史上最悪の就職祝い
高等専門学校は、五年制である。その五年間を夫はきちんと過ごし、人並み以上に学問もした。
でなければ、今の会社に採用されるはずもない。私がのほほんと女子高生なり女子大生なりをやっている間、夫は親の言い付けを守って学生の本分を果たしていたはずだ。
そしてその代わりのように、仲間は出来ても友人はできなかった。
私などが注ぎ込んだ付け焼き刃のネタでは軽い話に付いて行けず、学生の本分に反するそれにはそれこそ相槌を打つのが精いっぱいだった。その事は夫の仲間で現在は夫の提携先の企業に勤めている人から聞いているから間違っていない。
「そうですね」
夫の両親はよほど厳しい家庭だったのかと聞かれた際にはそう言っておいた。関健太郎や木村和也と言うかろうじて友人と呼べなくもない存在もまた有効なソースとなり、また藤木譲がかつては劣等生だったと言うやはりソースある情報と相まって、藤木譲の父母の像が出来上がって行く。
さらに藤木譲の両親もここに来てその存在を知られる事となり、一流企業の当時部長と教育ママかつ勤労意欲溢れる存在と言う、何も間違っていない情報が高専内に伝播される。夫はその事を全く気にするそぶりもなかったらしいが、それでも平田家を除くよそ様の家庭の事を知る事になり人並み以上にはショックを受けていたかもしれない。まだ中学生と言う親の目がある所から全寮制の高等専門学校と言う親の目の弱い場所になり直にぶつけられたその風は夫を容赦なく殴りつけ、夫の形を必死に変えようとした。
いずれにせよ、五年制の高等専門学校では二十歳の誕生日を学内で迎える事になる。その際に親兄弟から誕生日プレゼントが届く事はちっとも珍しくないのは言うまでもない。
夫から聞くには就職祝いと言う事でかネクタイや背広、あるいは大人への第一歩と言う事かお酒もあったらしい。
そして、夫にも就職祝いはあった。
やけに小さな段ボール箱。
あるいは携帯電話かと思ってゆっくりと、自分の部屋で開いた夫。
そこにあったのは、折り畳み式の、横長の物体。
いわゆるガラケーとも違う、内側の上下両方に画面のある物体。
そう、ゲーム機。
センテンドーSDと言う名前の、ゲーム機。
と、一枚の手紙。
「あなたはもう十分に勉強する習慣を身に着けました。これでようやく安心して遊ばせる事が出来ます」
二十年間の子ども時代に触れさせる事を拒み続けたシロモノを、解禁してあげると言うのだ。
「……………………」
夫は無言で段ボール箱を閉じ、そのままこのいやげ物を放置したと言う。
全くその通りだ。
どこの世界に成人祝いにゲーム機を贈る親がいると言うのか。
いやそれ自体はまだともかく、今の今まであそこまで頑なにやだやだと言って来た人間が急に何様のつもりなのか。
しかも事もあろうに、市価一万五千円の所を一万円で買った物だと言う。
ご丁重にレシートまで同封し、これ見よがしにそれが中古品だと見せつけている。
結局夫はその代物を八千円で売り払い、私とのデート代に変えた。随分と随分な話だが、あるいはこれさえも送り主にとって見れば絶好の展開かと思うと胃痛がする。
学問に集中した夫は中学時代も高専時代も部活動には全く熱心ではなく、ロボコンのためのゼミに集中するためと言う名の帰宅部でしかなかった。いや正確には幽霊部員ながら科学部にいたが、とても部活と青春の二文字が結び付くような生活などしていない。
私も夫に運動部は無理としても文化部を勧めなかった訳ではないが、正直熱心にはほど遠い姿を見せられて私もため息を吐いた。そればかりは言ってもいいと思い玉枝さんに相談もしてみたが、言い聞かせておくから適当に流されたきり梨の礫であり、夫もその件について深く語ろうとしないのでこれ以上突っ込むのをやめた。
思春期を過ごすと共に親の欠点も見える、と言うか親と言う他者の存在を一己の人間として見られるようになる。そう教科書で習ったけど、他人の親はもっと早くその正体が見抜ける。そんな底が見えた存在に対しては、パターンと言うのが出来上がる。実際キャッチザモンスターの手ごわいボスも必勝法を聞いてからはあっさり倒せるようになった。これだけでも意味があるとか言おうもんならばそれこそあの人にぶっ飛ばされるかもしれないが、それならそれで構わなかった。
「いやさ、譲は悪い人間じゃないよ、ものすごく善良で羨ましいぐらいだ。でもさ、政美ちゃんって言ったっけ?大変だろ彼女をやるのは」
「そうでもないですけど」
「いやね、あんな人間を育てたような人を姑にするんだろ。絶対嫁いびりするよ、携帯さえも18まで持たせてくれなかったって、18って言えば普通大学入学の時期だろ?」
譲の仲間だって人から聞かされたその言葉が、あの人に届く事は決してない。康介さんも康介さんで丸投げと言うより自分なりに咀嚼した上でそれがいいと思っているようで、あの人の方針に口を出す事がない。
誰よりも妻の事を大事に考えている夫と言う部分は遺伝させたようだが、それ以上の事を遺伝させないで欲しい。ああ仕事ができると言う部分は遺伝させたようだが、それ以外はどうでもいい。
「へぇー、すごいいやな人だね」
そんな夫の実父母の話を祐介に言い聞かせた際には、祐介も呆れていた。祐介も祐介でお金をきちんと使うべきとか言ってその手の古い物が売っている店に行く事もあるが、それはあくまでも自分のためでしかない。贈り物にそんな中古品を贈るなど、いっそない方がましだと言う物だ。
「でもさ、どうしても、どうしてもってずっとガマンしてたのかもね。おじいちゃんやおばあちゃんからしてみればほんとうにいやでいやでしょうがなかったけど、もうあきらめるしかなくて。とにかくぜんぶ1ってかいておけばいいのかなって」
「やった事あるの?」
「ないよ!」
そしてもし本当に祐介が夫の遺伝子を受け継いでいるのならば、夫の頭は悪くない。なぜ勉強ができなかったのかについてはわからないが、こうなる下地は持っていたと言う事だ。
自分としてはとっとと消えてなくなるだろう存在に貴重な金銭を使いたくないし、時間を取られたくもない。だからこそああしたのかもしれないが、結果は真逆だった。
(萩野君さえもその話をしていると知ったらどうしたかしら。
ああ、知っていたからこそあの子は特別だからとか言う理屈を振りかざしたんでしょうね、そしてそれが今の夫を作り上げてしまった…)
萩野と言うクラス一の優等生がキャッチモンの話をしているのを、あの人は聞いた事があるのだろうか。あの時のあの人は私や萩野君と言った存在を崇め、我が子と比べていた。そんな真逆の存在がタブーだったはずの存在に手を出していると知った場合、あるいは必要なのかと認めると言う道もあったかもしれない。だがおそらくあの人は自分の息子にはまだ早いと感じ、萩野君みたくなればいいと言ってお勉強をさせるように言った。
あるいは、本気で萩野君を越えさせようとしていたのかもしれない。でもその理屈で言えば中央省庁の官僚と大企業の課長と言う比較しがたい現在の地位を盾に今でさえもまだごねる事はできた。あるいは萩野君が大学生で夫が社会人になっている二年間の間にある意味萩野君を越えたと見なして与えたのかもしれない。
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