2 幸せの黄色のつめ

第16話 裏のある手袋屋

 赤は正義、橙は明朗、黄は華麗、茶は堅実、緑は柔和、青は聡明、紫は独創、主に七つの色で人は判断される。人にとってつめの色というのは、自分をわかりやすく表すものの一つであった。


 だからこそ、亡者の色ともされる白いつめを人は恐れるのかもしれない。まるで顔のない人間と出会ったような、動く彫像と目が合ったような不気味さを感じてしまっているのだろう。人々は白いつめを嫌う。

 けれど、白いつめを持った人間はどう感じるのだろうか。先天的な場合も、後天的な場合もある。色を初めから持たない人は、自分が何者にもなれないと思うのだろうか。色を後から失った人は、自分自身がわからなくなったりするのだろうか。どちらも想像でしかなく、結局本当の気持ちはわからない。


 目の前に差し出された白いつめを塗りながら、何度も何度も同じことをヘンナは考えてしまった。今日の依頼は、青いつめに塗ることだった。

 目の前には板が打ち付けられていて、決して相手の顔は見えない。ちょうど手だけを差し出せるだけの隙間が空いており、そこから両手を出してもらっている。顔もわからず、会話もできないので、どんな青がいいかもわからない。手袋越しに指の太さや骨を触れてみる限りは男性で、ささくれはあるが手に外傷などは見られないきれいなものだ。つめはほとんど伸ばしっぱなしで、隙間にちょっと汚れがつまっていた。塗るのは全てのつめ。自堕落な生活を送っている人で、仕事をしているなら肉体労働ではなく、人目を気にするようなものではない。

 例えば、もしもこの人が何か罪を犯した人だったのなら。罪により罰として魔力を抜かれてつめが白くなった人だったのなら、色を塗るべきではないのではないか。彼が犯した罪によって涙を流した人々を苦しめるものなのではないか。本当に困った人であったとして、ヘンナが塗ってしまうことで、その人はつめの色で身分を偽る罪を犯すことになってしまうのでは。

 そんなことを考えてしまう。祖母や母は、誰であっても救うべきだと言っていた。けれど、ヘンナは、本当に罪を犯したかどうかもわからない人を疑い、これは間違った行為ではないかと不安になる。つくづく聖女にはなれないと実感してしまった。

 旅立ちの船を誘う海を思わせるよう青を、ヘンナは目の前の全てのつめに塗り終えた。終わったことを知らされるために、とんとんと目の前の板を軽く蹴った。すると、出されていた隙間がさっと引っ込んでいく。板の向こうでがたがたと誰かが出ていく音がする。

 ふうっと力を抜くと、ずっとヘンナの靴の上に乗っていたロウソンがわふんと鳴いた。ぽすぽすと前足でヘンナの足を叩いてくるので、抱き上げて膝の上に乗せる。


「今日も静かにできてえらいね、ロウソン。帰ったらおいしいものを食べようね」

「わふわふ」


 ここでの施術中は、つめ研ぎ師の正体が誰かわからないように声を出してはいけないと言われており、それはロウソンも同じだった。本来ならば相手に声をかけながらやりたいところだが、ヘンナの身の安全を考えてということなので反抗する気持ちもなかった。

 ぐりぐりとロウソンの頭を撫でながら仕事道具を片付けていると、ヘンナの後ろの扉が開いた。


「依頼人は、帰った。出来に、満足してた」

「なら、よかった」

「上がってこい。今日は、終わりだ」


 扉から顔を覗かせたのは、見慣れた仏頂面の男、グローヴだった。目元が隠れる長い前髪に、伸ばしっぱなしの後ろ髪はゴムで乱雑に一つにまとめている。いつも襟のよれた汚れたシャツを着て、仕事の作業中についたであろうてかてか汚れが顔についている。

 ヘンナは立ち上がって、猫背になりながら歩くグローヴの後に続いてロウソンと一緒に部屋を出る。続く部屋に入ると、鼻の奥をつんと臭いが刺激してくる。あちこちにいろんな動物、魔物の革が広げられ、干されており、棚の上には幾つかの人間の手首を型どった石膏が並べられている。ここがグローヴの表の仕事場だった。


「ちょっと、座って待ってろ。準備する」

「わかったわ」


 慣れているヘンナは、端のほうで物置になっている椅子を使うべく、上に積み重ねられた物を一旦床の上に置くことにした。そこに置かれた何枚もの紙には、大きさが違う非との手が書かれており、節のそれぞれの長さや指の幅、手首の太さまで細かく数字が書き込まれている。手袋をつくるための設計図だ。それらの紙をきれいにまとめて床に置いて、ヘンナは椅子に座った。ロウソンは膝の上に乗って、鼻先をヘンナのお腹にくっつける。使い魔にはこの部屋の臭いはきついようだった。

 ちゃりちゃりと硬貨を数えていたグローヴが、のそのそとヘンナのところへやってきた。


「今日の依頼分だ、確認しとけ。茶、持ってくる」

「うん、ありがとう」


 硬貨の入った袋を手渡すと、グローヴはまた背を向けてのそのそと壁際にある湯沸し器を操作する。カチッとレバーを引くだけで、ガラス瓶のなかでこぽこぽと水が沸騰していく魔道具だった。

