第23話 かわいい助っ人

 その後、ヘンナは少し遠回りをして家に戻った。テーブルの上には書き置きのメモが置いたままで、まだマクリンは眠っているようだった。

 動きを止めたら余計なことを考えそうで、頬をぱしんと叩いた。先に朝食を作っておこうとヘンナはキッチンに立つ。フライパンで玉ねぎとベーコンをよく炒めて、いい焼き色がついたら昨日少し残ったトマトと豆のスープを注ぐ。軽く味を整えたら、茹でたスパゲティを投入してスープスパになる。


「おはぉう、ごぁざいまふ……」

「おはよう、マクリン。顔を洗っておいで。あと、玉子はいる?」

「うぁい。えと、玉子いります」


 むにゃむにゃと洗面台へと向かうマクリンを見送って、ヘンナは目玉焼きを2つ焼く。それをスープスパの上に乗せれば完成となる。ロウソンのお皿には、茹でただけの麺と玉子、それから使い魔用の魔獣干肉をお湯でやわらかくしたものを出す。

 テーブルの上にお皿を並べ終えたタイミングで、顔を洗ったマクリンが戻ってくる。


「それじゃ、一緒に食べましょう」

「はい。いただきます」「わふふん」


 スープスパの上の卵焼きにスプーンをいれると、半熟の黄身がとろりと流れ出す。それを麺に絡めて、つるりと食べる。スープも一緒に飲むと、トマトの酸っぱさが少しなめらかになる。

 もぐもぐ頬を膨らませて食べているマクリンの顔色は、それほど悪くない。あれからきちんと眠れていたらしい。ほっとしてフォークにスパゲティを巻いていると、そういえばとマクリンが口を開いた。


「ヘンナさん、朝早くからどこへ行ってたんですか?」


 ヘンナのフォークからスパゲティが逃げていき、ぺしゃんとトマトスープの中に沈んでいった。


「お、起きてたの?」

「半分眠ってたけど、部屋から出ていくのは気がつきました。すっごく眠くて、声もかけられずにそのまま眠っちゃった」

「昨日は疲れてたみたいだし、ゆっくり眠ってていいわよ」

「でも、そんなに朝早くから忙しいんですよね。あの、私にあんまり気を遣わないで。結構一人で何でもできるから」


 なんて、おいしい晩御飯も朝御飯も全部食べさせてもらっていて説得力ないけど、とマクリンは少しだけ落ち込んだようにお皿に視線を落とした。そもそもこの2日間は休みにしよう決めていたヘンナは、慌てて否定した。


「違う違う、朝はロウソンと散歩と……それから、助っ人を呼んできたの。でも、マクリンにちゃんと聞けば良かったわ」

「助っ人、ですか?」

「そう。私の中では一番おしゃれな人よ。マクリンのデートの準備をちょっと手伝ってもらおうと思って。……勝手にしてごめんね」

「ううん、うれしい。でも、ヘンナさんが言う一番おしゃれな人って……」

「お昼前に来てもらうように頼んだの。楽しみにしていて」


 噴水広場から帰る途中で、ふと思いついて立ち寄ったのだ。本人はまだ起きていない時間だったが、母親は仕事のために朝早くから起きていたので、時間が空いたら来てほしいと頼んでおいたのだ。たしか今日はレストランがお休みの日だったはず。

 朝食を食べ終えてしばらくした後、家の呼び鈴が鳴った。一目散に階段を下りたロウソンとともに扉を開く。


「おはよう、ヘンナっ! 私に甘えてくれるなんてすっごくうれしい。それで、そのかわいい子はどこにいるの?」

「おはよう、リュシー。こちらが、アリスタイオス農園から遊びに来てくれたマクリンよ」

「マクリンちゃん? はじめまして、今日はよろしくね」


 白いふわふわのワンピースを着たリュシーは、まるで雲の切れ間から漏れる光から現れた天の遣いのようだった。目の前に現れた眩しいほど美しい人に、マクリンはぽかんと口を開けていた。ヘンナがそっと背中を押すと、勢いよく頭を下げる。


「きょ、今日はよろしく、お願ひしますぅ」

「かぁわいい。ねぇ、今日はこの子を好きにかわいがってあげてもいいの?」

「あ、す、好きにしてくぁさい」


 太陽を直接見たように目眩を起こしているマクリンは、頭に頬擦りしてくるリュシーにされるがままだった。しかし、このままでは本当にリュシーの好きにしてしまうので、ヘンナが口を挟んだ。


