私の人生に悔いはないけど
当たり前だが、祐介には私と夫の二人の親がいる。そうでなければ、祐介は生まれて来ようがなかった。
そして無論、夫と私にも二人ずつ親がいる。四人とも存命だ。
藤木譲の両親は、息子が平田譲になる事を考えていなかっただろう。そして私が平田政美から藤木政美になる事は考えていた。ごくごく普通の事だ。
この時点で、私たちは普通ではなくなっている。それの何が悪いのかなど、誰にも答えようがない。だがこの決断をしたのは私たちであり、背中を押したのは私だ。それ以来夫は平田家の人間であり、藤木家は「旧実家」でしかない。
元々同じ小学校に通っていた私たちだから家も近かったが、現在私たちの家は私の父親と言うか祖父の実家から徒歩二十分の距離にあり、故郷の町からは遠く離れている。そんな所に家を買ったのは祖父母の都合と言うより夫の職場から近いと言う私たちの都合であり、それ以上の意味はない。
だが今になって思うと、この選択は正解だった。
私たちが生まれ育った町はゴミゴミしたとまでは行かないが大都会であり、灰色が中心となっている。確かに便利かもしれないが、子どもの環境にはいい気がしない。その点ここはほどよく灰色であり、ほどよく緑色だった。必要な建物はきちんとあるし、ちゃんと緑色の部分もある。休みにはその緑色に祐介を連れて行ったり私たち自ら行ったりして、デトックスの真似事もした。第二の故郷とか言う言葉は大げさが、少なくとも祐介にとっては故郷だ。真面目過ぎる父親もいるし、とりあえずは大丈夫そうである。
「なあ政美、お父さんとお母さんはどうだった」
「元気だって」
「そうか、お父さんも五年前に胃をやってしまって、入院したよな」
「たかが一週間だってお父さんは言ってたけどね、それでも初めての入院なもんでお父さん相当にバタバタしてたわよね、まあいい会社だからちゃんと休ませてくれたけど」
あの後昼寝から覚めた夫に、私はそのちょっと前に入った父母からの電話の話をする。私の父母も夫の事を好いており、同時に夫の過労と言うかワーカホリックを心配していたから昼寝については何も文句を言わないどころか好意的である。内容についても過剰な心配をしてくれずに助かっていると言うのが本音だ。
私たち現役世代の親は言うまでもなくそんな年齢である。
晩婚化のせいで私たちの年齢にもなるともう両親が定年退職して無職の人も多いが、私たちは結婚が二十三歳同士、出産が二十六歳同士だったからまだ現役だった。と言っても全員六十代前半であるから定年退職の二文字の時期ももはや目前であり、それについても考えなければならない。もちろん今言ったような病気についてもである。
不謹慎だが、祐介はこれから四人の祖父母を失う。親族が多いと言う事はそれだけ悲しみもあると言う事だが、一人失った悲しみは一ではない。人によって三にも四にもなり、あるいは三分の一にも四分の一にもなる。そしてその悲しみは、思い出が深ければ深いだけ大きくなる。私は平等に四人の祖父母から可愛がられていた気もしたが、悲しみが深かったのはやはり父方の祖父母で、母方の祖父母は夫が手伝ってくれたのと向こうの家が中心になってくれたおかげでさほど泣く事もなかった。
これから私たちは、祐介を泣かせる事になる。しょうがない事だが、嫌なお話でもある。もちろんそんな日が来るのは何十年か後だし、そんな事を気にしていては日々を楽しめなくなる。
「でさ、父さんは辞めたらどうするんだろうな。僕は聞いてないけど」
「何でもお仕事のコネでゴルフ場でバイトするとかって。キャディーとかじゃなくて雑用だけど」
「生涯現役かぁ、いいなあ」
「あくまでも暇つぶしよ。まあ延々四十年も頑張ったんだし後は悠々自適って」
「だったらどこか旅行でもプレゼントしたいな」
「お父さんもお母さんも出不精よ。それこそゴロゴロしていた方がいいんじゃない」
「僕も定年退職したらそうするかなあ」
噓つけとか思わない訳がない。あるいは本当にそうなるかもしれないが、現状の夫はそれこそ死ぬまでPCと向き合って開発を続け、未完成だか完成するかはわからないがとんでもないプログラムを残しながらキーボードに顔をうずめて死にそうな気がする。そうでなければ孫の世話を見続けて遊園地とかで倒れて緊急搬送され、そのまま病院で息を引き取るとか、そんな死に方をしそうだ。
そして、義父母、舅姑。
夫はそんな言い方をしないで「お父さん」「お母さん」と言う。字面でも「お義父さん」「お義母さん」のような他人行儀な言葉は使わない。そんな人間が職場ではいい意味でとは言えぼっち扱いなのもまた、社会だった。
「でもお酒におぼれるのだけは嫌だけどね」
「最近酒量が増えたらしいけどね、いや正確にはエナジードリンクってのが」
「僕も時々、ね。ってそれってお父さんから」
「うん、まあ去年の話だけど」
そんな人なのに、実父母からもまたぼっち扱いだった。
夫に兄弟はいない。文字通りの一人っ子であり、夫の実父母が二十年ローンを十五年前に完済した家には夫婦二人しか住んでいない。親子三人と妻子のために建てられただろう家はおそらく二人きりの終の棲家となり、そのまま空き家と化すか他のどこかの親戚が受け継ぐのだろう。その先は知らない。
「祐介はどこの大学に行くんだろうな、まさか君と同じ」
「でもあるいは早稲田とか」
「早稲田……ああ、駅伝でね」
「そう言えば政美がいた時って」
「ちっともダメ。最近少しはましになったけど、この前検索でかけてみたけど予選会は通ってるけど本戦じゃ毎回最下位争い。それでもよそから見れば十分にエリートなんだろうけどね」
私はそこまで偏差値は高くなかったが、それでもある意味全国的な知名度がある学校に進学して教職課程を取り教師になった。祐介の目下の夢である学生駅伝で有名な大学だ。もちろん祐介にもその可能性はあった。だがそのためには学費は無論、本人の努力も必要不可欠だった。高校から名門校に入っては校内の競争を勝ち抜き大学、あるいは実業団からのスカウトを得ねばならない。もちろん普通に入試を突破したり入社試験を受けたりするのもある。と言うか大半がそんな道だ。そして仮に学生駅伝を走れるようなランナーになってもほとんどの大学生はそこで終わり、社会人になっても陸上を続けられるのはそのまた数分の一、オリンピックの代表になれるようなのはそれこそ両手の指ぐらいだ。
そしてそんな大学で普通に学生生活を送り教師にもなった。よくある話だ。そんな平凡な人生を送っている事に、私は不満はない。
「でもさ」
「いいの。私に進む道を与えてくれたのはあなたなんだから」
小学生時代の夢をそのまま叶えられる人間が世の中に一体どれだけいるのか。パティシエとか花屋とか歌手とか女の子らしいステレオタイプな夢をいくつも思い浮かべてはいた幼い頃、今の夫と出会い、その間に教師と言う夢を決めた。そして私が教師として就職したのを機に結婚。祐介を孕むまで教職を続け、寿退社と言う訳でもないが妊娠と共に退職。それから十年、専業主婦で過ごして来た。すべて私が決めた事だから、何の不満もない。
祐介が中学生にでもなったら現場復帰するつもりでいる。
その上で、息子にも生徒たちにも悔いのない人生を歩ませたい。
たったそれだけの事だ。
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