 その音を聞きながら、ヘンナは硬貨の数を確かめる。ちゃんと間違いなく払われていた。


「ちゃんとあったよ」

「そうか。……茶葉、切らしてた。お湯でもいいか」

「熱すぎるから、ちょっと水も入れてくれる?」

「わかった」


 カップにお湯と水を混ぜた白湯を淹れて、グローヴはまたのそのそと戻ってくる。一つをヘンナに渡し、自分の分の白湯ももう片方の手で持っている。そのつめは、多くの人によって踏み固められた土の道のような茶色をしていた。

 手の形に切られた革やその切れ端が散乱する大きな作業机にもたれて、グローヴが白湯を飲む。あちっと小さく呟く相手を眺めつつ、ヘンナも一口飲んだ。ほわりと緊張の緩む温かさが胃の中に広がる。


「最近、どうだ?」

「いつもどおり、穏やかにお店をやってるよ。新規のお客様もちょっとずつ増えてきて、それはうれしいかな」

「そっちに、変な客が来たら、言え。じいさんたちも、動くだろ」


 手袋職人のグローヴの祖父も当然手袋職人だ。つめを隠すことを良しとしないこの国で手袋を求める人間は、大体は危険な手仕事を行う手袋職業人か、事情がある人間だ。手袋職人にはそういった伝手があるということで、白いつめの客とさらには施術場所まで提供してもらっている。表向きは、そういうことになっている。


「グローヴのおじいさまたちに出てもらうことなんてそうそうないよ。ロウソンもいるし」


 実際にはクローという存在がいたが黙っていた。口にしてしまえば、どんなことが起こってしまうかわからない。

 ぽつぽつと、グローヴは一人言のように話す。


「ここで、じいさんに歯向かう馬鹿は、裏にはほとんどいない。でも、たまに馬鹿がいる。異変があったら、すぐ言え」

「もう何度も聞いてるから、もちろんわかってるよ。でも、今のところはいるとしても、ちょっと迷惑なお客様ぐらい」

「迷惑客でも、言え。そいつを、二度と人に見せられない面にしてやるから」

「本当に大丈夫だよ……」


 恐ろしいことを雑談と同じような温度で話すとき、ヘンナは目の前の幼馴染みを少し怖いなと思ってしまう。今、白湯に息を吹き掛けている彼は、何の気負いもなく人を傷つけられてしまう。

 ヘンナの前ではやさしいおじいさまが、手袋職人の裏でどんな顔をしているのか。知ってしまえばいつものように振る舞えない。わかっていて、彼らはそういったものをヘンナの前に出さない。祖母の代でどんなやり取りがあったのかわからないが、ヘンナは誰も拒まずにつめを塗り、グローヴたちはヘンナたちを守ってくれる。そんな関係が続いていた。

 怖いと思ったり、不安に思ったり、信じられなかったり、ヘンナは自分が人の好意を踏みにじっている存在のように思えてしまう。つめ研ぎのときの祖母や母は、いつもやさしくて、立派で、誇りを持っていたのに。

 一口だけ飲んだ白湯のカップで手のひらを温めているヘンナに、ロウソンが腕の隙間から顔を出してカップの中身をぺろぺろ飲み始めた。飲みやすいようにカップを下げてやるヘンナに、グローヴが名前を呼んだ。


「困ってなくても、何かあったら、呼べよ」

「え、うん。何、念押しなんかして?」

「お前、自分より他人、優先するだろ。自分後回しで、なかなか頼ってこない。お前の悪癖だ」

「そんなことないと思うけど」

「お前に出したお湯、使い魔に飲ませてるだろ」


 別にどうしても喉が渇いて飲みたいわけじゃなかったから。水を飲んでいたロウソンが顔を上げて、こちらをじっと見上げてくる。

 自分の使い魔の頭を撫でつつ、ヘンナは謝った。


「えっと、ごめんね。せっかく私のために準備してくれたのに、ロウソンにあげちゃって」

「そうじゃない。そこで、俺を気遣うな。……何が悪いんだと、お前は開き直ればいい」

「でも……」


 そんなにだろうか。地下の道をクローと二人歩いたときのことをヘンナは思い出す。もっと自分を大切にするべきだと言われた。

 ヘンナとしては、自分の嫌だと思うことはほとんどしていない。治療をすると決めたからしたし、水だってそこまでこだわるものじゃない。謝ったのも、確かに気遣いがなかったかなと改めて思ったから。


「でも、そうなのかな。私、自分を蔑ろにしてるように見えるの?」

「……珍しい。いつもは、認めないのに。何かあったか?」

「私、そんなに頑なだった? ただ、お客様に同じようなことを言われただけだよ」

「ふうん」


 ずずっと音をたてながらカップを傾けるグローヴは、前髪で隠れている意外と鋭い目でヘンナを上から下まで眺めてくる。クローのことで何か勘づかれただろうかと、ヘンナはちょっと慌てつつも足をきっちり揃えて座り直した。

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