第18話 二度ある涙は三度まで

 呼び鈴を鳴り、階段を駆け下りて居住スペース側の玄関扉を開けた先にはぐすぐすと泣きながら立っている少女が立っていた。身長はヘンナとほぼ同じぐらいまで伸びている。きっと今日のこの日のために着てきたであろうかわいい花柄のスカートの裾をぐしゃぐしゃにして、ぎゅっと手で握っていた。髪を結んでいるレースのリボンが悲しげに垂れている。


「マ、マクリン、よね? どうしたの、怪我でもしたの? 怖いことでもあったかしら?」

「……っう、ひっく、ううっ」


 マクリンは泣きじゃくって、まともに声も出せないようだった。ぽろぽろと涙の粒が線の細い彼女の頬の輪郭を伝っていく。一緒に出迎えたロウソンが、塩辛い雨を受けて忙しなく足元を動き回っている。

 いつまでも外で泣かせたまま立たせておくわけにはいかない。ヘンナは彼女の後ろにあった、恐らく農園から引きずって持ってきたであろう車輪付き旅行鞄を手にとって、そっと泣いているマクリンの背中を押した。


「とりあえず、中にいらっしゃい。今日泊まる部屋は2階に用意してあるの」

「……ううっ、ずぅ」


 震えている彼女の肩は風に吹き飛ばされそうなほど細く、軽かった。背中を撫でながら、ひとまず2階に上がってもらう。リビングの椅子に座ってもらい、旅行鞄は壁際に置いておく。マクリンは椅子に座って、涙も拭わずにぎゅっと手で膝を握っていた。


「マクリン、目が溶けちゃいそう。お茶にしましょうか。パウンドケーキはお好きかしら? 近くのおいしいパン屋さんで買ってきたの。バターをたっぷり使っていて、ほんのり甘くて塩気が利いていておいしいの」


 ヘンナは目を合わせようとするが、マクリンはうつむいて頑なに顔を見せようとしない。肯定なのか否定なのか、よくわからない動きで頭を揺らしている。とりあえずお茶を準備しようとヘンナはキッチンへ向かい、マクリンの様子はロウソンに見てもらうことにした。

 パウンドケーキをお皿に入れて、お茶の入ったカップにミルク、それからレモンジャムをお盆にのせて、テーブルに戻る。涙は少し落ち着いてきたようだった。ほっとしながらマクリンの前にパウンドケーキとカップを並べる。


「さ、どうぞ。このパウンドケーキにはレモンジャムも合うの。良ければ試してみてね。カップはまだ熱いから気をつけて」

「……」


 少しだけ顔を上げたマクリンは、しかし膝に両手を当てたままぴくりとも動かない。じっと何かを見つめている。その視線の先には、カップを置いたヘンナの手があった。

 ぱたぱたと机の上で涙が弾けた。落ち着いたはずが、またぶり返したらしい。どうしたものかと思っているヘンナに、はくりとマクリンの口が開いた。


「どうして……」

「何かな? ここまで来るので疲れちゃった?」

「どうしてっ、そんなにつめがきれいなんですかぁっ!」

「えぇ、その、そういうお仕事だから……」


 きれいとは言っているが、誉めているというより責めているような口振りだった。お客様にもたまにこんなふうに言われることがヘンナにはあった。

 膝から手を持ち上げたマクリンは、レモンジャムを乱暴につかんで引き寄せた。指はほっそりとしていて折れそうなほど繊細そう。ずっと力を込めていたせいで指先が少し赤い。そして、つめは深く削りすぎていて形がガタガタだった。乾燥もしているのか、ささくれがある。また、栄養が足りないのか色もあまり良いとは言えず、休日に食べるバタークリームケーキみたいな明黄色のつめがくすんで見える。

 マクリンはスプーンを握って、レモンジャムをあふれるほどいっぱいすくってパウンドケーキに乗せた。


「どうせっ、どうせ私のつめはこのレモンジャムを水で薄めたのよりもずぅっと薄いし、気持ち悪いし、ガタガタで、みっともなくてぇっ!」


 泣きながら、マクリンはパウンドケーキにフォークを突き刺して食べる。もぐもぐもぐと咀嚼したかと思えば、カップを手にとってごくごくとのどを鳴らして飲み干してしまう。ヘンナはそっとカップにお茶を注いだ。


「こんなんじゃ、会えないよぉっ!」


 わんわん泣きながらパウンドケーキを食べるマクリンに、とりあえずもう一度落ち着くのをヘンナは待った。足元で見守っていたロウソンが、どうしようもなくぐるぐると椅子の周りを回っていた。

 ごめんなさいとか細い声でマクリンが泣き止んだのは、窓の外がすっかり暗くなってからだった。ロウソンにカーテンを閉めてきてくれるようにお願いすると、ぱたたたとカーテンの端を引っ張りに行ってくれた。

 その姿を見て、マクリンが少しだけ笑った。あまりに淡いそれは、すぐに悲しみの中に溶けてしまう。


「あの、会ってすぐに泣いて、迷惑かけてごめんなさい」

「気にしてないわ。……久しぶりだね。私がヘンナよ、あっちの子が使い魔のロウソン。昔会ったときのことは覚えている?」

「えっと、少し……。お久しぶりです。わかってると思いますけど、私がマクリンです」


 久しぶりということで、自分のつめを見せながら改めて自己紹介をするヘンナに、マクリンはもじもじと肩を縮こまらせた。何度も指先を丸める仕草で、つめを見せたくないのがわかった。人につめを見せられて自分がつめを見せないのは、マナー違反というより常識を疑われる行為となってしまう。

 それでも見せたくないと下唇を噛むマクリンの背中をヘンナは撫でた。


「今日は初めて一人で町まで来たんでしょう? つかれたよね。一旦着替えるのはどうかしら? せっかくのお出掛けのためのかわいい服がしわになっちゃうもの」

「べつに、もうしわくちゃになったっていいです。何だっていいんだ。こんな私が何を着たって……」

「そんなことないわ。とっても素敵なのに」

「つめが、こんななのに、ですかっ?」


 見せるというより押しつけるというように、マクリンが手をヘンナに見せてきた。その手首に自分の手を添えて、軽く撫でる。少しざらりとした肌の感触がヘンナの指先に伝わってきた。


「かわいくなりたくて、努力した手だと思うわ。それはあなたの素敵なところ。がんばったんでしょう」

「でも……」

「ちょっと失敗しちゃったのね。でも、つめの良いところはね、また新しく伸びてくるところなの」


 正直なところ、今の彼女の指先は荒れているとヘンナは評さざるをえない。でも、その原因は怪我をしたからとか、乱暴に手を扱ったからとか、そういうことではない。

 自分でやすりをかけすぎて短くなったつめ先は、肌の部分まで傷つけて白っぽくなっている。つめが薄くなって割れかけているのも、自分でつめの表面を磨きすぎたから。甘皮部分も自分で手入れしたのだろうけど、力の入れすぎで根本部分がガタガタになっている。その影響でつめに筋が浮いている。また、何を使ったせいかわからないが、肌が炎症反応を起こしている。どれもこれもつめ研ぎ師が手入れしたなら起こらないような、お金がないから自分で手入れしようとして失敗した若い子に見られがちな状態だった。


「が、がんばったのに。せっかく、会えると思って、がんばったのにっ、こんなんじゃ会えないよぉっ……!」


 三度目の涙とともに、がばりとマクリンが抱きついてくる。思ったよりも細くて軽い体を受け止めて、ヘンナはよしよしと宥めながら自分の分のパウンドケーキも後であげようと決める。

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