「チキンライス」

 なぜ祐介がオムライスが苦手なのか。

 それは、夫のせいであり義父母のせいである。

 夫の実家も私の実家も、どうと言う事のない中流家庭だった。一般庶民と言う四字熟語にこれでもかとあてはまるぐらいの、サラリーマンの父と主婦の母を持ち兄弟姉妹を持たない家だった。

 






「しかしさ、お互い意外だよね。お酒が呑めないなんて」

「俺は呑めるんだよ!すぐ泣くだけで!」

 そして結局、夫の友人はその時から一人も増えなかった。その小学校時代の友人も祐介を産んでからは年に一度酒を飲む程度の関係であり、友人と言えるかどうかすら怪しい。一応年賀状のやり取りはしているが、それまでとも言える。

「でもさ、未だに譲が政美とくっつくなんて信じられねえんだよ」

「結婚して何年経ってると思ってるんだよ」

「多分死ぬまで信じられねえ」

「和也さん」

「悪い悪い、絶対政美は萩野とくっつくと思ってたんだよ。でも今じゃ大ヒット商品の開発者だろ?ったく、政美の男を見る目は相当なもんだな」

「違うよ、政美が譲をこんな男にしたんだよ。うちも目を付けてた甲斐があったって奴でね」

「御曹司様もよくやるよな!こんな話のつまんねえ奴がな!」


 夫の友人。

 小学生時代からガキ大将で今ではコンビニの店長をやっている木村和也。

 大企業の社長の息子で今は二代目、いや三代目を受け継いでいる関健太郎。

 —————以上。ああ萩野と言うのはやはりクラスメイトの優等生。


 こんな事態になった責任を追及できるならば、いくらでもしたい。もしその件専門の弁護士がいるならば、是非とも会ってみたいものだ。

 中学でも高等専門学校でも夫に友人はできず、常にぼっちだった。もっとも好いてくれた女子がいない訳ではないが、しょせん私と言う彼女がいる時点で皆結局離れていくし、男もぼっちに見えて彼女持ちの夫を誘おうとはしなかったし、誘われても答えられる事は出来なかった。いつも真面目くさった、運動はてんで駄目で勉強しか取り柄のねえ男。そんな風に見られていたとしても驚かない。

「っつーかあんな」

「シッ!」

 わざとらしく私たちの家の近所の飲み屋に二人を招いての飲み会だった。関の伝手で行くと露見する危険性がある程度には私たちの実家は近く、そしてその人柄も知られていた。


 夫の話は、基本的に面白くない。たまに「面白い話」があったとしても、技術者らしいマニアックなそれでその手の知識のない人間から見ると意味不明だった。その事がすぐわかる程度には頭がいいからすぐ話さなくなり、私や祐介の話を聞いてばかりだった。

 社内でも、いやクラス内でも決して多くを話す事はなく、ただ静かに聞くだけ。別に聞き上手と言う訳ではないが無理矢理自己主張しようとせず、静かでありがたい存在ではある。だがそれが人気につながったかと言うと別問題だった。夫の親の話は、私たち四人の中でもタブーだった。


 —————あんな親じゃなくてよかった。


 そんな陰口を聞かされ慣れるほどには、私は夫と昔から親密だった。




 関家はともかく、木村家も平田家や藤木家と大差がない。よくある中流家庭だ。

 だが両家と木村家や平田家と藤木家の子どもに差があったとすれば、小学校の時の思い出だった。

 藤木譲と言うのは今でこそエリート街道をひた走る人間だが、当時は0点を取る事も珍しくない。その事を盾に、夫の父母は夫に厳しく当たっていた。

 ぜいたくをするな。勉強しろ。遊んでいる暇はない。少しでもテストの点数を上げろ。

 そんな言葉のループが続き、そして口だけではない処置が施された。

 お正月もクリスマスも、誕生日も、夫はいつも寂しそうに机に向かい合っていた。そしてその姿を見てニコニコしている親に、いつの間にかプレゼントをねだる事もしなくなっていった。

 小学生の男児が欲しがるそれと言えば、運動用具かゲーム機か漫画だと相場は決まっている。少なくとも祐介はその三種類で今まで事足りていた。

 だが夫の実父母は太田道灌の言葉を盾に、何一つ小学生男児の欲しがるそれを与えようとしなかった。

「普段から怠けるのがいけないのよ」


 —————怠け者の罰金は茶代にせよ。


 江戸城を築いた戦国時代の名将・太田道灌は訓練をしない人間から罰金を取る代わりにちゃんと訓練に参加した人間にその金をお茶代として渡していたとか言う。

 正直そう言われてしまう程度には怠惰だった夫は親からも幾度も叱責され、先生からも怒られていた。

 そして第二の切り札が、ローンだった。今はもう返し終わったはずのローンと言う借金を盾に、欲しがりません勝つまではをやっていた。そんなのは平田家だって同じくせに、何としてでも目の前の相手を倒すのだと挙国一致体制に入っていた。そんな感じだと私たちの同級生で今は農林水産省に務めている萩野君は言っていたが、全くその通りだと思う。


「これは何だね」

「クリスマスのディナーです」

「だからこの赤いのは」

「チキンライスです」


 クリスマスでさえも、そんな事をしていた。

 クリスマスの絵を描いて下さいと言われて夫が出した食卓の絵にはケーキすらクリスマスケーキではなく一個二百円足らずの安いショートケーキ、囲むメニューはチキンライス。さすがに普段厳しい先生からもどうかと思うと言う指導が入ったが、家計の事情がありますの十文字で口を閉じさせられた。言っておくが中流家庭のそれであり、うちのクラスだけでももっとお金のない家はあったはずなのにだ。

「人の痛み、人の哀しさを教えるためにそこまでするんですか」

 そうそのもっとお金のない家の人から嫌味をぶつけられた事もあるが、夫の母はええとだけ言って後は馬耳東風だった。


 やがて成績が上がるようになるにつれ父母の態度は多少軟化したが、それでもクリスマスケーキがワンホールになっても、メインディッシュはチキンライスか、それに一個当たり二十円にもならない卵が乗っかったオムライスかだった。小学生男児らしいプレゼントなどもらえなかった夫からしてみればチキンライス及びオムライスは文字通りの親からの恵みの品であり、拒否でもすればそれこそ命を絶たれるに等しかった。夫婦そろって、である。

(親が余りにも手本を見せすぎるとね……)

 小学四年生ともなれば、そろそろ反抗期の三文字がかすめ出す時期である。反抗期とはそれこそ親に反抗する事であり、立派過ぎる親への反抗と言うのはそれこそ世間的に言ってハードルが高い。

 オムライス、と言うかチキンライスと言う庶民の洋食をやたらありがたがる夫に対する祐介の反抗期は、もう始まっているかもしれない。

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