「今日が初めてのデートらしいから。マクリン、持ってきたリボンを使いたいのよね」

「あ、そ、そうです。手紙と一緒に、その子からプレゼントされたものなので……」


 マクリンが両手で差し出したのは、家に来たときにもつけていたレースのリボンだった。それを見てくふふとリュシーが口を押さえながら、噛み殺しきれない笑いを漏らした。


「本当にかっわいい。なるほど、その子はそういうリボンが趣味なのかぁ。それで、その素敵な服で行くの?」

「そ、そうです」


 昨日くしゃくしゃに握り締めていた花柄のスカートだったが、寝る前にしっかりぴんと伸ばしておいたおかげでふわりときれいに広がっている。袖口がふくらんだ丸襟シャツは染み一つなく、首もとのリボンも曲がっていない。

 うんうんとうなずいて、リュシーはぽんと自分の胸を叩いた。


「任せて、今日のあなたに一番似合う髪型にしてあげる」

「あ、ありがとうございますっ」


 マクリンを椅子に座らせて、ヘンナが持ってきたブラシで髪をといていく。長くからみやすい髪をきれいに整えて、スプレーを使って毛先をくるんと巻いていく。黄色いつめが光っているところから、少し熱魔法も使っているようだった。足元でロウソンが興味深そうにうろつくので、邪魔にならないようにヘンナが抱き上げる。

 器用に動く美しい手を横から見つめていると、それに気づいたリュシーがふふんと唇をつんととがらせて自慢気にする。


「上手でしょ。美容師もいいかなと思ったけど……でも、好きじゃない人には触りたくないなと思ってやめちゃった。私は、私のかわいいものしかかわいくしたくないんだもん」

「リュシーなら美容師も似合ってたと思うよ。でも、給仕服のリュシーも素敵だから悩んじゃうね」

「うふふ。ヘンナがお願いしてくれたら、いつでも美容師の私になってあげる。だって、かわいいヘンナがもっとかわいくなるなんてうれしすぎるでしょ」

「ありがとう。じゃあ、私にもリュシーをもっとかわいくさせてね」


 そうやっていつもどおりに会話していると、椅子に座っていたマクリンがはわわと頬に両手を当てて、これが都会の女性の会話……と震えていた。

 話している間もリュシーの手が踊るようにくるくると宙を踊る。すると、手も触れていないのに魔法によってマクリンの髪の両サイドに三つ編みになり、それを後ろに持ってきてくるりとさらに一つに結ばれる。いつも仕事の邪魔にならないように後ろで一つにまとめているだけのヘンナの目にもとても華やかな髪型だった。


「あとはリボンを結んで完成。ちょっと結び目を小さめに、垂れているところを長めにしてみたよ。正面からでもちらちらリボンが見えていいでしょ?」

「マクリン、鏡を見てみて」


 ヘンナが手鏡を差し出すと、右を見て、左を見て、また右を見て、マクリンは鏡の中の自分を何度も確認した。そして、椅子から立ち上がったかと思うとくるんとその場で一回転した。ひらひらとリボンが一緒に舞っている。


「ど、どうですか?」

「かわいいわ」「うん、とってもいい」


 大人二人が褒めると、わぁっと言いながらマクリンは何度も回ってスカートの裾を広げた。そこに、あの日見た泣いている少女はもういない。

 ちらりと時計を見て、マクリンはかわいい刺繍の入った肩掛け鞄をかけた。


「もう行きますね」

「え、まだ早いんじゃない? 途中まで一緒に行きましょうか?」

「ううん。ここからは一人でがんばります。それじゃあいってきますっ」


 こつこつと靴底を踏み鳴らしながら、二人に見送られてマクリンは行ってしまった。小さくなっていく背中に手を振りながら、ヘンナはぽつりとつぶやいた。


「大丈夫かな。私まで落ち着かないな」

「文通相手に会うなんて、ロマンス小説みたい。……ね、ヘンナ、今日はお休みなんでしょ。一緒にお出掛けしよう」

「もしかして、見に行くの?」

「うん。だって素敵なんだもん。ね、いいでしょ。ちょっと遠くで見守ろうよ、そしたら邪魔にならないでしょ。ヘンナ、ねぇお願い」


 甘えるようにヘンナにもたれかかりながら、頬と頬をくっつけて、至近距離で見つめてくる。長い睫毛に縁取られた瞳が水面のようにヘンナを写していた。そのお願いと自分の好奇心に負けて、ヘンナはうなずいた。

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