第十七章 その2
この徒花病の感染力……いや繁殖力と言った方がいい。それは凄まじい。開花期の周辺にいた人はほぼ罹患を免れないだろう。幸いなことにその強力な繁殖力は、目に見えない小さな胞子が体外に排出されてから、ものの数分で失われてしまう。だから、その数分間をいかにして避けるかが生き残るポイントになってくる。
地球の外からやってきた種はここの空気に合わないらしい。
あの、あの……数分さえ逃れられれば……。
俺は不毛な考えを打ち消したくて、スコップを勢いよく土に突き刺した。
数分さえ避けられれば胞子は死滅してしまう。この病気の難しいところはそれもあった。サンプルになるものを採取しようとしても、そこには死滅した種しか残っていない。だから研究も遅々として進まなかった。
「君……」
「もう穴も掘ったし、まずは物置の動物たちからだ」
俺はわざと明るい声で言った。
軽く言ったのはいいが、その作業は精神を疲弊させた。死骸のどれもが腐っていて異様な腐臭を放っている。マスクを二重にして、ビニール手袋の上にさらに軍手と、なるべく死骸の感触を感じないように工夫してみたが、だめだった。鼻は匂いを捉え、涙はにじんで、死骸のどろりとした感覚は伝わってくるで、逃げ出したくなることが何度もあった。
❇︎ ❇︎ ❇︎
「次はお嬢さんと奥さんを……」
動物の死骸を埋め終わると、青年は青ざめた顔でそう言った。動物の死骸を何回も運んでさすがに疲労の色が滲んでいる。それでも彼は休むことをせずにそう言った。
すでにその分の穴は掘ってある。二人は庭の一番日当たりのいいところにした。
「そ……う、だな……」
言ったのはいいが、うまく体が動かない。やっと声を絞り出すので精一杯だった。
「俺がするからタナシさんは休んでくれ」
死体はない。青年が言ったのは寄生花を持ってくることだ。青年はさっさと家の中に入っていく。そしてすぐに両手に大量のドライフラワーを抱えて戻ってきた。何も言わず淡々と作業をする彼だったが、それが彼なりの気遣いだとわかった。その証拠に花をいたわるようにして穴に入れていく。これは人ではないと言ったのは青年自身なのに。
青年は黙々と家と庭を往復する。ドライフラワーの他にも押し花も持ってきた。最後は唯一艶やかに花を咲かせていた生花だ。それもドライフラワーや押し花の山の上にそっとのせる。
「なにか……お嬢さんと奥さんが大切にしていたものも一緒に埋めるか?」
私は首を振る。
これらは家族ではない。
だったら、一緒に埋葬するなんて無意味だ。
そう、これは妻と娘ではない。それは天啓のように頭の中で唐突にひらめいた。
そうか、二人ともなにも残っていないんだな……。
「全部喰われて……骨も残っていないんだな」
声が震える。青年はそれに気がついているだろうが、反応はしない。ただ淡々と土をかぶせていく。
二人が生きていた証しはどこにあるのだろう。
「魂も喰われた……」
青年は手をピタリと止めて私を振り返った。
「土を、一緒に……」
青年に促されて、私はかがみこんで、掘り返した土をかぶせていく。しっとりとした土はこれからも他の生命を育んでいくだろう。
すべての土をかぶせ終わるとその部分だけふっくらと盛り上がっている。青年は立ち上がったが、私は土の上に膝をついたまま立ち上がれない。
『刀剣もこれを切らず、火もこれを焼かず、水またこれを
青年はのびやかにそして詩を吟じるように言った。
「な、に……?」
「ヒンドゥー教の聖典、バガヴァッド・ギーターさ。魂の永遠性、不滅を説いているんだ。『こはいずれの時も生まれず、また死なず。また、こは存したるに。さらに存せざらんことなし。不生にして、常住、万古不易の、この太古よりのものは、身殺さるるも、殺されず』……魂は、殺されないさ……きっと」
私は黙って青年の言葉を聞く。
そして立ち上がると誓った。
言葉を心に刻み込もう。泣くかわりに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます