strawberry blue

𝚊𝚒𝚗𝚊

 

 全人類の九十九パーセントはチョコレートがすきで八十二パーセントは映画がすき。そして六十八パーセントはイチゴがすきだ(私調べ)。でも人類の何%がお酒をすきなのかわからない。

 私はものすごくお酒がすきだ。だけど今はもう飲んでいない。お酒が嫌いになったわけではない。しかもパートナーが飲み屋を経営しているというのに飲酒をやめたのだ。

「ちー、また何か妄想してるでしょ」

「ソバーキュリアスになりきってた」

「ソバーキュリアスって酒は飲めるけれど敢えて飲まないことを選択している人だっけ。ちーが飲まないなんて想像できないよ」

「そう。想像」

「何が?」

「せーたはすぐに妄想って言うけど、病院で妄想っていったら、自分で信じ込んでいる症状だからね。私のは想像だよ」

「前に幻聴がするって言ってたけれど、あれも想像?」

「そう。もう聞こえない」

「あれ? どっち?」

 彼、青太せいたと、私、千影ちかげは同じアパートの一階と二階に分かれて住んでいる。今日は青太の店が休みなので二階の彼の部屋に帰った。元々それぞれ契約して、暮らしはじめてから知り合い、付きあうようになったのだ。

 彼はカウンターと三つのテーブルがあるバーを経営している。私は服屋で販売をしているけれど、彼の店の従業員が子どもを授かって辞めたので、数年間世話になった服屋を辞めて飲み屋で働くことにした。

 双極性障害と診断された私は、就職した時からずっと躁期だったらしく、滅茶苦茶なところはあれど売り上げがよかったので店長になり、遅刻が酷すぎて一度降ろされるも、また店長として働いていた。それが、まったく起きられず、仕事にいけなくなり、なんとか病院に行き休職したのが一年前。三か月ごとに休職と復職を繰り返し、やっといなくなる私のことを、社長をはじめマネージャー、副店長、お店の子たちはとてもよくしてくれている。副店長の女の子ともうひとりの女の子とは、きっと一生の友だちだろう。青太と知り合ってから、いちばん最初に彼の店に遊びに行ったのも彼女たちとだった。


 彼女たちもお酒が大すきだ。お酒なしでどうやって友人になるのだろう。さっき私は「人類の何パーセントがお酒をすきなのかわからない」と考えた。私は本当にお酒がすきなのだろうか。

 最近は鬱期といわれている私はよく想像や考えごとをして落ち込むのだけれど、例えば、私がお酒を飲まなくなったら彼女たちと何をして過ごせばいいのだろう、とか、私がお酒を飲まなくなったら彼との関係はどうなるのだろう、などだ。だけれど、彼とお酒を飲んでいる今はとても楽しく暗い考えには陥らない。暗い考えを振り払うためにお酒を飲むのだろうし「飲酒は鬱を悪化させます」と主治医が言っていたけれど、その通りだと思う。ただ今はとても気分がよかった。隣でレモンハイを飲んでいる青太はかっこよくて(私調べ)、よい酒を飲むし、私のためにイチゴまで切ってくれる。

「今日は結構飲んだしこっちで寝ていくでしょ?」

「シャワーまだだし、してくるよ」

「いくら上と下でも、風邪引くって。外は一桁だよ」

 一桁というのは気温のことだろう。

「青太のシャンプーとコンディショナーとボディーソープとボディタオルじゃ洗えないよ。バスタオルは借りられるけれど……」

「なに? 朝帰ってから、お風呂に入る?」

「やだ。シャワーもしないで一緒に寝られないよ」

「じゃあ持ってくるから。鍵貸して。えっと、シャンプーとボディーソープと?」

「シャンプーとコンディショナーとボディーソープとボディタオル。着替えもないから自分で取りにいく。もうこっちにも置いておこうかなー」

「もう一緒に住んだらいいんじゃないのかな」

「それねー」


 十二月の午後十時。明日は休み。外の冷気が熱った頬に気持ちがいい、けれど寒い。休みと言っても、昼から彼の店で研修がある。もうすでに二回、カクテルの作り方を教わりに行っている。

彼の店は十三時から二十一時まで営業していた。

 引っ越して一緒に暮らすという話は今までに何回かしているけれど、このアパートのこぢんまりした感じと、彼との今の距離感が気に入っていた。本当は同じ職場に入ることも躊躇っている。

 万が一、彼の店が超人気店で、私が働かなくてもよいくらいの収入があれば、あまりすきではないけれど家事をがんばって彼がすきな飲み屋の仕事を支えたり、などと、また想像する。働きたくないわけではないけれど、何度も鬱や不安に塗れてきた経験を思い出せば思い出すほど鬱で不安だった(酔っていません)。

「月が昇ってきていたよ」

「えー今頃?」

「欠けていく月は昇るのが遅いんだよ。店の名前にムーンって入ってるのに知らないんだ」

「前のオーナーから受け継いだ名前だからね」

 玄関から二人で見上げる月は半分近く欠けていて、低く電線の上に浮かんでいた。

「明後日が下限の月だよ」

「かげん?」

「うん。ちょうど半分になるよ」

「そっか。詳しいんだね。俺も覚えようかな」


 彼の店の名前は『ブルームーン』。青太の青から付けたのだと思っていた。同じ形のバスルームだけれど、やはり少し違う雰囲気。よく予洗いした髪にシャンプーバーを塗り、泡立てていく。青太が初めて一階に泊まった日に使い方を教えたとき、さっき下限の月のことを教えたとき、それに仕事でお店の子たちに何かを教えるとき。私は教えたり教わったりすることが苦手なくせに、おしゃべりですぐにいろいろと話してしまう。

 『ブルームーン』。彼によく合う名前だと思う。青い月なんて見たことはないけれど、ひと月の間に二回満月があるときの二回目の満月を指す言葉。本当に青い月が昇るのならば、彼と見てみたい。さっき二人で低い月を見上げたように。

 もしかしたら私にも、お酒を飲まなくなる日がくるのかもしれない。それでも彼だったらずっと変わらずに一緒にいてくれるかも。私は、一緒にいたいな。

「せーた」

 お風呂の引き戸を開けて、洗面所から彼を呼ぶ。

「一緒に住もうか」

 なあに? なんて? なんて言いながら近づいてくる彼の足音がする。



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