第十六章 その2

 タナシさんは納得していない表情だったが、俺は自信を持って彼の視線を受け止めた。いまも増えている死亡者数を考えれば疑うのも無理はない。


 だが俺の考えは違った。そもそも哺乳類全般に感染する病だ。ペットの犬猫はともかく、管理できないネズミや鳥などが感染していたとしたら、知らず知らず開花期のそばにいることだってあるのだ。体が花を咲かせる瞬間に目に見えない種は拡散される。

 その状況に鑑みれば、徒花病の拡大状況はマシなのだ。


「俺が着く前にその病院は立ち行かなくなって閉鎖されてしまっていて、俺は各地のシェルターを方々探し回るハメになった。ついでにカヨと同じような子がいないかどうか聞き回って」


 うっすらと瞳を滲ませながら、それじゃ、と俺に絶望して淡白な挨拶をして去っていく女。俺は追いかけもせず、その後ろ姿を、腰まで届く長い髪がサラサラ揺れて遠ざかっていくのを、姿が見えなくなるまで見送った。


「ウイルスの研究をしているなんてテキトーに言えば、みんなペラペラと自分たちの置かれた状況を話してくれたさ」

 病理研究とウイルス研究は厳密には違う。だが、一般の人にはウイルス研究と言ったほうがすぐにわかってくれると思った。


「それでも開花期のそばにいた人が陰性だっていうのはいなかったけど。そうやっていろんなところを回っている時に、売人のほうから声をかけてきたんだ。護身用にどうかって……それで俺は愚かにも一つ買ったってわけだ」


 俺は話しかけてきた小柄な男を思い出す。分厚いメガネをかけてさらに前髪が長く、顔がわかりづらかった。


「彼らはどうしてそんな銃なんて売っていたんだ? 世界がこんなんじゃ売ってお金をもうけても、意味がないように思うけど」

「世情が荒れれば、犯罪率も上がるさ。銃が売れるいい機会……だけど俺は彼らの目的が金儲けとは別なところにあると思っている」


 俺は何者かも知らずその男に連れられて行った場所を見て、絶句した。


「別……?」


 部屋の壁に、教祖の写真がでかでかと飾ってあるのを見た時、体の中に這うどろりとしたものを感じた。それは幼い時に感じたのと同じものだった。あのチラシを眺めているときに……。そう、そこは母が入信した宗教団体だった。


 すぐに回れ右をして帰ろうかと思った。でもそうしなかったのは、やつらの売ってくれる拳銃の値段がすこぶる安くて魅力的だったからだ。ほとんど人のいなくなった街だが、危険がまったくないわけではなかった。とくにシェルターを訪ねた時の方が身の危険を感じていた。


「まさか、徒花病を拡大させようとしていたのか?」

 タナシさんの声が震える。俺は黙って首を振った。


「いや、近いかもしれないが、そこまでじゃない」

「ならどうして?」

「俺は彼らが試したかったんじゃないか、と思っている」

「試す?」


 タナシさんは首をかしげる。

「そう試す……悲惨な、あるいは困難な状況に陥った時、人は本性を現す。そうだろう?」


 まさかそんな、と言ってタナシさんは微かに笑う。信じたくない、と言外に言っていた。

「彼らのせいだと、はっきりしているわけじゃないんだろう?」

「そうだな……」


 俺は曖昧に答えた。そもそもなぜ彼らは銃をばらまくように売っていたのか。教団の維持費にでもするつもりならもっと吹っかけてくるだろう。なにより売買するときにも彼らの教義なんて一切口にしなかった。俺はてっきり、これは神のお恵みうんぬん、という口上を聞かないといけないのかと身構えていたのにそれすらなかった。


「ただ、彼らの教義のことを考えるとそっちのほうが自然だ」


 見るとタナシさんは黙って拳を握りしめている。

 母が昔、話してくれた教義の中には、神が世界を滅ぼす前に一つの試練を与えるだろう、という話があった。彼らはそれを実行するために徒花病を広めたのか、と直感的に思った。


「でも、手に入れられてよかったじゃないか。私のことを牽制できたし」

 タナシさんは体の力を抜くと息を吐いてそう言った。タナシさんの言い方には皮肉っぽさはなく、むしろ感心したようだった。


「俺はな……」


 俺は言いかけて、すぐに言葉がでなくなった。

 耳をつんざく轟音。飛び散る鮮血と花。

 俺は腰のベルトから拳銃を引き抜くと、両手で重さを確かめた。リボルバー式の拳銃でダブルアクション。リボルバー式にしたのはなんのことはない。ただ、引き金を引くまでの動作が単純で、銃に触ったことがない人間でも扱いやすいとふんだからだ。


「……俺はこいつで人を殺した」

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