無邪気に引っ張って、早く帰ろうと言って帰っていった。そのときちらりと向けられた視線で、初めてかばわれていたことにグローヴは気づいた。
祖父の言いつけを守るために、ヘンナにやさしくしようとグローヴは決めた。しかし、やさしくするための見本が周りにはいない。そのため、ヘンナにやさしくするために、やさしいと言われたヘンナの真似をするというややこしいことを行うことになった。
真似をしているうちに、傍にいるうちに、だんだんとグローヴはヘンナに似てきたのではないかと思う。そうであればいいと思っていた。グローヴの価値観は、大分ヘンナに偏っている。そうでもなければ、もっと歪んでいただろう。グローヴのいるところは、日の当たらない場所だから。祖父にもっと非情になれとも言われるが、こうなったきっかけは祖父にあるので変わる気はしない。今の自分を、グローヴはそこそこ気に入っていた。
だから、せめて幸せになってくれと思っている。ヘンナが幸せになれば、自分自身も幸せになったのも同然だとグローヴは考えている。
「だから、お前のほうも、ヘンナのことを見ておいてくれ。付き合うのはいいが、相手はよく見極めたい……」
ヘンナの様子を遠目で確認するついで寄ったパン屋で、めずらしく店番をしていたリュシーにグローヴは頼んだ。
「……言いたいことはわからないでもないけど、やり過ぎは嫌われるんじゃない。反抗期なんて一度もなかったヘンナが、反動で家を飛び出しちゃうかも」
「あそこはあいつの家だ」
「例えだってば」
はぁっとため息をつく姿すらリュシーは眩しい。久しぶりに表に出てきたグローヴは、太陽に目を焼かれないように目を細めた。
ヘンナと違って境遇も似ていないのに、いつの間にかリュシーも幼馴染みになっていた。親子揃って誰に対しても変わらず笑ってみせる。ある意味無頓着でおおらかだ。
「変な男に騙されて、悲しむ姿は見たくない」
「はいはい、わかった。私もそれとなく様子をうかがっておくわ、気になるし。……でも、先走って相手の人と接触したりしたら、ヘンナにキモいって言われるんだからね」
「そんなことは、しない」
グローヴは既に相手の男と接触しているが、一瞬だったからまぁいいだろうと判断する。
まったくもうとリュシーは美しい頬を少し膨らませながら、華麗に指を動かした。ふわっと魔法で焼きたてのパンが紙袋に詰められていく。
「じゃ、これパンね。今度はもっと早く買いにきてよ、全然顔見せないんだから」
「……まぁ、気が向いたら」
パンを受け取って、ひらりと蝶の舞のように美しくリュシーから手を振られる。幾人の男たちがリュシーに手を振ってほしいと願っているのはわかるが、グローヴは軽くうなずくぐらいしかできない。眩しすぎる。
パンの良い香りを吸いながら、歩いて自分の店に戻る。まだ仕事が残っている。すれ違った人物とちらっと視線を合わせたが、お互いに特に反応は見せない。ヘンナを守るための見張りはきちんと働いているようだった。
しかし、あの騎士とかいう男はどうするべきか。祖父は今のところ沈黙している。ヘンナが幸せになれるというのなら、祖父に逆らってでも逃がしてやりたい。
でも、もしもそうでないのなら。
「わからなければ、なかったのと同じだ」
ヘンナにわからないように、あの男を始末すればいい。しかし、そうならなければいいともグローヴは願っている。一番はヘンナだからだ。
顔を上げれば、太陽がぎらぎらと輝いて目を焼いてくる。自分の穴蔵に戻るため、グローヴは足をさっさと動かした。
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