第十八章 その1

「おい、待てよ」


 俺は走って逃げている複数の人間に声をかけた。一人は女で残る二人は男だった。細いアスファルトの道。両側には鬱蒼とした木々が広がっている。他に人はいない。彼ら、正確には真ん中にいたスーツの男が立ち止まり、慌てて周りの人間も足を止める。おそらくこのスーツの男がトップなんだろう。彼はすぐに俺の方を向く。


 やはり。


 夜であたりは暗かったが、背後にある炎のおかげで男の顔はよく見えた。初めて見るが、知っている。チラシにあったあの顔だ。もう高齢と言っていいはずだが、男の顔は四十代過ぎにしか見えなかった。何年経っても老いを見せないことに、内心驚いた。


「英語のことわざにネズミは沈む船を見捨てる、ていうのがあるんだ。どうやら本当のようだな」


 男の唇がぴくりと動いたような気がする。

「私になにか用か?」

「用があるから声をかけたんだよ。教祖さま」

 教祖と呼んだ男に一歩近づく。とりまきの二人は明らかに困惑していた。


「君は……信者じゃないようだね」

「そうだよ。あんたらから銃を買った人間さ。よくわかったな」


 この教団にはとくに服装の規定はないはずだ。俺に銃を売った人間も、今いる取り巻き二人もごく普通の格好をしていた。男のほうは黒いセーターを、女のほうはシンプルな襟ぐりの広いカットソーを着て首にマフラーを巻いていた。俺もごく普通のベージュのコートを着ている。これだけでは信者かどうか判断できないだろうに。


「信者は……私の教団の信者は私を教祖とは呼ばない」

「あんたは、教祖のイカルギ、タツヤじゃない?」

 その名を口にしたとき、舌が無数の針で刺されたように痛んだ。


「それは父だ。私は教団を取りまとめる首座だ」

「へぇ、あんたは二世か。首座サマ」


 しまったな、俺は舌打ちしたくなった。俺が会いたかったのは今回の騒動、銃をばら撒くように指示した人間であり、母を狂わせた元凶だ。洗脳された教祖の息子ではない。

 イカルギはスーツについたすすを払った。炎に照らされてオレンジ色に見えたが、実際は白いスーツだろう。そのスーツには所々焼け焦げた後がある。彼も俺が起こした火事に巻き込まれたのか。人がいないタイミングを狙ったが、計算外のことはなんでも起こりうる。


「ふっ、父に会いたかったか?」


 イカルギはさっきの動作で落ち着きを取り戻したのか、背筋を真っ直ぐに伸ばすと軽く笑ってこちらを見た。

 とりまきの女がイカルギになにかささやいたが、彼はそれを無視した。おそらくこんなのは放っておいて逃げましょうとでも言ったに違いない。無視された女の方は明らかに不満そうな顔をして、イカルギから一歩下がって離れる。


「そうだな……」


 俺は近くにあった木にもたれかかる。倉庫に爆薬を仕掛け、そこから逃走ルートを割り出して待ち伏せしていた。それだけでも疲労感がひどい。明らかに体力が落ちている。あまり労力をかけずに教祖に会いたかったが、やはり上手くはいかないようだ。腕を組むとその動きに合わせて体内にある茎もわさわさと動くのがわかって、気持ち悪くなった。


「残念だったな。父はあそこだ」


 イカルギはゆっくりと手をあげて俺の背後を、正確には俺の後ろにある空を指した。

 俺は思わず後ろを振り向く。背後の空は火薬に引火した火が、空を赤く染めていた。あの空の下には白虹の会の施設、いや倉庫と呼ばれるものがあった。

 ガサッと動く音がして慌ててそちらを見ると、イカルギがナイフを手に俺に迫っていた。女が小さく悲鳴をあげ、男がイカルギの名前を呼んだ。


 俺は身をかわす。イカルギのナイフは俺がもたれていた木に刺さった。イカルギの動きが一瞬止まる。それを逃さず俺はイカルギの腕を掴むと、思いっきり捻った。イカルギは腕を強く振って戒めから逃れて二、三歩後ろに下がった。


「ちゃちな嘘つきやがってっ!」

 俺は木に刺さっていたナイフを抜いてイカルギに向けた。


「嘘ではない。あそこに父がいるのは本当だ。もっとも、とっくの昔にミイラになっていたが」

「殺したのか? 父親を」


 心臓がドキリと跳ね上がる。

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