第003話 真剣

 将棋でイマリさんが勝ったら、俺とデート……。

 ええと……それって……。


「あ、あのさ……イマリさん?」


「あ、はい……」


「俺とイマリさんが将棋指したら、それはもう百パーイマリさんが勝つわけで……。それって実質、単なるデートのお誘い……なんじゃ?」


「そ、そうなりますかね……? やっぱり、そうなります……よね……」


「だったら俺、将棋関係なくOKさせてもらうけど……。イマリさんの外出を、サポートすればいいんだよね?」


「いえ、でも、それは……。坊主頭で、幽霊みたいに真っ白な女の子、連れて歩くなんて……いくら桂馬さんが、親切でも……。せめて、わたしに負けた罰ゲームだって体裁に、しておかないと……」


 そ、そんなこと……気にしてるんだ、イマリさん。

 そんなことを……。

 そりゃあ女の子がヘアースタイル気にするのは、当然だけれど……。

 いまのままのイマリさん、すてきじゃん!

 魅力的じゃん!


「……………………っ!」


 ううっ……!

 そう言おうと、してるのに……。

 気恥ずかしさで、声にならない……声が出ないっ!

 喉でつかえてるっ!

 このぉ……俺のクッソ陰キャ野郎めっ!

 爺ちゃん……天国から俺に…………勇気を、漢気をくれっ!


「……そっ、そんなこと……ないっ! イマリさんがデートの相手なら、世界中に自慢して回るよっ! 俺っ!」


「ええっ……?」


「じゃ、じゃあ……俺からも、条件つけさせてっ! もし俺が勝ったら……俺とつきあって! イマリさんっ!」


「ええええーっ!?」


「爺ちゃんの続きを指すとはいえ、将棋ド初心者の俺が勝つなんてありえないっ! でも……でも……。そんな奇跡レベルの勝利じゃなきゃ、イマリさんの彼氏の座は、とても釣り合わないっ! 爺ちゃんをあの世から降霊させてでも……勝つっ!」


 ……う、降霊はさすがに言いすぎた。

 ヤバい趣味やら思想やら持ってるって、思われたかも。

 でも……それくらい全身全霊懸けるってこと!

 絶対、勝ってみせるっ!


「あ、あの……桂馬さん?」


「……うんっ!」


「申し訳ないんですけど、その条件は……。お断りさせて……いただきます」


 ……あうっ!

 やっぱダメかぁ……。

 こんなヘタレ男子じゃあ……なあ。

 いいお友達、いい将棋仲間……おまえにはそれで十二分だぞ、曽根桂馬。


「そんな条件をつけられたら、わたし……。手を抜いて、わざと負けてしまいそうなので……。曽根さん最期の局には、真剣に向き合いたいので……」

 

「……え? それっ……て?」


 イマリさんが少しパニくったように、将棋盤の上で両手を左右にわたわたと振る。

 そこに見える爪の色は……リップを塗った唇と同じ薄桃色。

 イマリさんの体の中で……血が駆け巡ってる。

 俺なんかを相手に……火照ってる!


「……け、桂馬さん。将棋においてという言葉には、二つの意味があります。一つは真剣勝負の真剣。もう一つは……賭け将棋。賭博としての将棋の勝負を、真剣と言います」


「そ、そう……。それは初耳……だね」


「わたしの真剣は……前者ですっ! 将棋に賭けを持ち込むの、間違ってました! ですからその……ここまでの話、すべて忘れてくださいっ! すみませんっ!」


 忘れる……それは無理だよ、イマリさん。

 程度の差はあれ、お互いの気持ちがいま、合わさったんだから……。


「……うん、わかったよ。じゃあ勝敗関係なしに俺、イマリさんへデート申し込む。面会禁止が明けたら、俺に外出をサポートさせて。世界一ショートカットが似合う女の子に……街を案内してあげたい」


「あっ……」


 思いきって、イマリさんの両手を握る。

 シャボン玉を掌へ載せるような慎重さで、そっと……。

 いま俺の両手の中にあるか細い手は、血流の悪さからかとても冷たい。

 けれどせいいっぱい、年ごろの女の子らしい色に爪を染めている。

 ……なんのことはない。

 こうして手を握れば、俺の血色をイマリさんへ分けてあげることができたんだ。


「ひっ……ぐすっ……。あぐっ……ンッ……んん…………」


 イマリさんがはなをすする。

 両目をぎゅっと閉じて、涙を堪えようとする。

 俺からのデートの誘いが、うれしいというよりも……。

 この闘病生活の中で、したかったこと、憧れてきたこと、それを必死に抑えつけてきた辛さ……が、一気に溢れ出ようとしてるんだ、きっと。

 女の子らしさを崩さまいと、平静を維持しようと、懸命に踏ん張ってる──。

 でも俺は、そんな弱さを含めて、イマリさんが好きだよ。

 イマリさんの弱さ、強さ、すべて受け止めたい。

 柄じゃないけれど……。

 ヘタレ男子だけれど……。

 いまなら席を立って、イマリさんの弱々しい体を抱き寄せることができ……。

 ……いや、そんなキザったらしいまねより先に、すべきことがある。


「……じゃあイマリさん、爺ちゃんの封じ手を開けるよ。なにをさておいても、これにケリをつけないとね」


「はい……お願いします。この局はわたしの投了にして、曽根さんとの対局……並べますね。桂馬さん、負けました」


 頭頂部を見せないくらいに、バンダナで覆った頭を軽く下げるイマリさん。

 投了……自分の負け、か。

 俺相手の指南のような将棋でも、きちんとピリオドを打つんだな。

 そして……爺ちゃんが封じ手を記したときの盤上を、迷いなく再現開始。

 上級者はいろんな対局が頭に収まっていて、いつでも引き出せるという。

 イマリさんも、その域の腕。

 俺が勝てたらつきあって……ってやつ、無効になってよかったかも。

 さて、こっちの仕事は、爺ちゃんの封じ手を開封すること……。

 ……この封筒は、俺のものじゃない。

 爺ちゃんとイマリさんからの預かりもの。

 だからイマリさんと会うときは、開封用の鋏とセットで持ち歩いてる。


「……開けるよ?」


「……お願いします」


 駒を並べ終えたイマリさんと目を合わせてから、封筒の一番上を真横に裁断。

 三つ折りにされた白い紙を、慎重に引き抜き、開く。

 そこにボールペンで縦書きされてある一手は……。

 爺ちゃんがこの世で、最後に指した一手。


「……桂馬さん。読み上げずに、そのまま指してください」


「……わかった」


 爺ちゃん渾身の一手は、五つある持ち駒から。

 その駒から一つを、不器用に三本の指でつまみ上げ────。


 ──ジリリリリリリリリリッ!


 けたたましく鳴り響く非常ベル。

 それに続く、院内放送──。


『ただいま当病院内において、院内感染が確認されました。これより当院はすべての施設、病棟を封鎖し、感染状況の把握を行います。入院患者様は速やかに自室へ戻り、お見舞いの方は、最寄りの休憩室、もしくは待合室で待機してください。安全が確認されるまで、絶対に当院敷地から出ないでください。繰り返します────』









「閃盤のカレイドスコープ」著・椒央スミカ








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