第13話 希望を手に

 顔を上げたヘンナは、こちらを見守っていたクローを振り返った。


「お医者様には見せましたか?」

「今はほかに誰も呼べない。何にも関係ない君一人を連れてくるので精一杯だ」

「……事情はわかりました。でも、このままではつめが白いまま治らなくなります」


 ヘンナの言葉に大きく反応したのは大柄の男だった。肩に力を入れて無理矢理険しい顔をしている男の手を両手で握って、ヘンナはその鋭い目と目を合わせた。


「今なら間に合います。私に、手を貸してください」

「……お嬢ちゃん、医者じゃなくてつめ研ぎ師なんだろ?」

「つめ研ぎ師です。だから、必ずあなたのつめをきれいにします」


 不安な言葉は口に出さない。つめ研ぎ師としてここにいるのだから、余裕を持って当然のようにヘンナは笑ってみせた。男はじっと黙ったまま、小さくこくりと頷いた。

 ガタッとヘンナの横に椅子が置かれた。


「床に座ったままだとやりづらいだろう。ほかに何か手伝うことは?」


 椅子を置いたのはクローだった。ヘンナは椅子に座り直して、幾つか注文をつける。


「お湯と水、あと洗面器を持ってきてください。それから、清潔なタオルはあればあるほどいいので、たくさん集めてきてもらえると助かります」

「わかった」


 クローはさっさと部屋を出ていってしまった。ヘンナはワンピースのポケットを軽く叩いて、パートナーに呼びかけた。


「ロウソン出てきて。ちょっとだけ、この人に生気を分けてあげて」


 ぽすんとポケットから出てベッドの上に着地したロウソンはすんすんと鼻を鳴らして、気が進まなそうにヘンナを見てぼふと鳴いた。気に食わないクローの仲間ということもあって、渋っているようだった。その頭をやさしく撫でる。


「お願い、ロウソン。私が助けたいの」

「……わふん」


 仕方ないというようにロウソンがのそのそとシーツを上っていって、男の腹の上で腰を下ろした。わさわさとロウソンの白い毛が膨らんで、頭のてっぺんの毛が天井へと伸びていき花がぱっと開く。フラドックスは自分の庭の植物に生気を分け与えることができ、使い魔となったロウソンはその生気を人間にも分け与えることができた。

 ヘンナは鞄からエプロンを取り出してさっと紐を後ろで結んだ。次にサントマ聖水で自分の手を消毒し、さらに清潔な布に染み込ませ、男の腕を清めながら何度も肘あたりから手首までを往復して指圧した。弱くなっていた魔力がロウソンのおかげで少し力強くなってはいる。しかし、やはり動きが途中で狂ってしまっていた。

 他人の魔力を操作するなんて高等技術はヘンナは持っていないが、パートナーであるロウソンの魔力なら操ることができる。男の魔力に混じったロウソンの魔力を意識して、正しい方向へ流れるように指先でやさしく誘導していく。狂った流れをほどいていき、詰まって固まった箇所をほぐすように円を描いてマッサージをする。肩のあたりから肘、そして手首へと流れて、指先の一本一本を傷つけないように丁寧に指で刺激していった。


「痛くないですか? 違和感があったら教えてください」

「別に痛くねぇよ。昨日から、指先は感覚がねぇんだ」

「火傷のようですね。赤く腫れています」


 触れると指が内側から膨れたように腫れていた。暗がりでわかりづらいが赤くなっており、腫れて太くなった指同士がぶつかって手が動かしづらそうだった。

 ヘンナが確認していると、そのときのことを思い出したのか男は舌打ちをした。


「まさか雷を落としてくるたぁな、思わず油断した。絶対ぇそんな実力のある奴じゃねぇし、お貴族様の魔道具か何かだろ、あれっ。雑魚にしてやられるのが一番イラつく……っ」

