第22話 この朝は二人だけ
困った顔をして、助けを求めるようにマクリンが見上げてくる。
「私、町を案内することになっているんだった。……あの、どこを回ったらいいのか教えてくれませんか?」
「もちろん。どんなところがいいかしら」
初めて町に出てくる男の子の観光を目的とするなら、王族の住まわれる城を一番近くで眺めることができる高台や歴史ある魔術博物館、中央通りを走る路面魔導列車などが有名だ。デートをするのなら、美しい花や彫刻のある王立公園や人気タルトの店などが並ぶ通り、ダンスのできるガーデン付きカフェというのもある。
あれこれと幾つか教えているうちにマクリンはうとうとと瞼を重くした。
「そろそろ寝ましょう。明日は、大事な日だものね」
「うん……」
マクリンの背中を押して、客室へと移動させる。今日洗ったばかりのふわふわの布団を肩にかけておやすみと言った。むにゃむにゃと寝言のようなものが返ってきて、ヘンナは思わず微笑んだ。
ドアを閉めると、ぽてぽてとロウソンがヘンナの足元にやってきた。ふわふわの頭をやさしく撫でて、温かいその小さな体を抱き上げる。
「ロウソン、今日は偉かったね。マクリンのお兄さんみたいだった」
「わふ」
「うん、マクリンはかわいいもの。明日、うまくいくといいね」
泣いたり、怒ったり、笑ったり、ころころ表情が変わるほど一生懸命で、それが何だかうらやましい気がした。それだけ文通の相手が好きなんだとわかる。そんなに必死のなるほど好きになれる自分を、ヘンナはうまく想像できない。すりっとロウソンの頭をすりつけて、やわらかい土のような匂いを吸った。
こまごまとした片づけや明日の準備をして、ヘンナがお風呂に入った頃にはすっかり夜も更けていた。ロウソンはリビングのクッションの上でぷうぷう寝ている。そっと上からタオルケットを一枚かけて、ヘンナはやっと自分の部屋に戻る、その途中でぼうっと廊下に人が立っていることに気づいた。枕を両腕に抱いているマクリンが、扉の前に立っていた。
「マクリン? どうしたの?」
「……一回目が覚めたら、寝られなくなっちゃったの。明日のことを考えると、全然眠れない」
「お茶でも淹れようか?」
「ううん……大丈夫です」
鎮静効果のあるハーブティーでもと思ったが、マクリンは首を横に振る。ちょっと迷って、ヘンナは自室の扉を大きく開いた。
「それじゃあ、ちょっと狭いかも知れないけど、一緒に眠る?」
「うんっ」
笑って部屋に入ってくるマクリンに壁際を譲って、2人は並んでベットに入った。万が一にでもつめが傷つかないように、ヘンナは壁際にクッションを並べる。
ころんとマットの上に転がったマクリンは、すうっと息を吸ってくすぐったそうに笑った。
「いい匂いがする」
「ハーブの石鹸を使って、シーツを洗っているからかしら。匂いが気にならないならよかった」
「うん、安心します」
眠いからか、気を許したからか、マクリンの口調からは最初の固さが解けてきている。隣に潜り込んで横になったヘンナに、マクリンは幼い顔できゅっと目を細めた。
「私、町に来てよかった。楽しみだったけど、ちょっと不安だったから」
「明日には楽しみがもっと増えるわ」
「うん。でも、ヘンナさんがやさしい人でうれしかった……」
ぽそぽそと今日のこと、明日のこと、文通相手のこと、たくさん話しているうちに二人は眠ってしまった。
ぱちっとヘンナが目を覚ましたのは、まだ朝早い時間だった。カーテンの隙間からぼんやりとした薄暗い光が漏れてきている。まだ眠っているマクリンを起こさないようにベッドから下りて、そっと窓の外を見る。頭の上の空にはまだ星があるが、ずっと遠くに見える端のほうには少しだけ朝の気配をにじませている。
すっかり眠気が飛んでしまったヘンナは着替えてしまうことにした。マクリンの話を聞いて、どきどきが移ってきたからかもしれない。ぱぱっと身支度を整えてはみたものの、まだほとんどの人が眠っている時間で、朝食を準備するにも早すぎる。
ヘンナはちょっと考えて、出掛けていますというメモ書きをテーブルの上に残して、外に出ることにした。玄関を開けようとしたところで、ぱたぱたと階段から小さな足音が下りてくる。クッションの上で眠っていたはずのロウソンがわふんと鳴いた。
「おはよう、ロウソン。ちょっと出かけるだけで、すぐに戻ってくるわ」
「わふわふっ」
「……じゃあ、ちょっとだけ二人でお散歩しようか」
ヘンナはロウソンと一緒に、早朝の町へと飛び出した。
家を出る頃には、夜の空が世界の端っこのほうに移動していた。太陽が頭の先だけ出して、並ぶ建物の縁を照らしている。なだらかスロープを上っていって、ヘンナは町の中心にある噴水広場にやってきた。ここが、マクリンと文通相手の待ち合わせ場所らしい。その近くには真ん中から割けてしまった悲しい大木の跡がある。多くの住民の憩う木陰をつくっていたはずの大木は、少し前に落ちた落雷のせいで空に伸びていた枝や幹を失ってしまった。ロープで回りを囲われてそのままになっている。
ヘンナは噴水の端に腰かけた。ロウソンも噴水の端に飛び乗って、さらさらと流れる水面に鼻をつけた。
「太陽は向こうから上ってくるから、待ち合わせのときの太陽の位置はあそこかな」
