間章

第51話 君を好きになった理由(クロー)

 クローとは、生まれたときにつけられた名前ではない。しかし、国の公的記録では「クロー」となっているため、本名である。

 中央から遠く離れた何もない小さな村で、彼は生まれた。外から流れついて村に居着いた女が母親で、村のほかの女たちと比べて垢抜けていて、人を喜ばせる方法を知っていたから、男たちに人気だった。全員血のつながらない姉ばかりが彼の上に3人ほど。それは、村では異常なことではなかった。母は男たちに崇められて村の女王として満足していたし、姉たちは母から受け継いだ美貌で好き勝手していた。女ばかりの家で一人だけ男のクローは肩身が狭く、あれこれと言いつけてくる女たちにひたすらうなずいた。でなければ、脇のあたりをぐいっとひねられる。

 気が休まるときと言えば、一人川へ釣りへ行ってぼうっとすることだった。魚が釣れれば、いつもヒステリックな姉たちも少しはおとなしくなる。

 そんな日々は突然終わる。母に呼び出されて、3日後に荷物をまとめて出ていけと言われたのだ。まだまともに働くこともできない幼い少年は慌てるが、母親は笑って喜べと言う。


「あんたのつめは、複色マルチカラーっていう、めずらしいもんなんだ。3日後に貴族からの遣いが来る。あんた、偉くなれるんだよ」

「……なんでいまさら」

「そりゃ、あたしがあんたを育ててみたかったからね。初めての男の子だし。でも、そろそろいいかな。大きくなり過ぎると引き取ってもらえないらしいし」


 そう言いながら、母親はテーブルの上にある袋を開いていっぱいの金貨を数え始める。こんな大金ぽんと出せるのなんて、貴族や大商人ぐらいだろう。

 少年はため息をついて背中を向けた。いまさら母に逆らおうなんて無駄だ。さっさと荷物をまとめるしかない。


「村の外は広いよ。あんたは大きい男になんな。……あたしのわがままで、村にいさせて悪かったよ」


 聞こえた母の声は、聞いたことのない響きをしているような気がした。どんな顔をしているのか気になったが、少年はそのまま振り返らずに部屋を出た。

 そして、3日後。涙なんて一つも見せずに、母や姉たちは満面の笑みで少年を見送った。


 それからの日々は、一言で表すと地獄だった。

 貴族に引き取られるといっても、かわいがるための養子になるわけじゃない。魔力が多く優れている複色マルチカラーとして、国に仕える有用な人物になるように、戦闘技術から教養、話術などなど叩き込まれる。特にクローは引き取られるのが少し遅かったため、余計に厳しく訓練させられて苦労をした。

 そのときに田舎臭い名前も捨てられて、クローという名前を与えられた。正直、違いなんてものはわからない。

 そして、見事地獄を耐え抜いてクローは騎士になった。しかし、護衛騎士なんていう花形がどこの馬の骨ともわからないものに任せられるわけがない。配属されたのは諜報部隊。そこには、同じような境遇の複色ばかりが集められていた。なぜなら、複色は潜入がしやすい。諜報部隊の技術を使ってつめの色の比率を変えれば、別人として行動できるからだ。

 そして、地獄の扉は二度開かれる。さすがにつめの色を変えるだけで、完全な別人にはなれない。変装の仕方、様々な階級による振る舞いや口調、専門知識、語学。ありとあらゆるものを鍛えられた。

 おかげさまで、クローは立派な騎士になった。その心に愛国心や忠誠心があるかどうかはまた別だが。


 そして、事件が起きた。

 貴族ばかりを狙った強盗。しかも、赤いつめ怪盗なんていうふうに話が広まり、あろうことか人気も出ている。どう考えてもこの話には裏がある。

 赤の色を持つ者たちが集められ、上司に潜入を命じられる。最近動きが怪しい貴族の家が複数ある。彼らの屋敷に赤いつめの怪盗に扮して潜り込み、反応や家の様子をうかがえとのことだった。

 クローと組むことになったのが、赤と茶の複色を持った大男だった。こう見えて、貴族に手をつけられたメイドから引き取られて育てられた庶子であり育ちがいい。長く諜報部隊に在籍していて頼りになり、いつも仲間と肩を組んで酒を豪快に飲むのだが、ふとした仕草が上品だった。あの日の鞭の痛みを思い出して、ぎこちなく動くクローとは違う。