「雷ですか?」

「ああぁ? いや、何でもねぇよ……」


 ヘンナが顔を上げると、男はまた顔を背けて黙り込んでしまった。

 雷と言えば、あの地面が浮いたような昨日の感覚を思い出す。もしあれを直撃したのあれば人の形を保ってもいられないところ、この程度の怪我で済んでいるということは男は優秀な魔法使いなのだろうとヘンナは判断した。

 片腕のマッサージを終えて、つめの先をもう一度確認してみる。まだ白くはあるが、さっきよりもうっすら色味が出てきたように見えた。


「こちらの腕の感覚はどうですか。自分の魔力の流れは感じられますか」

「……ああ、さっきよりも随分マシだ。細ぇが、魔力が通ってる」

「良かったです。それでは、もう片方の腕もやってしまいましょう」


 もう片方の腕を引き寄せようとしたとき、クローが部屋に返ってきた。2つの水差しを突っ込んだ洗面器を抱え、もう片方の腕にタオルが抱えられている。

 ありがとうございますとお礼を言って、洗面器にお湯と水を入れてちょうどいい温かさにし、タオルを絞った。そして、温かい濡れタオルをマッサージを終えたほうの腕に巻いておく。


「クローさん、手が空いているのでしたらタオルを巻いたほうの腕を擦ってあげてくれませんか。肩から手首へ、上から下へという感じで、痛くない程度の力でやってあげてください」

「……わかった」


 魔力の流れは一時的に綺麗にはしたが、まだ不安的で狂ってしまう心配がある。外からの指圧で促すだけでも大分違うので、症状が酷いほうの腕をクローに任せることにした。その間に、ヘンナはもう片方の腕の治療に取りかかった。さっきの腕に比べれば、それほど困難状況ではない。すんなりと魔力の流れを正しく戻すことに成功した。

 黙々と真顔で男の腕を擦っているクローに声をかけて、腕に巻いていたタオルを外した。そのつめを見て、あとクローが声を漏らした。


「色が、少し戻ってきてるんじゃないか?」

「色が完全に戻るには時間がかかると思いますが、完全に色をなくすことは避けられました。今と同じように、毎日腕を擦ってあげてくださいね」


 そうヘンナが伝えると、クローが返事する前に男がへんっと鼻を鳴らした。


「クソガキに世話されるなんて、ぞっとするぜ」

「あんたがヘマしたせいだろう」

「運が悪かったんだ。てめぇなら今頃黒焦げだぜ」


 少しだけ気が緩んだようで、男とクローは軽口のようなものを叩き合っている。

 ヘンナは男の手をとって、もう一度指の状態を確認した。まだ人にとっては白いと表現される色ではあるが、一月もすれば色を取り戻し、またつめも生えてくるだろう。それまで、つめ先を保護しておけばいい。


「こっちの手はジェルを塗れば良さそうですね。つめが剥げているほうはチップを使いましょうか。つめは何色ですか?」

「赤だ」「茶色にしてくれ」


 同時に違う答えを返されて、ヘンナは手を止めた。赤と答えた男がぎらっと睨んで、茶色と言ったクローが涼しい顔をしてそれを受け流している。

 また胸ぐらをつかもうと上半身を起こしかけた男に、その腹の上に居座っていたロウソンがわふんと抗議をして、ばたばたと前足で分厚い胸筋を叩いた。それを手でいなしながら、男はクローに言葉で噛みつく。


「何のつもりだ、赤じゃなきゃ意味ねぇだろうがっ」

「魔法もまともに使えないそんな状況で、任務に戻れるとでも」

「じゃ、てめぇ一人でどうにかできるつもりか?」

「まともに動けないあんた庇いながらよりも、一人のほうがずっとマシだろう。もう休んだほうがいい」

「んだと、クソガキっ!」


 緩んでいたはずの空気が、二人の言い争いでまた緊張が生まれてきてしまう。段々と男のほうがヒートアップしてきているようだった。

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