第4話 3人のキャラクター

 今回のバーチャルゲームには名前がついていなかったので、景虎が勝手に。

「コウモリゲームにしよう」

 と言いだした。

 それを聞いて、他の4人は、誰も反対派しなかったのだが、たぶん、景勝以外は、

「何のことを言っているんだろう?」

 と思ったかも知れない。

 このゲーム、オンラインで、匿名性にしていることで、どこでも誰でも参加することができるのだが、そのために、実は、

「景虎と景勝が、リアルで知り合いだ」

 ということを知っている人はいなかったことだろう。

 しかし、実は、帰蝶も知り合いだった。

 彼女に、

「帰蝶」

 というハンドルネームを付けたのは、景虎だった。

 景虎というのは、リアルでは、

「いつも、輪の中心にいるような人間」

 だったが、自分では、目立ちたがり屋ではないと思っていた。

 逆に景勝は、本当は輪の中心になりたいと、言葉には出さないが、心では思っている。

 それなのに、輪の中心にはいつも、景虎がいる。どちらかというと景勝は、

「誰かに担ぎ上げられる」

 ということは多く、中学時代など、よく、生徒会長に立候補させられていた。

「お前だったら、大丈夫」

 という言葉に乗せられてるのだが、実際に立候補すると、まったく人気がないことに愕然とさせられるのであった。

 確かに最初は、乗り気ではないが、実際に始めてみると、その気になりやすいタイプだった。

 それだけ、

「なんでも、真正面から向き合う」

 というタイプだったのだが、今度は高校生になると、景虎と景勝の立場は逆転したのだ。

 景勝が、あれだけ一生懸命にやっているのに、報われなかったのが、高校生になると、逆に目立ち始めて、今度は、今までまわりにちやほやされる性格だったはずの景虎が、まったく目立たなくなった。

 いや、目立たないというか、逆にまわりから、嫌われるようになり、理不尽な孤独さを味合わされることになるのだった。

 そんな二人を、帰蝶は傍からずっと見ていた。

 三人は小学生の頃からの友達で、三角関係になったこともあった。

 中学の頃は景虎と噂になり、高校に入ると、景勝と噂になった。

「あの女、目立つ相手に近づく女じゃないか?」

 という悪しき噂を流されたこともあったが、本人はいたって気にしているわけではなく、

「私、まわりから、何て言われても気にしないのよ」

 と平気な顔をして言っていた、

 実際に、

「中学の頃は、景虎さんと付き合いたいと思っていたし、高校では景勝さんを好きになったの。ただ、好きになった人がた、またま、その時目立っていたというだけのことなのよ」

 というのだった。

 ある意味、あっけらかんとした性格で、性格的には、景虎と似ているかも知れない。

 そもそも、景虎、景勝、帰蝶というニックネームは、中学時代から使っていた。

 戦国時代が好きで、上杉謙信に造詣が深かった景勝が、言いだしたあだ名だったのだ。

 ただ、帰蝶の場合は、彼女が自分でつけたのだ。最初は、通称である、

「濃姫がいいのでは?」

 と景虎が言ったが、

「いいえ、私は、本名の帰蝶がいい。だって恰好いいじゃない」

 ということで決まった名前だった。

 この3人が、

「なぜ、コウモリゲームに参加しようか?」

 と言い出したかというと、最初の言い出しっぺは、景虎だった。

 中学時代の景勝を見ていて、

「何て、孤独なやつなんだ」

 という印象を得たのに対し、今度は高校生になると形勢逆転というべきか、今度は自分が、まわりから、

「孤独な人間」

 と見られる立場になったということを自覚していたのだ。

 景勝というオトコは、まわりに対しての気遣いは結構できるのだが、自分のこととなると、まったく分からない性格だったのに対し、景虎の場合は、自分のことを結構分かっているくせに、