「ま、気楽に行こうぜ」


 そう言って潜入した屋敷で、まさかの本物の赤いつめの怪盗と鉢合わせ。しかも、怪盗が来ることを予期していたように待機していた憲兵に追いかけ回される。憲兵まで抱き込んでいるとなると、国の内側にも敵が潜んでいるかもしれない。

 大男と分断されたクローは、大雨の中、安息を知らせる灯台のように灯りがついた店に逃げ込んだ。そこで、ヘンナと出会った。

 大雨の中、突然現れた男にヘンナは困惑しているようだった。しかし、何となく人の良さそうな雰囲気をしている。それに若い女性だ。クローは、それなりに見られる顔をあらわにして、困っている誠実な青年をアピールした。ついでにくしゃみをすれば、女性はすぐさまにタオルを持ってくる。思惑どおりだが、騙されやすすぎないだろうか。

 椅子に座らされて、魔石式ストーブを近づけて、お茶まで出してくる。しかし、人がいいのならちょうどいい。嵐が弱まるまで滞在させてもらおう。そんな打算も込みで、つめ研ぎをしてもらうことにした。

 優しく手に触れられるなど、何年ぶりだったか。もしかしたら初めてかもしれないとクローは母親と暮らしていたときまで思い返す。諜報部隊に属する人間は、正体がばれないように基本的に自分もしくは部隊お抱えの医者に整えてもらう。しかし、この医者がとんだマッドサイエンティストな側面を持っており、たまに手が滑ったとかいってつめを剥いでくる。この医者のおかげで、諜報部隊はつめの比率を変える薬を使用できるわけだが、つめまで任せられる相手ではない。

 警備隊なのかと言われたときにはクローは驚いた。正確にはそうではないが、ほとんど同じだ。手を見ればわかると彼女は言う。

 ずっと、自分ではない自分でいた。小さな村で釣りしか趣味のないつまらない少年だった。それが貴族に引き取られ、名前も捨てて、さらにいつも違う人になって潜入する。

 本来、正体に勘づくような人間は警戒すべきだ。だが、クローの中にずっと隠れていた田舎者の小さな少年が、自分を見つけてくれた人を喜んでいた。だから、ついつい思い出話なんてものもしてしまった。


 しかし、やはり“クロー”は諜報部隊の人間だった。ヘンナを脅しつけるのも、目的のためならば厭わない。

 もう二度と会わないと決めたのに、しかし不思議な縁がつながってしまったのか、それとも無意識追いかけてしまうのか、出会ってしまう。次に怪盗が現れる候補として見張っていた貴族の屋敷の一つでヘンナを見かけたときは、クローは一瞬息ができなくなった。帰り道もつい追いかけて見張ってしまい、最終的には声をかけてしまった。

 完全にヘンナが事件に巻き込まれてしまい、いろいろなことがあったものの、ヘンナはクローを好きだと言ってくれた。もう一度その言葉を聞くためなら、クローだって努力をする。

 だから、今この場も乗り越えなければいけない。


「それで、何か隠していることはありませんか?」

「……ありません。何度目の質問ですか、それ」

「何度でもしますよ。しつこいのが売りですから」


 上司が獲物を見定める蛇のような目付きでクローを見る。隠していることといえば、ヘンナのことぐらいしかない。あの赤いつめの怪盗騒動の黒幕マルジエルが拐った女性について、師であるリトリアと間違えられたとするのは流石に苦しかった。しかし、どういうつもりなのか、マルジエルもこの件については口を閉ざしているらしい。吐いて、国がヘンナを手に入れるのを危惧しているのか。

 ここで上司にヘンナのことを話すわけにはいかない。何てことない顔をしてクローが黙っていると、やれやれと肩をすくめられた。


「ま、いいでしょう。もともと諜報部隊は強盗の真似なんて非合法なやり方も実行する集まりです。あなたのそのやり方で、国の役に立っている間は目をつぶりましょうか」


 そう言って、上司は立ち去る。今は見ないふりをしてくれるつもりらしい。しかし、何らかの不利益を起こした場合はすぐさま首が飛ぶだろう。

 ため息をついたクローは、窓から見えるトネリコ樹の葉を見上げた。

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