第十八章 その2
「まさか!」
イカルギはとんでもないと言いたげに声をあげると、にやりと笑った。
「わざわざそんなことをする必要もない。あれは徐々に体が動かなくなる病気だった。だから治療はせずにそのまま放置していただけだ」
「見殺しにしたってことだろ」
「私のことを残忍な人間だと思うか? 父を見殺しにした非情な息子……だがな私はアレを父だと思ったことは一度もない」
低くボソボソとした声と共に、イカルギの顔が苦しそうに歪むのが見えた。
「それで? あんたが教祖の代わりを務めたんだな」
「そうだ。私が父の代わりを務めるのは容易いことだった。父のミイラを神と崇めその声を聞く代理人として私は君臨した」
「それから隕石が落ちて、奇病が流行ると拳銃を売りさばきはじめた」
「ああ」
イカルギは会話に割り込もうとする女を手で制した。女は悔しそうな顔をしながらも、口をつぐんだ。
「どうしてだ? どうしてそんなことをした?」
「教義にあったからだ。世界の終わりに神は人間を試すだろう、と。だからその一翼を担うことにしたんだ。あの隕石は神がもたらした試練なんだよ……といっても君は信じないだろうね」
「もちろんだ。あんな隕石の飛来なんて悲しい偶然の産物にすぎない」
「そうだ。私も同意見だ。あんなもの信じることのほうが阿呆らしい」
「っ! だったらなんでっ!」
信者二人が衝撃を受けたように目を見開く。
俺はナイフを持ったままイカルギに向かって走り出す。イカルギは俺の動きを読んでいたかのように、ナイフが刺さる直前で避ける。
俺はバランスを崩し、近くにあった木に手をついて倒れ込むのを防いだ。
「お前たちはなにもするなっ!」
イカルギが信者二人に怒鳴りつける。視界の隅で動こうとしていた二人がピタリと体を硬直させるのがわかった。
イカルギは俺に向き合うと、聞き分けのない生徒を諭すようにゆっくりと言った。
「私はね試したかったんだ。いや、知りたかったんだ。いもしない神を崇め、隣人を愛せよという教えを一心に信じている人とは如何なるものか。そんなことができるのか……目の前の人間と争い危機が迫ったとき、圧倒的な力を行使せずに理性と愛というものを用いられるか。切羽詰まった状況において起こす行動こそが人間の本性ではないか!」
「だったら、てめえの教団の中だけでやれっ!」
少なくとも他の人を巻き込むいわれはないはずである。タナシさんの後ろ姿を思い出す。妻子の写真を仏壇に置いている彼の寂しげな様子と共に、俺を見ようとしなくなった母の顔を。
どろりとした暗い色のものが、体の中を這う。唐突に目の前が暗くなった。
「はっ、教団の人間にだけ試してなんの意味がある? 外の……私たちの教義に触れていない人間だって、困っている人を助けよという道徳を教え、正義が勝つ物語を好み、この世界は愛に溢れていると説いているじゃないか」
「それがなんなんだよっ!」
カワグチさんのことを思い出す。困っている人がいたら助けなさいという教えを淡々と実行していた人のことを。
「わからないか? その教えがあるんだったらすべての人間に試す。そうでないと意味がない。私は知ることができない。私は人間というものを知りたいだけだ」
カワグチさんは、たとえ思いやりにかける夫だったにしても、自分が家族と決めた人のそばにいて、彼女なりの葬送をしたのだ。
「そうだ……死ぬ前に知らないといけない。『生者はその死んことを知る。然れど死る者はなにも知ず。また応報をうくうることも重きてあらず。その記憶らるる事も遂に忘らるるに至る……』生きている間でなければ、人というもの、死というものを理解できない」
人を試そうとするその姿勢に反吐がでそうになる。
「結局人を見下しているだけじゃないか……。『汝、朝に種を播け。夕にも手を
最期の最期までカヨのことを思いやったカワグチさんは立派だった。見事だった。そして彼女の行いは俺やカヨを助けてくれた。
そうやって残った他人を思いやる行いはきっと連綿と続いていくだろう。
例え名前が忘れられても。
骨を残す代わりに。
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