第十七章 その1
タナシさんは二、三秒沈黙した。俺の言っていることが理解できなかったのだろう。
「あれは俺が銃を買って、二、三週間たったときだ。やっとあいつから聞いていた特徴と、該当する子がいるシェルターに行くことができたんだ。シェルターがどんな風になっているか知っているか?」
いいや、とタナシさんは答える。
「避難が大々的に呼びかけられた時には、私はその意義を失っていたから」
「各家庭をパーテーションやカーテンで区切って中を見えなくしているだけの作りさ。床も板張りで直接座るとすぐに足が痛くなる、そんな場所だよ。だから日が経つごとにみんなストレスをどんどん溜めていくんだ」
「ストレス発散になるものを無意識に求めるようになっていた?」
俺はそうだとうなずいた。
「あの子を見つけて話している時、男や女が数人やってきたんだ。そいつらはなにを勘違いしたのかその子が徒花病だと言い出したんだ」
俺はその時のことを正確に思い出そうとして瞼を閉じる。
「いや……違うな。その子のせいで徒花病患者がでたんだ、そんな訳のわからないことを言っていた。確かにウイルス感染の場合、抗体を持っている人がウイルスを保有しながら生活するなんてことはあるが」
徒花病は正確にはウィルスや細菌の感染症とは違う。
「彼らはそいつは腸チフスのメアリーだ、その子を殺さないといけない、なんてほざきだした。俺は子供には聞かせてらんないとすぐにシェルターから出ようとしたんだけど、いつのまにか騒ぎを聞きつけた人たちに取り囲まれていて」
先頭に立っていたいかつい顔の男を思い出す。
「このままじゃその子はスケープゴートとして吊し上げられるだけだと、焦って強引に人をかき分けて外に行こうとしたんだ。けど、俺たちが逃げようとする矢先、男の一人が、その子をいきなりつかんで俺から引き離したんだ。それで……それで……俺は」
俺はそこで言葉を切って、大きく息を吸ったあと続ける。
「俺はそいつを止めようと銃を取り出した。殺すつもりじゃなかった。ただ、脅したらその子を離してもらえるとそう思っていた……まあ、こんなことを言っても言い訳にもならないけど」
タナシさんは黙って首を横に振る。
「俺はその男に銃を向けながら手を離せって言ったが、そいつは収まることを知らなかった。銃を見るとそいつは顔を真っ赤にして、さらにその子を強く引っ張ったんだ。痛かったんだろう、あの子は大きな悲鳴をあげて……それで俺は……その時いろんなことが同時に起こったんだ」
カヨの悲鳴を聞いた時、体がカッと熱くなった。
「引っ張っていこうとする男と、悲鳴をあげる子供と、俺に殴りかかってこようとする奴と……。俺は気がつくと、男に向かって発砲していた。その場はすぐにパニックになったよ。弾は鎖骨の下あたりに当たった……と思う」
あの男は体格もよかった。きっと健康で丈夫な体だったんだろう。だが、徒花病はそんなものに関係なく感染してしまう。
「血が吹き出して……血だけじゃなくて、花も。体が花になって崩れ落ちていくんだ。その場にいた人たちは、叫びながら逃げていったさ。逃げても、逃げ場なんかないのに……。俺はそのスキにカヨの手を取ってシェルターから逃げたんだ」
「カヨというのが、さっき君をかばった子なんだね」
俺はうなずいた。
「俺は生まれてくる花を見て納得がいったよ。どうして彼らがその子を感染源と槍玉にあげたのか。彼らもシェルターに入ってから罹患したんだろう。彼らにとっても自分たちがなぜ感染したのかわからなくて、不審に思っていたんだ。そんな時やってきた怪しい奴が、ずっと怪しいと思っていたカヨを連れていこうとするんだ。そいつが原因だと思ってもしょうがないだろうな」
「それは……随分短絡的な考え方だね」
確かにそうだろう。一方でそれが人間としての仕方なさだとも思った。ストレスを溜め、原因がわからずに罹患したら。いやそうじゃなくても人間は直感的なものが正しいと感じてしまうのだ。数字を使い複雑に考え真実に近づくよりも、目の前の単純な事象から導き出された推測を、あっさりと採用してしまう。人間の脳というのはサボるのだ。
「ああ、罹患の可能性なんていくらでもある。感染しているネズミが入り込んで、開花期に気がつかず、そばにいた可能性だってあるんだ。どんなに厳重に外部のものを入れないようにしても、ネズミなんてほんの隙間から入りこんでしまうものだし。とくに人がいて、飲食していたらな」
「その時に?」
「ああ、その時に感染した。いや、俺だけじゃなく、あそこのシェルターにいたかなりの人は罹患したはずだ。シェルターの中の全員じゃないことを祈っているよ」
祈ると言ったが実際にしたことは土を掘りおこすことだ。
祈りや願う段階はとうに過ぎ去っていた。
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