第十七章 その3

 目に見えない神様を信じていた母。それを疎ましく思っていたのに、結局自分も魂という目に見えないものを信じ、救いを見出そうとしている。そのことにやるせなさを感じた。

 俺は佇んでいるタナシさんの背中を眺めながら、カヨと出会った時のことを思い出す。あの、鮮血とともに舞う花。そして蕾も。それらには葉も根もある。


 人々の怒号と悲鳴。銃を持っていたのが幸いしたのか、やたらに取り押さえようとする人はいなかった。それよりもシェルターに徒花病患者がいたことに人々はショックを受けてその場から逃げていった。それもそうだろう。厳密な検査を受けて罹患者はシェルターに入れないようにしていたのだから。カヨを抱き抱え、パニックになった人々をかきわけて俺はシェルターから抜け出した。


 シェルターから逃げ出し、追ってくる人たちをまいて、寂れた民家に転がりこむまで互いになにも言わなかった。カヨは青ざめた顔をしていたが、泣いて取り乱すことなくしっかりとしていた。


 しかしそれは俺の浅はかな勘違いで、彼女はただ自失していただけだった。


「だって泣いたら怒鳴られたり、もっとぶたれるから……」


 そのことを褒めるとその子はポツリとそう言った。その言葉で彼女の人生がどんなものだったのか察しがついた。


「でも、まわりの大人はお父さんとお母さんが死んだのに泣かないなんて、冷たい子だって……」


 俺は彼女の頭に手をのせ、そのまま撫でた。カヨは驚いたように目を見開いたが、体を硬くしながらもされるがままになっていた。歪んだ家庭での常識と、世間の常識の間でこの子はこれからも苦しむことになるだろうと思った。


「泣かなくていいさ」

 そうだ、そんな親のために泣く必要はない、と心の中で付け加える。


「おまえは嬉しい時に泣いたらいい」


 カヨはきょときょとと、疑うように視線をさまよわす。

「そんなことって……あるの?」

「ああ」


 生きていればな。その言葉を言おうとしたとき、喉の奥に硬いものを突っ込まれたような苦しさと痛みを覚えた。

 それから俺たちは街から街へと彷徨っていた。以前のようにスマホで道順を検索して目的地まで行けなくなったので、道に迷い時間がかかってしまった。


   ❇︎ ❇︎ ❇︎


「それで、あの子に本当に抗体があると思っているのか?」

 私は押し黙った青年に、さっきから疑問に思っていることを聞いた。


「もちろん思っている。それで実はタナシさんに頼みたいことがあるんだ」

「頼み?」

「あの子をある人のもとに連れて行ってほしい」

「ある人?」

「俺の恩師さ。病理研究していてチョコと煎餅ばっか食べている変人だが、頭はすこぶるいいんだ。あの人のところに連れて行ければきっと抗毒薬も作り出せる。ああ……恩師と言っても、最後は喧嘩別れしていたんだ」


 青年はその光景を思い出したのか、くすっと笑う。そしてポケットから住所の書かれた紙を取り出した。私は反射的に受け取る。


「それは構わないが……でも、あの子は君といたがるんじゃないのか? その……」

 青年は黙って首を横にふる。


「二度も辛い光景を見せることはしたくない」

 失言したことをすぐに悟った。

「すまない」

「いや、いいんだ。それにあいつも俺といるより、タナシさんみたいな優しい人と一緒のほうがいいだろう」


 自分を殺そうとした人間を優しいと称するのは、きっとこの青年だけだろう。私はどう反応していいのかわからず、ぎこちない笑みを浮かべる。


「そうかな、私はそう思わないけど」

 さっき少女は身を挺して青年を庇ったではないか。

「子供なんだからすぐに俺のことは忘れるさ」

 忘れてくれないと困る、と青年が小さく言ったのを聞き逃さなかった。


「タナシさんだったらあの子に優しくしてあげられるだろう」

「それで君は……君は、どうするんだい?」

 最期にという言葉を私は言えなかった。


「俺は、こいつをばら撒いている白虹の会のところに行く」

「行ってどうするんだ?」

「本当は一人一人ぶちのめしたいところだけど、生憎俺は喧嘩が弱いんだ。倉庫に残っている銃火器を破壊する。このままなんにもしないよりはいいだろう」

「危険だよ……」

「いまさら危険も安全もないさ」


 思いとどまらせようと口を開いたが、その前に青年が言った。


「あいつにもこのことを話さないとな」


 青年は、この話はこれで終わりと言いたげに手をふると、少女がいる家へと入っていった。

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