第二章 仕事人間

仕事場と家と私たちの希望と

 夫は一応、サラリーマンと言う事にはなっている。

 だがどちらかと言うと技術者であり、それこそ新商品を作るために一日中プログラムを組んでいる事もざらである。いわゆるロボコンに出場して青春をそこに捧げた夫は元からそれなりに買われていた。

 そんな中でとんでもないヒット商品の立役者になった物だから、その名前は正直かなり売れている。



「僕はただ作りたいと思ったのを作っただけですけどね」



 口下手。

 その言葉もあの人には良く似合う。

 不言実行と言うより、言葉を回す才能がない。それだけの人間になったのに雑誌に載ったのはその一文だけ。その後は記者の人が風格がどうとか製品がどうとか社内環境がどうとか言ってるだけで、夫自身の人格についてはびた一文書かれていない。そしてそれは実にありがたいと思う。

「浅野君はいい部下だよ、彼が自分の言いたい事を全部言ってくれる」

 そう私に話していたのが、浅野治郎。

 あの人の部下で、今ではあの人の所属する課の係長と言う名の寵臣をやっているらしい。それこそ研究以外何もしないような夫の代わりに予算を取ったり新商品のアピールをしたり、二人三脚とまでは行かないにせよ夫の足りないところをうまく補っている。


 そんな彼の家は、今の私の家よりもさらにオフィスに近い。徒歩なら一時間、実際は電車で三十分。実はその家は彼の実家から徒歩二時間電車で一時間と私たちと違って地元の人であり、その縁もあって地元の人とのつながりも深い。よそ者からしてみればありがたい存在であり、隣人でないのがもったいないぐらいだと夫も言っていた。実際数度ほど彼の家にお呼ばれした事もあり、気難しいか頼りないかの両極端な夫に対し親しみやすい人だった。

「浅野さんは面白い事を言ってくれたよ、遊園地に行くならば三時間でも短いけど塾に行くならば七分でも長いって」

 もちろん祐介もなついている。治郎さんの話は祐介の顔に書いてあるようにかなり面白く、もしこの才能が夫にあれば完璧なのだろうとか言うぜいたくを言っては罰が当たるのはわかっている。確かに、面白い例えだ。

 夫からは出て来ないし私からも出て来ないような言葉である。でも、私の実父母は似たような事を言っていた気がする。正確には覚えていないけど、聞いた事があるような気がする。でも、夫の実父母からは聞いた事がない。



 私たち夫婦は、私の実家にはよく帰る。それこそ年末年始夏休みなど毎度毎度行き、夫も息子も楽しんでいる。だが、夫の実家に行った事は一度もない。

 実際、たまには来たらどうだとか催促された事はある。しかし迷惑をおかけしますからと言う通りいっぺんの挨拶を盾に、私も夫も行こうとしない。あの二人には夫以外の子供がいないから二人が死んだ後には私たちの物になるかもしれないが、少なくとも私は相続放棄させる気でいる。あの夫でさえも、とっくに着信拒否しているほどだ。

 私の生まれ育った家と夫の実家は徒歩十分の距離しかない。同じ小学校の圏内などそんな物だが、今両家の実家は三時間近く離れている。動いたのは私の家であり、夫の実家は全く動いていない。

 今のうちの実家、と言うか私の両親の家は私の生家の人口の数分の一の地方都市であり、父は定年まであと一年の業務を淡々とこなしながらそこを終の棲家とする予定である。海も山も近く、身体にも良さそうだ。実際帰省と言う名の海水浴やハイキングと言う事も多く、その度に息子は体を焼く。往復三時間もの長旅だと言うのに、息子はちっとも文句を言わない。私たちも楽しみだ。だがあの二人の家には二時間でも行かない。そういう事だ。

「日程は」

「そういう事は私がやりますから」

 もちろんその際の根回しは夫がやるが、細かい所は私が詰める、と言うか強引に私がやる。社畜と言うか家族的な意味で家畜になっている夫に何もかもやらせたら私の面子が立たないし、それ以上に夫が倒れる。

 夫は決して丈夫な人間ではない。年に数回は普通に風邪で学校を休んでいたし、体育の成績も下から数えた方が早いと言うか底辺争いだった。そのせいで先生からもあまり受けは良くなかったし、友達の数も少なかった。と言うか中学以降になってもその点はちっとも改善されておらず、結局そのまま社会人になった。

「ねえあなた、今度の日曜日何が食べたい」

「祐介は何が食べたいと言ってるんだ」

「鶏肉が食べたいって」

「じゃ僕もそれでいい」

 そして自分の事をちっとも主張しようとしない点もだ。実父母に逆らった事さえ私の記憶の中では両手の指で足りるほどの数しかなく、少し押してやると簡単に転ぶ。ただ転ばない場合はちっとも動かないので、その点は頼もしい。




「でもさ、パパは頑張ってるのにちょっと少ないんじゃない?」

「パパはもう世間的に言って中年だ。あまりバクバク食べてるとブクブク太ってしまうぞ」

「でもトマトやレタスはバクバク食べてるじゃない」

「野菜はたくさん食べなきゃな。アスリートもバランスのいい食事は必要だぞ」

 笑顔のままゆっくりと唐揚げを頬張る一方で、付け合わせのレタスやトマトはあっという間に消えて行く。夫は好き嫌いなどなく、それこそ何でも食べる。だがあまりおいしいとも言わず、どこか流れ作業的だ。

「で、どの辺りが」

「野菜はみずみずしくておいしくて、肉は出てくる油がたまんないんだ。ご飯も進む味だよ」

 夫には、食レポの才能はない。あったとしても伸ばす事もできないし本人にその気がない。何を出しても同じように褒めるから張り合いがないとか思わない訳でもないが、文句を付けられるよりずっといい。マウンティングとかする気はないが専業主婦である以上、料理を含む家事には人一倍気を使っているつもりだ。

 そんな私に対し夫もまた、時々料理を作る。私が就職してすぐ同棲関係に近くなったから料理をしていた期間などほんのわずかしかないはずだが、正直おいしい。ただ昔からそうだが味付けが薄く、およそ勤労青年のそれ向きではない。揚げ物はできない訳ではないが下手で、そこだけはある意味安心の種だった。

「それであなた、職場でうまく行ってるの」

「悪い事はない」

「まったく、祐介があなたの先生面するわけが改めてわかりますよ。祐介が去年のバレンタインにいくつチョコレートをもらったか知ってますか?」

「十個だったかな」

「十二個だよー」

「祐介がモテるのならばそれは私似ですね。あなたはせいぜい二個か三個でしたよね、しかも一個は私で。でもさ、祐介がモテるのってパパのおかげでもあるんじゃない?」

「ボク言ってないから、パパがメタルミュー作ってるって」

 実際祐介は人気がある。運動神経のいい男の子と言うのはそれだけでも人気が出るし、しかも祐介は性格がいいから男の子にも人気がある。一方夫は今の仕事が天職だと言わんばかりの存在であり、私が彼女である事を公言していたのを差し引いてもあまりモテなかった。好きになるとすればそういういざと言う時の集中力に惚れるようなタイプであり、深さはともかく広さと言う点ではかなりレベルが低かった。もっともこうなってしまえばその点などどうでもいいんだけど。

「でもさ、ボク頑張って食べられるようになりたいんだよね。だから今度作って。

 オムライス」


 そんな息子の弱点と言えば、オムライスが苦手な事だった。

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