第十八章 その4
ああ……、俺は息を漏らした。女の手が拳銃に伸びる。その白い手が瞳に焼きついた。
最悪だ。
信者がいるのならもっと慎重にするべきだった。そこの考えに至ったがすでに遅い。
女が拳銃を拾い、銃口をゆっくりとこちらに向ける。
女を止めようと口を開く。やめろ、お前も感染するかもしれないんだぞ。
「やめ……」
パンッ。
破裂音が耳に届き、俺の声をかき消した。
パンッ、パンッ。
乾いた音が連続する。
俺はその光景を呆然と眺めていた。
パサッと軽く、乾いた音がしてそちらを向くと、イカルギが血を流して倒れていた。
……信じていたのに。嗚咽混じりの声が聞こえた。
あたりを見回すと男の信者はいなくなっていた。いまのどさくさで逃げ出したらしい。
女はいまも引き金を引いているが弾はもうなく、ただ撃鉄が動くカチカチという軽い音だけが聞こえる。
倒れたイカルギの顔、半分だけ炎に照らされた顔は微笑んでいるように見えた。こうなることを予想して、いや望んでペラペラと信者の前で喋っていたのか、と思わせるほどだった。イカルギの引用したコヘレトの言葉が思い出される。
「おい、あんた」
声をかけると女は初めて俺の存在に気がついたように、驚いたような戸惑ったような顔を向けた。
「あんたも早く逃げな。徒花病になりたくないだろう?」
言いながら手の平を見せた。諦滞期で裂傷したためか、すでに手首から手のひらにかけて花びらや茎が外にでていた。女はそれを見ると怯えた顔をして踵を返す。拳銃を放り投げるとそのまま駆け出していった。
逃げていく女の背中を見ながら俺は腹を探った。ナイフの柄が手に触れる。ナイフが奥まで刺さったお陰で血はほとんどでていない。
痛みはない。それだけが不幸中の幸だった。お陰で迷うことなくしっかりと柄を握ることができる。
二人と別れた時のことが思い出される。カヨは別れるとき、俺に抱きついてなかなか離れようとしなかった。俺は喉が詰まったようになにも言えず、ただ意外な気持ちでカヨの頭頂部を眺めた。自分の体に顔をうずめているので、表情は見えない。離せよと言ってもあの子は首を振るだけだった。腰に巻き付けられた手を掴んで引き剥がそうとするが、彼女はがっちりと掴んで離さなかった。本気を出せばもちろんカヨを引き剥がすことなんて簡単だったが、やたらに乱暴なことはしたくなかったし、俺自身うまく力を込められなかった。途方に暮れてタナシさんのほうを見るが、彼は何か含みのあるような笑みを浮かべるだけで、手を貸そうとはしない。
カヨの体温とともに、心の奥から温かいものが込みあげてくる。それが喉元までせりあがってくると、苦い塊になり、喉を詰まらせる。
俺は引き離そうとするのをやめて、カヨの頭を撫でた。俺の手が頭にのせられた時カヨは身をこわばらせたが、すぐに力を抜いた。
「大丈夫だ。落ち着いたらそばに……お前の顔を見に行くよ」
「本当に?」
彼女は顔をあげて俺を真っ直ぐに見てくる。その見開かれた瞳は光っていた。
「ああ、本当だ」
「いつ?」
「……冬が過ぎたころ」
カヨは首をかしげる。俺はなるべく穏やかな表情になるよう、笑顔を作った。
「春の暖かくなった時に」
言ってポケットから小さな紙の袋を取り出した。かつて訪れたホームセンターで盗ってきたものだ。
「なに?」
「花の種さ。落ち着いて住めるところが決まったらこいつを近くに植えてくれ。これを目印にするから」
魂を導く植物なら鬼灯だとは思ったが、渡したのは違うものだ。
「そばに行くから」
たとえその目に留まらなくても。
カヨの目の前に差し出すと彼女は俺から手を離して、その種を受け取った。俺は膝をついて両手を広げる。一瞬カヨは目を見開いたが、すぐに俺の腕の中に飛び込んできた。
小さな体を抱きとめる。
「カヨ、お前は大丈夫だ」
宇宙からやってきた寄生花にも負けない、強い体と魂があるのだから。
俺が背中から手を離すと、カヨも大人しく離れた。
それが少し寂しかったことは言わないでおいた。
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