第24話 追い越せない過去

 ロウソンにもおいでと声をかけて、リュシーとともにヘンナは家を出た。きちんと施錠を確認して、歩いていく。


「それで、どこで待ち合わせなの?」

「噴水広場だって」

「あ。じゃあ、お店でお茶しながら見守れるところがあるよ!」

「そんなところあるの?」


 休みがなかなか重ならないこともあり、リュシーとヘンナが出掛けるのは久々だった。少し軽い足どりになっていたヘンナは、同じ通りの先に昔遊んだことのある友人の男女二人がいることに気づいた。このままだと追い越してしまう。少し足を動かすのに戸惑っているうちに、どんどんリュシーは先に行ってしまう。ロウソンがわふわふと鳴いていた。


「ヘンナ? どうしたの、靴紐でもほどけちゃった?」


 よく通る声のリュシーが振り返って呼び掛ける。先を歩いていた二人もこちらに気づいたようだった。リュシーは優しく微笑んでいる。

 さっさと通り過ぎてしまおうと、ヘンナは顔に力を入れて笑ってみせた。


「ごめん、すぐ行くね」


 ロウソンを抱き上げて急いで追いかけるヘンナと、男女二人がリュシーに声をかけたのはほとんど同時だった。


「リュシーじゃないか、久しぶり!」

「本当っ! 大人になってから、全然顔を見なくなったよね……」


 近づくヘンナに、今気づいたといったふうに二人はああっと声を上げた。


「ヘンナもいたのか。今はつめ研ぎ師なんだろ、あのお母さんの跡を継いで」

「相変わらず、綺麗なつめだよね」


 仲の良い友人のようににこにこと笑う二人に、ヘンナは貼り付けた笑みを返した。師匠の言葉を思い出して、つめ研ぎ師としての誇りを積み上げて、つめを隠さないように気をつける。

 つめ研ぎ師は、人にとって大事なつめを整える、ある程度尊重される役職だ。けれど、同時に人の繊細な部分である手に触れるという点で、ふしだらな職業だと一部の人から噂される。そのイメージを利用して、資格を持たない人間がつめ研ぎ師と名乗り、いわゆるふしだらなサービスとして売る者も裏にいる。

 ヘンナの師匠は、人を選ばずに誰彼構わず受け入れるからだと言った。つめ研ぎ師は格式ある誇り高い地位にいなくてはならない。身近であればあるほど、人は異なる立場のものを見下す生き物だから。

 祖母と母は立派な人で、年齢問わず男女どちらもどんな立場であれ受け入れてきた。結果、ふしだらな女だと周りから言われているのをヘンナは聞いてきた。ある年齢を境に、女の子達には一緒にいられないと避けられ、男の子達の一部は逆に笑いながら近づいてきた。綺麗なつめだねと言いながら。

 でも、彼らだって周囲からそう聞かされただけだから。


「久しぶりだね。元気にしてた?」


 そう返したことに意外そうな顔をするのは、自分が二人を信じられないからだろうかとヘンナは思った。当たり前のように笑って追い越せばよかったのに。

 立ち止まっていたリュシーは首をかしげて、ほころぶ花のように微笑んだ。


「えっと、どちら様? お店に来たことがある方? でも、ごめんなさい、今日は大好きな友達とお出掛けなの。お話ならまたお店でしましょ」

「え、リュシー……?」


 不穏な空気を察知したのか、腕の中のロウソンが唸っている。にこにこ余所行きの顔をするリュシーの背中を押して、ヘンナは先を急いだ。


「ごめんなさい、急いでいたの。さようなら」


 通り過ぎる際にふしだらな女と聞こえたのは、ただの思い込みだろうとヘンナは聞き流した。

 通りの角を曲がって、ばたばたと足を動かして暴れようとするロウソンをあやすようにヘンナは揺らした。


「ほら、ロウソン。せっかくのお出掛けなんだから落ち着いて。ほら、ポケットに入ってゆっくり息をして」


 何度も言い聞かせているうちにロウソンはおとなしくなり、ふてくされたように小さくなってヘンナのポケットで丸くなった。

 ほっと息をついたヘンナの頬に、美しい手が触れてくる。リュシーはヘンナの顔をぐりぐりと引っ張って、じっと覗き込んだ。


「リュ、リュシー?」

「うん、かわいい顔に戻った。私は、私の大好きなものしか大切にできないの。だから、ずっとヘンナを大事にさせてね」

「それは、私だってそうだよ……」

「ヘンナは、時々下手な嘘をつくね。でも、そんなところも好きよ」


 ぱっと頬から手を離したリュシーは、ふわふわと雲の上を歩くような足どりで進む。ヘンナは、その綺麗な後ろ姿に導かれるようについて歩いた。


「こっち。この建物の3階にカフェがあるんだよ」

「へぇ、知らなかった」

「私も最近教えてもらったの」


 連れてこられたのは、噴水広場のある通りの一本裏。小さな靴屋がある横に、小さな階段があった。そこを3階まで上がって扉を開けると、リュシーの言葉のとおり落ち着いた雰囲気のカフェがある。昼前の時間帯ということもあってか、お客さんはほとんどいなかった。

 エプロンをつけた老婦人が、いらっしゃいと声をかける。


「まぁ、リュシーちゃん。来てくれたのね」

「そう、友達も一緒に。窓際の席に座ってもいい?」

「ええ、もちろん。すぐにメニューをお持ちするわ」


 席に座ると、窓から噴水広場が見下ろせた。目を細めてマクリンの姿を探すと、レースのリボンをつけた頭が噴水近くで立っているのを見つけた。向かいの席に座ったマクリンもいたいたと声を上げる。


「どんな子なんだっけ?」

「えっと、大人びててやさしくて、ちょっとかわいいっていうのがマクリンの意見だったよ」

「あまずっぱぁい。待ち合わせの時間、もうすぐだよね」


 しかし、注文したサンドウィッチが運ばれてきても、それを食べきってしまっても、追加でデザートを注文しても、マクリンの元には誰も来なかった。フルーツゼリーをつついていたリュシーが、時計を見ながら尋ねてくる。


「時間と日にち合ってるんだよね?」

「そのはずだけど……」


 マクリンも気になったのか、窓の下で鞄から手紙を取り出しているのが見えた。

 ヘンナの頭に、泣いている顔が思い浮かんだ。椅子から立ち上がると、わかっていたようにリュシーが手をひらひらと揺らした。


「いってらっしゃい。駄目そうなら、マクリンちゃんもここへ連れてきて」

「うん。じゃあ、行ってくる」


 お店の老婦人に挨拶をして、階段を駆け下りる。ぱたぱたと上下する振動に、ポケットの中で眠っていたロウソンがひょっこり顔を出した。その頭が落っこちないようにそっと手で支えながら、ヘンナは噴水広場まで急いだ。

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