第14話 秘密の多い怪盗

 漏れてくる話を聞くと、ここには怪盗として憲兵などに追われている二人の赤いつめの男たちがいる。もしかしたら赤いつめの怪盗は複数人いるのか、また貴族の屋敷に忍び込むつもりでいるのか、こんな広い施設を隠れ家にしているということは何かの組織が裏にあるのか。幾つかヘンナは思いつくことがあったが、それらは全て疑問のままに留めておいた。

 それよりも、問題はつめの剥がれた手で苛立ちまぎれに壁を殴ろうとしている男のほうだった。手が壁にぶつかる直前に、ヘンナは思わずその腕に飛びついた。その勢いのまま壁に叩きつけられるかと衝撃に身構えるが、痛みは来なかった。

 気づくと肩に腕が回されており、クローがヘンナを上から抱き込んで壁の間に割り込んでいた。直前で力を抜いた男が、ヘンナに怒鳴る。


「馬鹿野郎っ、力もねぇ癖に割り込んでくんじゃねぇよっ!」


 無茶なことをした自覚はヘンナにもあった。でも、こちら側にも言いたいことはある。


「そうですね。でも、壁を殴っていたらあなたも怪我をしていました」

「あぁ……? 俺は頑丈だし、怪我には慣れてる。お嬢ちゃんとは違ぇんだよ」

「指はそうそう鍛えられません。つめのない指というのは、弱点をさらしているようなものなんです。剥き出しの指を無理に力を入れると指先部分の肉が隆起して、新しいつめが生えてくるのを阻害します。すると新しいつめがガタガタになって、あなたが痛い思いをしてしまいます。だから、やめてください」

「……んだってんだよ。わかったよ、おとなしくしておけばいいんだろうがっ」


 思わずまくし立てるようにヘンナは言い返してしまい、途中で我に返ったが、男は仕方なさそうにうなずいた。

 そのタイミングで、ロウソンが勢いよく頭からタックルを男に仕掛けた。無防備な脇腹を狙われて、男はぐえっとベッドに沈み込む。ヘンナがちらりと後ろのクローを見ると、大きな手のひらが肩を軽く撫でるようにして外れた。


「じゃ、茶色のつめで頼む」

「わかりました。それでは、つめのほうの施術に移りますね」


 ヘンナは鞄からネジカネ魔貝の粉末とスライムパウダーを取り出した。調合皿の上でそれらを混ぜ合わせるヘンナを見ながら、ベッドに横たわる男はクローへと低い声で語りかける。


「つうかお前、お嬢ちゃんにどこまで話したんだよ」

「……赤いつめの怪盗として追われていることぐらいは知っているはずだ」

「はぁっ、それだけかよっ!」


 興奮して跳ね上がった男の腕を捕まえて、ヘンナは失礼しますと声をかけながら厚紙を指に添えた。格子の模様が入っている紙を使ってそれぞれのつめの大体の大きさを計り、それをはさみで切っていく。これを型紙として、人工つめのチップをつくっていくことになる。

 作業を進めるヘンナに、男がそっと声をかける。


「あのよぉ、いくら怪盗が好きでもこんな危ない橋は渡るもんじゃねぇぞ。俺ぁは助かってるが、警備隊がしょっぴくぞ」

「申し訳ありませんが、ファンではないです」

「じゃ、何だってんだよ。自覚ないかもしれねぇが、相当危ないことしてんぞ」


 心配の声をかける男に、クローが後ろから口を挟んだ。


「私が脅したからだな」

「んだと、このクソ野郎っ! 俺がお前のつめを剥いでやろうかぁ?」

「あの、違います。たとえ脅されなくても、こうしていました。白いつめの人を塗るのは、もともと私が犯していた、問題ですから」


 また喧嘩になりそうな気配を察知して、ヘンナはそう言った。しかし、それが犯罪だとは、わかっていても重すぎて言えなかった。それが罪だとわかりつつも、見ないふりして色を塗り続けている。自分が正しいとは、ヘンナには言えなかった。

 しかし、手元を狂わせるわけにはいかない。大きく息を吸って雑念を頭から追い払って作業を続ける。


「たとえ犯罪者のつめでも、それが白ければ塗ります。白いつめであると人は人でなくなってしまう。そうなれば、どんどん罪を重ねるしか道はなくなる。せめてつめが一筋の希望となって、やさしい人になれるようにと」


 言い聞かせるようにして並べた言葉は、ヘンナのものではない。幼い頃から語り聞かされた、祖母や母の言葉だった。

 型紙を切り終わり、チップを生成しようと顔を上げたところでこちらを見ている男とヘンナは目が合った。なぜか目尻が潤んでいる。空気が乾燥していただろうかと、ヘンナがオイルに手を伸ばしかけたところで男はずずっと鼻をすすりながらごしごしと腕で顔を拭った。