「自分がまわりからどう見られている?」

 ということに対しては、意外と分かっていなかったのだ。

 高校生になってから、まったく入れ替わってしまったのは、

「元々の性格からいけば、これが正しいのであって、むしろこうなるべき性格なんだよ」

 と、感じていたのは、帰蝶だったのだ。

 帰蝶という女性は、気の強い女性である。

「名前にふさわしいな」

 と、景虎に冷やかされたが、そもそも帰蝶というのは、信長の妻であり、父親は、

「美濃のマムシ」

 といわれた、斎藤道三であった。

 そもそもは、

「信長の父の信秀と、美濃の斎藤道三が敵対していたのだが、和睦が成立すると、その証として、娘を織田家に嫁がせる」

 ということであり、いわゆる、

「政略結婚」

 もっといえば、

「人質」

 に近い形だったといってもいいだろう。

 本当の帰蝶がどういう女性だったのかということは、それほど知られていないが、なんといっても、

「信長の妻」

 さらには、

「マムシの娘」

 ということで、時代小説などでは、

「気が強い女性」

 という描かれ方をしている。

 そのイメージがあるからか、ドラマになっても、女優は気が強い系の女性が多かったり、脚本では、信長にご注進できる、数少ない人物として描かれていたりする。

 ただ、なかなか歴史の表舞台に出てくることもなく、歴史ファンでもなければ、知らない人も多いくらいであろう。

 そんな、

「自称:マムシの娘」

 を名乗っている彼女は、中学時代から、男の子には結構モテていた。

 決して、自分にちやほやしてくる男性に靡くようなことはなかったが、好きだといわれて嫌な気はしない。これは、どの女性でもそうだろうが、特に帰蝶の場合はその感情は強いかも知れない。

 その感情があるからなのか、

「アイドルになりたい」

 というアイドル志願を持っていた。

 最初は誰にも言わなかったのだが、どうやら、すぐに、景虎にはバレたようで、

「バレバレだよ」

 と景虎はいうが、その言葉に本人の嘘はなかったが、実際には他の人にも分からなかった。

 ずっと一緒にいる景勝にも分からなかかったくらいである。

 景虎は、そういうところには、結構聡いたちではある上に、自分の中にある、景勝に対してのライバル意識が強いからではないだろうか?

「俺は、景勝には負けないぞ」

 という思いからである。

 景勝には、景虎に対して、ライバル意識はあったが、

「相手には絶対に負けない」

 という意識よりも、

「ともに、成長していく」

 ということが目的であった。

 見た目は、景虎の方が、

「本音が態度に出る」

 とみられがちで、欲の深さも、景虎の方があるような気がするのだが、実際には、景虎は、控えめで、人には気を遣う性格であった。

 逆に景勝の方は、

「良識ある性格」

 に見えるのだが、欲深く、考えが一直線なところがあり、見た目はいい人なだけに、その性格を知った人からは、幻滅されるのであった。

 だからと言って、

「景虎がいい人で、景勝は悪い人だ」

 などということではない。

 性格には裏表というものがあり、そこが良し悪しに見えてくるのだが、それも一刀両断で話ができるものでもなく、

「長所と短所」

 とに分けて考える方がいいだろう。

 ただ、この長所と短所、すべてにおいて、

「いい悪いの判断」

 に用いるというわけにはいかないだろう。

 よく言われることとして、

「長所と短所は紙一重だ」

 と言われる。

 つまりは、

「いいところと悪いところは、似ているということで、いいように見えることでも、見る角度によっては悪く見え、逆に悪いように見えても、実際にはいいことだったりする」

 ということになる。

 しかも、その感じ方も人それぞれで、

「こっちの人によかったからといって、向こうの人にもいいとは限らない」

 と言える。

 さらに、長所と短所は裏表だと考えると、裏表であっても、見えないだけで、

「どんでん返し」

 をしてしまうと、同じ形であっても、出てきたのは、正反対の方だったりする。

 同じ人間に、正反対の性格が宿っていて、本人だけには見えていないという、

「自分の姿は、鏡のような媒体がなければ見えることはない」

 ということと似ているのではないだろうか?

 時々、

「俺とあいつは、長所と短所のようなものなのかも知れない」

 と思っているのは、景勝の方だった。

「まったく違う性格のように見えるけど、実は性格は似通っているのではないか?」

 と考えているのは、景虎の方だった。

 景虎の方は、思い浮かべたのは、二重人格性で、

「お互いにまったく似ていない、正反対の性格だということに気づくと最初に感じたのは、二重人格だ。しかも、ジキルとハイドのように、どちらかは、そのことを知っていて、もう一方まで知ってしまうと、そこに、タブーが起こり、どうなってしまうか分からない」

 と感じていたのだ。

 それでも、二重人格性を否定してしまうと、二人の関係が成り立たないと思うと、

「この関係をどう解釈すればいいんだろう?」

 と考えるようになった。

 その答えとして考えたのが、

「片方は、まったく何も変わっておらず、どちらかが、相手に気づかれないように、一周回って戻ってくることだ」

 と思った。

 相手も気づいて同じように回ってしまうと、永遠に追いつけなくなるからだ。

 ジキルとハイドの話で、

「どちらもが、この関係性を知り、どういうことなのかということを理解してしまうと、結果、どちらも、この世に存在できなくなってしまう」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、問題は、

「いかに意識せずに、さらに、相手に悟られないようにするか?」

 ということが問題である。

 近くにいることが当たり前のような二人に、そんなことが可能なのだろうか?

