第50話 いつか君の色の花を
将来、どんな色のソマリ花を身につけたい?
集まった女の子たちで秘密だよと言いながら、きゃあきゃあはしゃいで楽しんだ話題だった。
基本的にソマリ花というのは、自分の魔力の色に染めて身につけるものだ。でも、一生に一度自分と違う色を身につけるときがある。
それが結婚式だった。
新郎と新婦はお互いの胸元に白いソマリ花を身につける。神父の前で誓いを立てた後、それぞれソマリ花を自分の色に染めて、お互いの花を交換して胸元に飾るのだった。
少し疲れてしまったヘンナは、リュシーに一声かけてからバルコニーに出た。背後で音楽とともにダンスを楽しむ人々の声が聞こえる。それほど離れてはいないが、外に出るだけで気分は大分落ち着く。
バルコニーの手すりにもたれるヘンナの足元で、今日も一緒にいるロウソンがじゃれついてくる。ロウソンも結婚式のために丁寧にブラッシングされて、首元にリボンを巻いて、おめかしをしている。
「……やっぱり、来ないよね」
幼い少女のような夢を見てしまった自分を恥ずかしく思いながら、ヘンナは空を見上げた。雲一つない、結婚式にぴったりの快晴だった。澄みきった青い空は、手を伸ばしても届きそうにないほどずっと遠くまで広がっている。
突然、ロウソンがぐううぅっと唸り始めた。
まさかこんな場所で誰かが狙ってきたのか。
「ロウソン、早く中に戻ろう……!」
黒いものが、上から降ってきた。
とんと音もなくバルコニーの手すりに着地した黒いものは、よほど急いだようで肩で息をしていた。ヘンナの前へやってきたその人が口を開く前に、仕事の後にそのままやってきたようなくしゃくしゃのそのシャツをヘンナは握りしめた。
「――会いたかったです」
そのまま胸に飛び込むにはまだ勇気が足りなくて、ヘンナはただ離れていってしまわないように強くつかんでいた。はぁはぁと荒く息をしていたクローは、すぅっと深く息を吸ってヘンナを見下ろした。
「結婚式はっ?」
「リュシー……幼馴染みが働いているお店の同僚の方のものです。結婚式のためのつめを整えてという依頼を前々から受けていたので」
当然、ヘンナが着ているのはウェディングドレスではない普通の新緑色のドレスだ。それはクローも見てわかったらしい。
「君のじゃ、ないのか。……なんだ」
がくんとクローは顔に手を当てて床に膝をついてしまった。シャツをつかんだままのヘンナも一緒になって、その場にしゃがむ。
よかったという言葉がぽろりと漏れたのを聞いて、ヘンナの耳はじんと熱を持った。
「お仕事、忙しかったんですか?」
「……忙しいのは、忙しかったが。わざと仕事を多く受け持ったっていうのもあるな」
「どうしてわざと?」
「暇があると、君を……」
顔を覆っていた手の隙間から、クローの目がこちらを見つめてくる。じっと見つめ返していると、がくりと頭が垂れ下がって、もう一度顔を上げたときには何でもない冷静な顔つきに戻っていた。
「すまない、呼ばれてもいないのに急に来たりなんかして」
「どうして謝るんですか?」
「もう二度と君の前には現れないつもりだった」
「……どうして?」
ずっと尋ねてばかりのヘンナに、クローが全てをわかったような凪いだ目をして笑った。
「騎士団の私といるだけで、君は目立ってしまう。また、怖い目に遭うかもしれない。それだけは、許せない」
「あなたがいなくても、危ないですよ。私は、それだけのことをやっていますから」
「でも、一緒にいると目をつけられる確率はやっぱり上がる。あの早とちりの大男にもちゃんと口止めをしておくし、言い聞かせておく。……君もわかるだろう?」
言いたいことがわからないわけではない。それでも、わかったなんて聞き分けのいい言葉をヘンナはもう使いたくなかった。
駄々をこねるように首を横に振るヘンナの手を、クローが引き剥がそうとする。
「これで、最後だ。……事故のようなものだったが、別れの挨拶ができてよか――」
「わぶんっ!」
ずっと不機嫌そうに唸っていたロウソンが、立ち上がろうとしていたクローのブーツにがぶりと噛みついた。肌に牙が突き刺さるということはなかったが、困った顔をして主人のヘンナを見つめる。
ぐうぐうと怒っているロウソンの頭を撫でて、ヘンナはあえてやめるようには言わず、クローのシャツを引っ張った。
「まだ釣りにも一緒に行っていません。……デートだと言ったのは、クローさんが先です」
「軽口で、君を傷つけたのなら謝る」
「軽くても重くても、どっちでもいいです。私はもうあなたの言葉を信じてしまいました。……諦めたくないです。もっと、あなたと一緒にいたい」
ぐいぐいとシャツを握りしめながら言うヘンナのわがままを、クローははねのけることはしなかった。今は青いだけのつめを迷うようにさまよわせている。
「君を、待たせるかもしれない。一緒にいるためにしなくてもいいような努力をするかも」
「好きな人と一緒にいるための努力をしない人はいません」
ぽろりとヘンナの口から、好きという言葉が溢れ出た。たぶん初めて口にした。言ってしまってから思わず口で手を塞いでしまう。いまさら全身が震えてきた。
しばらくの沈黙の後に、ああと嬉しそうな声がした。
「君が好きだなぁ」
こらえきれないというようにクローが笑う。何だかいたたまれなくなってしまって、ヘンナはちょっと口を尖らせてしまう。
結婚式会場から流れてくる音楽が変わった。今日の日にふさわしい、穏やかにふりそそぐ陽気のようなゆったりとした曲が流れてくる。
騎士らしい固くて大きな手がヘンナの腕にそっと触れて、立ち上がらせた。そして、そのままその手はそっとドレスの裾を軽く持ち上げる。そっと顔を裾に近づけて、願うように見上げてくる。
「私と、踊ってくれませんか?」
声がかすれてしまわないように、ヘンナは唾を飲み込んでから口を開いた。
「――はい」
緑に染めたソマリ花の飾り紐を取り外した。一方の端をヘンナが、もう一方の端をクローが握る。
ずっと不機嫌そうに噛みついていたロウソンは、わぷんと仕方なさそうに鳴いてバルコニーの隅のほうで丸くなった。
遠くから漏れてくる音楽を聞きながら、誰も見ていないバルコニーで二人は顔を見合わせて笑った。飛んでしまいそうなほど軽い足取りでくるりと踊る。
教会の鐘が、新たな門出を祝うために鳴り響いた。
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あとがき
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
ここで第一部の終わりとしたいと思いますが、考えたけれどもまだ書けていないエピソードもありますので、いずれ続きを書きたいと思います。もう少しクローのことだったり、まだ生きているはずのヘンナの両親だったり、マゴーの今後や魔法学校の話などなど。幾つかの番外編アップ後の更新は遅くなると思います。
感想いただければうれしいです。
改めましてありがとうございました。
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