第十六章 その1

 俺が白虹の会と名前を出した時、タナシさんの顔が少し引き攣った。その名前はニュースでも度々でていたから、名前ぐらいは知っていたのだろう。

 俺は彼らの顔を思い浮かべると、息苦しくなってきた。売り捌いていたのは小さな拳銃だ。大きな口径の高い殺傷能力のものはなかった。ちまちまとした小型の武器を護身用として本当にカスみたいな値段で売っていた。


「よくそんな奴らと接触できたね」


 タナシさんは感心したように言った。少なくともどこで手に入れていいかなんて、普通の人にはわからないだろう。俺は苦笑いを浮かべる。これを手に入れられたのはまったくの偶然だった。


「俺はさ、もともと病理学研究をしていたんだ。大学院の研究室で。隕石が落ちてからはこの徒花病がどうやって花を咲かせるのか、その過程を研究していたんだ。そんな時にあいつが急に俺の前に現れて……」

「あいつ?」

「元カノだよ。病院に勤めていたんだ。あ、よりを戻そうっていう話じゃなかったぜ」


 あの時は研究施設と宿泊施設との行き来しか許されなくなっていた。徒花病が流行ってからは、医療従事者であれ、研究者であれ、インフラを整備している人や農業のシステム管理をしている人まで、動物が入りこめない厳重な警備の建物で生活しなければいけなくなった。もちろん外出はできるが、それでも正当な理由がないとできない。それか辞職するしかない。

 危うい街を通り抜けて俺を訪ねてきてくれる人なんていないのに、来客があると告げられた時、驚き、少しでも外に出られることが嬉しかった。


「それは……残念だったね。君が振られたの?」

 思いもしなかったことを聞かれ、一瞬言葉につまる。

「……まあ自然消滅ってやつで……それはともかく」

 俺は大きく息を吸い込んだ。口の中が乾き、舌や唇の動きが重くなる。


「わざわざ俺に会いに来たのは、病院の隔離施設に入った女の子のことを教えたかったからなんだ。その子は両親が目の前で開花期を迎えたのに、その子自身はいくらたっても発症する予兆が見られなくて」


 俺は来客者の名前を告げられた時、うわついたし、期待もした。そんな自分を殴ってやりたい。


「普通だと罹患したら一週間から三週間で皮膚に変化が見られて開花期を迎えるはずなのに。もしかしたら徒花病の抗体ができているのかもしれないって病院内でもそんな話がでたらしい。だけど人手不足で、検査したくてもできない環境だったから」


 担当医として出会った状態のわからない子供のことを放っておけず、長い道のりを歩いてやってきた。まったくあいつらしい。

「しかもその頃にはプレパラートを研究室に送るなんてことはできなくなっていたからな。わざわざ俺のところに来て、その子を検査してくれって頼んできたんだ」


 しかし、俺は最初あいつの願いを拒絶した。拒絶の言葉を聞いた時、彼女は青白い顔を引き攣らせて傷ついた表情をした。彼女は責めるわけでもなく、罵るわけでもなかった。見開かれた双眸、黒い瞳は射抜くように俺を見つめ、問いかけていた。本当にそれでいいのかと。

「最初、俺は渋ったんだけど。あいつに懇願されて仕方なく、直接出向いてその子を研究室に連れていくことにしたんだ」


 何かを、誰かを助けるなんてしたくはなかった。できるとも思っていなかった。ただ研究室の奥で鬱々と毎日研究できればそれでよかった。それ以上でもそれ以下でもなく、ただ腐っていくだけの日々。

 嫌だ、嫌だと拒絶して、それでも結局出向いてしまったのは、あいつの人生の切れ端に、触れておきたかったからかもしれない。


 あいつの前では行かないと言い、いざ赴くと決めたら教授に止められて、それを聞き入れずに女の子を探すために外にでて、この様だ。


「俺はあいつのその話を聞いて、もしかしたら抗体を獲得した人は案外いるのかもしれないって思ったよ」

「そんなうまい話なんてあるのかな?」

「生物というのはたとえ毒を取り入れてもそれの抗体を作り出して、新たな脅威に抵抗できるようになっている。抗体をもった個体がいればそこから血清を生成して、さらに抗毒薬もつくることが可能なんだ。それには綿密な調査が必要になるが」


 そういったことができる設備はかろうじて残っていた。この機会を逃せばその施設も、従事している人もいなくなってしまう。


 きっとこれが最後のチャンスだ。

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