 それをうまくコントロールしていたのが、帰蝶だった。

 もちろん、彼女も、二人が考えていることが分かるわけではなかったが、二人に比べて空気を読むのがうまく、一人一人のことよりも、二人のこと、いや、自分を含めた三人の関係性をコントロールするのが、うまかったのだ。

 帰蝶は、そのことで何度も悩んだ。

 男二人に比べると、女の帰蝶は、二人をそれぞれに、

「オトコ」

 として意識していた。

 二人の男は、帰蝶のことを、

「オンナ」

 として意識をしたことがないというわけではないが、その時期は短かった。

 それでも、思春期というものが男女それぞれにあり、その時期は男女ということ関係なく、個人差で訪れるのだった。

 一番最初に思春期を迎えたのは、帰蝶だった。

 思春期を迎えるのは、一般的にいえば、男女では、

「女性の方が早い」

 と言えるだろう。

 それは、

「身体の発育が男に比べて早い」

 と言えるからであり、その証拠に、令和3年までは、結婚できる年齢が、女性の方が男性よりも、2歳若かったのだ。

 令和4年からは、その法律が改正になり、同い年になったが、それには、かなりの賛否両論があったことだろう。法律が変わったからといって、未成年の性状況が変わったと言えないかも知れない。

 さらに、帰蝶は、女性の中でも成長は早い方だった。

 初潮も、小学4年生だった。

 その頃から、身体が急に発育し始め、胸の膨らみも、明らかに小学生でも、分かるくらいになっていた。

 早熟と言ってもいいかも知れない。

 男子の中には、小学生でも、早熟な男子もいる。

 そんな男子は、帰蝶を見て、性欲を膨らませていたのかも知れない。そんな目を、帰蝶は敏感に感じていた。

 そして、そのことを、客観的に感じているが、どこから来る感覚なのかが分からず、理由もなく、悶々としてしまっていることに、

「俺はおかしくなったのではないか?」

 と一人悩んでいたのが、景虎だった。

 景虎は、小学生の頃に思春期を迎えたわけではなかった。自覚したのも、まわりが感じるようになったのも、景虎が中学生になってからで、

「その扉を開いたのが、帰蝶だった」

 ということを知っているのは、もちろん、景虎だけだった。

 当の本人である景虎にも、すぐには、そこまでは分からなかった。だが、

「なぜなんだろう? 帰蝶を見ていると、身体がムズムズするんだ」

 と思っていた。

 それが、実は思春期の入り口であり、

「性欲の目覚めだ」

 といってもいいだろう。

 ただ、思春期というのは、曖昧なもので、

「誰もが通る道だ」

 ということは分かっていても、それが、

「いつから始まって、いつ終わるのか?」

 などということは、始まった時はもちろん、通り過ぎた後になって、やっと、

「あの時が思春期だったんだろうな?」

 と思うのだ。

 そして、そう感じた時というのが、自分が、

「大人になった」

 と感じる時であり、それは男女関係なく、誰にでも訪れる時だったのだ。

 帰蝶は、思春期の入り口を自覚していた。そして、その思春期の入り口に差し掛かった時に感じたのが、

「景虎をオトコとして見ている自分がいる」

 ということを感じたからだった。

 帰蝶のその熱い視線の先にいる景虎は、帰蝶の視線を恥ずかしそうにいつも逸らしていた。

 それを感じた帰蝶は、さらにドキドキする。

 基調には、

「この人も私のことを意識してくれているんだわ」

 と、そう思うと、さらにドキドキするのだった。

 しかし、最初の頃はそれが勘違いだったのだ。

 確かに帰蝶の視線には気づいていて、羞恥心のようなものが芽生えてはいたが、その視線が、

「帰蝶は俺のことが好きなんだ」

 とまでは思わなかった。

 つまりは、

「帰蝶が思っているほど、景虎はまだ、思春期に入っていない」

 ということだった。

 景虎の方は、

「あの帰蝶の視線は何なんだ? そしてあの視線を感じた時の、俺のこの胸の高鳴りは?」

 と思うと、

「これを人を好きになるということなのか?」

 と考えたが、逆に疑念もあった。

「女性から見つめられて、そこから一足飛びに、自分が好きになっていると感じるのは、このドキドキを恋だと意識しているからではないか?」

 と思春期を、理論から考えようとしていたのだ。

 この性格は、景虎特有のものだと本人は思っていたが。実際には、景勝にもあるものだったが、景勝が気づくのは、もっと後になってからのことだったのだ。

 帰蝶が景虎を意識し、景虎も帰蝶を意識するようになると、

「蚊帳の外」

 になってしまった、景勝はどうなのだろう?