そう考えながら、ヘンナは自分の手を空へと伸ばした。光の当たり方によってもつめの見え方は違う。どこか日陰で待つほうがいいか。それとも、片方の手で陰をつくりながら手を組むというのもいいかもしれない。
今までもつめを整えることはあっても、女の子が外でデートするときにつめをきれいに見せるにはどうすればいいかということをヘンナは考えたことがなかった。誰もいない噴水広場で、ああでもないこうでもないと手を動かして、ふとおかしくなって笑ってしまった。
「自分のデートでもないのに」
「……デート?」
「わっ! え、クローさん……?」
不意に声が聞こえて振り返ると、そこにはもう二度と会えないかもしれないとさえ思ったクローが立っていた。思わずヘンナが立ち上がると、気まずそうに手を振られた。朝の光浴びて赤いつめがちらちらと光っている。
「どうしてここに……?」
「ちょっと探しものがあって。君こそ、こんな早くに、その、デートか?」
今にもどこかへ行ってしまいそうに一歩足を引いたクローに、考える前にヘンナは違いますっと声を上げた。
「その、うちに遊びにきた女の子がデートするらしくて。お節介なんですけど、気になって、つい下見に」
「何だ、よかっ……ああ、そうか」
朝の光の中、ほかに誰もいない静かな世界で二人は向き合っていた。まるで世界に自分たちだけみたいだと考えて、ヘンナはうつむいた。しかし、また見ていないうちに消えていたらと顔を上げると、そこにはちゃんとクローが立っていた。目が合うと、鼻の上にしわをつくって、ふいと視線をそらされる。
お互いに何も言えずにいると、ぐるるるっうなる声が間に割って入った。ロウソンが歯を剥き出して、クローに威嚇している。
「ロウソン、落ち着いてっ」
「……やっぱり、許されないか。結局、私は君を利用してばかりで、真実も報酬も何も与えられていない」
「報酬はちゃんともらっています。急にドルドル魔鳥の高級肉が配達されてびっくりしました。あれ、あなたですよね?」
「現金より、消耗品のほうが受け取りやすいかと思ったんだが。すまない、冷静に考えれば女の子に渡すものじゃなかったな」
「そういうことを言ってるんじゃないんです」
気持ちを代弁するように、ロウソンが低い声でわふわふと鳴く。威嚇でぶるぶる震えるのどを撫でてやって、ヘンナはもう一度噴水の縁に座った。そして、隣を叩く。
「座ってください。話したいことが、たくさんあるんです」
「いや、でも……わかった」
じっと見つめるヘンナに降参して、片腕を伸ばしたぐらいの距離の隣にクローが座った。二人が眺める先には、誰も座っていないベンチや風に揺れる花壇の花、そして雷で焦げついた大木の成れの果てがある。
ロウソンを腕の中に抱き込みながら、ヘンナは幾つもある言いたいことの中から一つを選ぶ。
「何で、鶏肉だったんですか?」
「美容によくて、女性に人気というのを耳にしたことがあったんだ。だから、少しは喜ばれるかと」
「でも、クローさんは魚が好きだと言ってましたよね。鶏肉だったから、もしかして知らない人が間違えて送ったのかとも思いました。……魚が好きなのって、嘘でしたか?」
「魚は、本当に好きだ。釣りもする」
「なら、次はおすすめの魚とかにしてください。その、ドルドル魔鳥自体はおいしかったです」
「……わかった」
そこでふっと隣で笑う気配をヘンナは感じた。自分でもおかしな話題を選んでしまったと後悔していたが、今さら言葉は口に戻せない。
横を向いて表情を確認するのにためらったヘンナは、ちらりとクローの靴先だけ見た。泥だらけで履き慣らした靴が機嫌良さそうに地面を軽く叩いていた。
「でも、おすすめしたいのは、自分で釣った魚ばかりなんだ」
「結局、駄目ということですか?」
「いいや。もしも次があるのなら、一緒に釣りに行こう。魚も新鮮なほうがいいだろう」
「ちゃんと連れていってくれるのなら、いいですよ」
「ああ。じゃあ、その日はデートだな」
言われた言葉は、何に邪魔をされることなくヘンナの耳に届く。ぎゅっと腕に力が入ってぷすぷすとロウソンが鼻を鳴らした。
そろりと顔を上げたヘンナは、膝の上で頬杖をついてこちらを見ているクローが小さく笑っているのを見た。
「それって、デートなんですか?」
「君が、私と過ごす時間をそう認めてくれたら」
「私は、でも、そうしたら……今もデートですか」
頭上を鳥の群れがさえずりながら飛んでいく。空はすっかり青く晴れ渡っていて、絶好のデート日和だった。少しずつ一日が始まりつつあった。
「……あぁ。すまない。もう、時間だ」
すくっとクローが立ち上がった。そろそろ戻らないとなんて言って、ヘンナのほうも見ずに行ってしまおうとする。
「クローさんっ」
「デートは、楽しかった。……それじゃあ」
名前を呼んでも立ち止まってくれない相手を、人はどうやって引き留めればいいんだろう。
無意識に手が持ち上がりかけたとき、ざあっと強い風が吹いた。思わず目をつぶってしまったヘンナが、次に見たときにはどこにもクローの姿はなかった。
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