「やべぇ……年取ると涙もろくなんのは都市伝説じゃねぇのかよ」

「あの、あんまり顔を触るとつめの隙間に雑菌が入っちゃうので。もう一回指を清めてもいいですか」

「あ、はい……」


 もう一手を特に指を清潔にしてから、パウダーとスライムリキッドを粘りが出るまで混ぜたものを型紙の上に伸ばして、つめの形に整えていく。生成したチップに埃などが入らないよう細心の注意を払いつつ、固まったそれを剥き出しの指先にはまるか確認する。大きさに問題はなかった。防水用に、上からオイルを軽く馴染ませる。


「このチップはテープで固定します。ずれると隙間から水や菌が入って、カビが生えることがあります。固定した後はあまりチップを触らない、清潔にする、水に触れないようにするの3点が大事です。シャワーを浴びるときは手にグローブか何かつけて、濡れてしまったらすぐに乾燥させるを心がけてくださいね」

「これは、接着剤みたいなのでくっつけないのか?」

「つめが剥がれて残っていないのでできません。肌に直ではくっつけられないので。根本からまた新しいつめが生えてきますから、それを邪魔しないようにテープで固定します」


 人の指とは不思議なもので、元気なときは自由自在に動かせるというのに、つめがぽろっとなくなってしまっただけで物をつまんだり、力を込めたりすることができなくなってしまう。不便にならないように、ずれないように少しきつめにチップをテーピングで固定する。

 指にしっかりと収まったチップは、雨上がりの地面のような茶色のつめに見えた。ずれがないか確認して、ちょっと手を上下左右に揺らして留まり具合を確認した。どちらも問題がなく、ヘンナはほっと胸を撫で下ろす。


「つめが剥がれた指はこれで大丈夫そうですね」

「このチップってのは、いつまで保つんだ?」

「1週間ほどです。その頃にはつめの色も戻っているでしょうから、かかりつけのつめ研ぎ屋で診てもらってください」

「1週間つけっぱなしで大丈夫なのか?」


 どこか不安そうな男に、そういえばこの人たちはこういうことに詳しいんだったとヘンナは思い出した。一般の人は、自分の魔力と違う色のつめを塗ろうという発想がないので不安にならない。

 違う色のつめを塗るには、他人の髪やつめを利用して他人の魔力を借りることになる。これは、他人の魔力という異物が上から蓋をして、魔力がつめから放出できなくなっている状態だ。この状態が長時間続くと、魔力が爆発してつめが吹っ飛ぶ。だから、長時間の使用は望ましくない。

 ただ、ネジカネ魔貝を使ったやり方だとこの拒否反応が起こらない。安全であるからこそ、この手法が世に出回れば悪用されかねないので、製法は我が家の秘伝だとヘンナは言い聞かせられた。


「詳しくは教えられませんが、この方法で拒絶反応は起こりません。どうしても気になるようなら外してもらっても構いませんが、テーピングをやり直すときは緩くなりすぎないように注意してください」

「いや、あんたを疑いたかったわけじゃねぇんだ。悪ぃな」

「いいえ、不安になるのは当然ですから。呼んでもらえば、すぐにまた見させてもらいます。では、こちらの残りの指も処置しますね」


 ヘンナはラトナツバキの接着剤を取り出して、細い木の棒の先端で割れたつめをくっつけていく。接着したところがぽこぽこと浮いてしまうので、そこをやすりで表面を軽くなぞって滑らかにする。あとは、仕上げにネジカネ魔貝を練ったものを刷毛で塗れば完成となる。5本の指が全て茶色のつめになった。

 あともう一頑張りだとヘンナが息つくと、ベッドの上で丸まっていたロウソンがわふわふと鳴いて頭を差し出してくる。パートナーのお誘いに甘えて、ヘンナは柔らかい毛を撫でて癒されることにした。


「お茶でも、淹れようか?」


 少し離れたところに椅子を置いて座っていたクローが提案してきた。断る前に、そうしろと男が顎をしゃくった。


「なんか茶菓子になりそうなもんも持ってこい。どっかにあんだろ」

「……あっても、湿気てるんじゃないか」


 ヘンナが止める隙もなく、クローはお茶を淹れにいってしまった。茶菓子など、お菓子の欠片がつめの隙間に入り込んでしまうと困るので、施術途中では食べられない。


「じゃあ、クローさんが戻ってくる前に反対側の手も終わらせてしまいますね。」


 さっきと同じように手を清め、つめの形を整えてからネジカネ魔貝のジェルを塗るだけだ。

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