 まだ、思春期に突入したという意識のない景勝は、自分を蚊帳の外においた二人に、憤りを感じるどころか、

「二人は今までどおりと変わらない二人だ」

 と思っていたわけで、二人の気持ちの変化に気づいていなかった。

 いや、

「本当に気づいていなかったのか、無意識に気づいていただけなのかも知れない?」

 と、これも、思春期に入って、その途中で考えるようになった景勝だった。

 景勝は、思春期が遅かっただけに、三人の中では、一番子供っぽかった。

 それは、精神的にも肉体的にも言えることで、そのことを一番意識していたのは、本人である景勝だったのだ。

 もちろん、景虎も帰蝶も、まだ景勝に思春期が来ていないことは分かっていた。思春期を迎え、通り過ぎてきた二人から見れば、景勝は、

「まだ子供」

 だったのだ。

 景虎と帰蝶は、お互いを意識はしていたが、相思相愛だとは、それぞれに思わなかった。その理由は、

「景勝の存在があったからだ」

 と言えるだろう。

 せっかくの三人の友情が崩れてしまう。特に景虎としては、数少ない友達、しかも、その中でも親友と呼べる唯一の相手だと思っている景勝を思うと、いくら意識をしたとしても、帰蝶を好きになってはいけないという、律義なところがあったのだ。

 帰蝶としても、

「どうしても、景勝を意識しないわけにはいかない」

 と思っていたのだ。

 帰蝶という女性は、思春期の入りが比較的早かったのだが、抜けるのも早かった。それは、

「思春期が短かった」

 ということも含んでいるので、女性の中でも、

「大人になるのが早かった」

 と言ってもいいだろう。

 そんな帰蝶に対し、

「これから思春期を迎えよう」

 としている男の子たちを、帰蝶は刺激していたようだ。

「何か、ムズムズ感じるんだよな」

 という感覚に陥った時、男にとっての、思春期の表れであろう。

 それは、女性の誰を見ても、そう感じることで、やっと自分が、

「思春期に入ったのだ」

 と気づく男性が多いのだろう。

 しかし、帰蝶のまわりの男性は、しばらくの間、帰蝶にだけドキドキし、身体がムズムズするのだった。

 そして、そんな状態になることで、

「これが思春期というものか?」

 と、他の女性にムズムズを感じる前に感じるという、少し不規則な思春期への入り方をするほど、成熟がはげしかったのだ。

 街を歩くと、

「芸能プロダクション」

 を名乗る男性が声をかけてきて、スカウトを始める。

 帰蝶が自分の年齢をいうと、

「えっ、まだ中学生じゃないの?」

 と言って驚いていた。

 高校生と思う人がほとんどのようで、中には、女子大生だと思っていた人もいたくらいだった。

 正直、そんな自分を大人に見てくれる大人がいることで、嬉しくないはずがない。しかも、相手が芸能プロダクションの人間だと思うとなおさらだった。

 帰蝶が有頂天になったのも当たり前というもので、

「私って、そんなに大人っぽいのかしら?」

 と一瞬、芸能界というのが頭をちらついたのも、無理もないのかも知れない。

 しかし、精神的にも大人になっていた帰蝶が、そんな誘惑にひっ掛かるわけはなかった。

「私はもっと現実的に考えるのよ」

 と自分に言い聞かせていることで、すぐに我に返ることができるのだった。

 芸能プロダクションから声を掛けられたということが、逆に彼女に、

「芸能界というのは、胡散臭いところだ」

 ということを余計に意識させた。

 クラスの中では、

「将来アイドルになりたい」

 といって、小学生の頃から、習い事に忙しくしている友達もいた。

 もちろん、そんな子は、子供本人よりも、親の方が乗り気であり、

「おかあさんも昔、芸能界を目指したけど、叶わなかった」

 といって、子供に自分の夢を託そうというのだった。

 そしてそんな母親が、きっと満場一致で考えることとして、

「もっと早く、小学生の低学年から、いや、幼稚園の頃から、芸能界を目指して努力していれば」

 と思っていたに違いない。

 だから、自分の子供には同じ後悔をさせたくないということで、習い事に従事させているのだろう。

 しかし、そんなに早くからいろいろさせると、反発をする子供は多いだろう。

 なぜなら、何も分かっていない子供に習い事を始めさせるというのは、いいのだろうが、それを継続させるというのが難しい。

 そのことを意識していなければ、まず、その後、継続させるのは難しい。

 そういうことには、まず最初は、何も考えず受け入れ、そしていったん、疑問に感じる時期があり、それを超えると、無意識でも意識してでも、継続していけるという、二段階、いや三段階にもなる意識を持てるに違いない。

 その、

「段階を経る」

 ということが、思春期そのものに当て嵌まるということになるのだということを、知るのは、

「男の子の方が強い」

 という気がこの三人の中ではしているが、他の人がどうなのか、分からない。

 何しろ、比較対象がないのであって、いちいちこんなことを他人に聞くのもおかしいと誰もが思っているからだった。

 心の移り変わりは、思春期では当たり前のこと、三人は、それぞれの時期の中で、理解しているつもりだったのだ。

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