第016話 約束

 瞳を伏せて「どうぞ」──。

 許可、承認、お墨付き……覚悟。

 けれど……どこまでの「どうぞ」なのか。

 普通に考えればキス、だが……。

 ここはベッドの上で、イマリさんは仰向けで、かつパジャマ姿……。

 将棋で数百手先を読むイマリさんが、それを加味していないはずもなく……。

 いやいや、童貞野郎がなにをグダグダと……。

 まずは初手、さりげなくブラインドを下ろす……。


 ──ザッ。


 ……よし。

 いよいよ……優しいキスを。

 その先は反応を見ながら……だろう、うん。

 よ……よし、いくぞ……。

 ああでも、イマリさんの薄桃色の唇、薄くて形良くてかわいいなぁ……。

 あの柔らかそうで甘そうな唇が、俺の初キスのお相手とは……。

 ……………………。

 ……………………。

 ……………………。


 ──コツン。


 ……コツン?

 キスの音……ではないな。

 額がぶつかる音でもなし……。

 そもそもイマリさんの顔までには、まだちょっと間がある。

 なのに、あとちょっとで鼻の頭同士がつきそうなところで、もう顔が進まない。

 そうこうしている間に、イマリさんが薄目を開けて、緩やかな笑み……。


「クスッ……すみません、桂馬さん」


「……えっ? なにが?」


「レイドックスの世界では、ユーザー同士の接触が規制されているんです。肩から手辺りまでは許容されているんですけど、それ以外は体の一回りか二回りほどの間合いで、不可視の障壁があるんです。クスッ……」


「そ、そうなんだ……。先に言ってくれればいいのに……あはは……」


「騙したようですみません。ですが先に言ってしまえば、桂馬さんの気持ちを確認できませんでしたから……」


「へ……?」


「桂馬さんもわたしも……キスをしたかった。その気持ちが互いにわかれば、唇を重ねたも同然ですよね。ここは気持ち……意識が具現化された世界ですから。ウフフフッ♪」


「ん……。そ、そうとも……言えるのかな?」


「はい、言えます。それにベッドの上ですから……当然その先も、お互い頭にありましたよね……。それがわかれば、わたしは大満足ですっ。ンフフフッ♪」


 お、お、お、お……。

 イマリさんにも……そのつもりが!

 だとすると、この見えない障壁ががぜん憎い!

 貫通スキルとやらで貫通できないものか!

 あっ、でもそれって……。


「……じゃあ、手は繋げられるんだよね?」


「あ、はい……。繋いで……もらえますか?」


「喜んで」


 耳の左右で広げられた、細くて長い十本の指と、柔らかそうな掌。

 手汗をかいてないことを確認してから、上からそっと触れ、指を絡める。

 いわゆる恋人繋ぎを、見つめ合いながら──。

 密着したすべての指の股で、ジンジンと気持ちよくもむず痒い感触が生じる。

 どちらからとも言わず、指先で相手の手の甲をさすり始め……。

 キスの代わりにとばかりに、掌のわずかな凹凸を擦り合わせる。

 いよいよイマリさんの親指付け根の膨らみが、俺の掌中心の窪みへ収まって、密着……。

 わずかに冷たかったイマリさんの掌が、いまやすっかり俺と同じ体温。

 至福の一体感と、それと同じくらいの強烈な物足りなさが……湧き起こる。

 い、いまなら二人の愛の力で、障壁を突破できるんじゃ────!


 ──コツン。


「……無理かぁ。いまなら行けそうな気がしたんだけれど……あはは」


「ウフフッ……わたしもです。でもやはりここは、デジタルの世界。融通が利きませんね、クスッ♪」


 いまのキス失敗を契機に、恋人繋ぎは解除。

 二人並んで、ベッドの縁に座る。

 自分のベッドの縁に、女の子と並んで座る……。

 これも一生に一度、やりたかったことだぁ!


「……桂馬さん、楽しかったです。ありがとうございました」


「俺も……楽しかったし、うれしかったよ」


「けれど勝負の際は、決して手を抜かないでくださいね。わたし、大好きな桂馬さんと、本気の勝負をしたいので」


「う、うん……。大好きなイマリさんがそう言うなら、全力でぶつかる。約束する」


 イマリさんってわりと……直球で話すよな。

 でもだからこそ、キョドりやすい俺もすなおに本音を出せる。


「では、そろそろ部屋へ戻ります。それでその……すみませんけれど、戻ったらフレンドを……解除させていただきます」


「……ええっ!?」


「いまここへちょっとお邪魔しただけでも、桂馬さんのことをさらにさらに好きになってしまったので……。フレンド状態ですと、レイドックスのプレーに支障が出てしまいます……きっと」


「そう……。あ、いや……それは俺のほうが、もっと当てはまるか。これからイマリさんへ追いつかなきゃいけないのに、部屋を行き来できる間柄じゃ、腑抜けになっちまう」


「レイドックスでは一日一定時間のクエスト出撃、一日一度の対人戦が義務付けられています。ですが自主的な出撃に上限はありません。たくさんフレンド作ってだべってばかりですと、周りに置いていかれますから、精進を怠らないでくださいね」


「う、うん……頑張る」


「では、わたしはこれにて。失礼します」


「さようなら、またね」


 イマリさんが立ち上がって、深々とお辞儀。

 顔の左右に、黒い長髪がサラッ……としだれる。

 そして直立姿で……フェードアウト────。


「……………………」


 心地よい寂しさ。

 甘酸っぱい喪失感。

 そして抑えていた緊張と猛りが、全身にドッと噴出…………。


「ふううううぅ……」


 細長い息を吐きながら、腰を落とすようにベッドの縁へ着席。

 いままでイマリさんが寝ていたところに、軽く手を当ててみる。

 ほんのりと温かい……。

 その温かさを火種に、指の股の熱がうっすら蘇る……。

 すごいなこの、レイドックスって世界は。

 こんな細かな感覚、機微まで、デジタルで再現しているのか。

 この世界を理解しよう、脱出しようなんて、簡単にはできそうもない……な。

 習うより慣れろ……だ。

 少しでも早く、イマリさんの夢…………俺と勝負するっていうもったいなき夢を、叶えてあげるのが俺の最優先課題。

 よし、これからこの世界について猛勉強だ────。

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