第十五章 その1
俺はタナシの力のない視線を受け止める。この期に及んで迷っている自分がいる。言わずにいたほうがいいのでは、とささやく声がする。このままなにも知らず、あの花を家族の変わった姿だと思って生きる、それでもいいのでは、と。たとえ他の人からは逃避だと、弱い人間だと思われるようなことだとしても、彼のことを断じたり、非難したりする気にはなれなかった。
しかし、時は十分にたった。もしかしてという曖昧なものにすがって生きていける時は過ぎ去ったのだ。
もしかしてあの花は家族が姿を変えただけのものなのかもしれない、そんな考えを捨てる力が彼の中にあるだろうか。そしてカヨも。
ごめんな、カヨ。お前の信じる美しい物語を守ってやれなくて。
隣に立つカヨに胸の中でそっとあやまる。
「あの花は単なる寄生生物、それだけだ」
いや、捨てる力がなかったのは自分だ。
「そんなわけ……」
「残される遺体がまったくないから勘違いするのも仕方のないことだけど、あれは人間の変化した姿ではないんだ。人の体を食い尽くしたあとの生物なんだ」
髪の毛も皮膚も残さず。それこそ骨までしゃぶりつくされ跡形もなく消える。どういうわけか、体から咲き誇る時、その瞬間まで見えていた髪の毛や皮膚、目なども一瞬で消えてしまう。それが徒花病だった。
「し、かし……」
タナシは膝から崩れ落ちる。驚いたのか、カヨがパッと俺の腰に絡みついてきた。カヨの肩に手を回し、落ち着かせるため、肩を軽く叩いてそのまま乗せた。
「体内に入った寄生虫をその人だというか? 違うだろう。それと同じことだ。アレは結局どこまでいっても人とは違う生物なんだ。ましてや奥さんやお嬢さんなんかじゃないんだ」
この花は家族の変化した姿なのかもしれない。カワグチのおばあちゃんは、いい匂いのする花に生まれ変わったのかもしれない。
……もしかしたら父は足を滑らせただけの事故で、自殺などではなかったのかもしれない。
仮定にすがって生きるのはもうやめよう、と心の中で語りかける。
理解への拒絶か、それともいままでの自分の行動を否定したいのか。彼は首を振った。
「じゃあ、私は妻と娘を殺した生き物の面倒を、せっせとみていたのか……?」
そうだよ、とはとても言えなかった。そして慰める言葉もなかった。
俺は腰にしがみついていたカヨを引き剥がすと、しゃがんでタナシの顔をのぞきこんだ。彼は光を失った目をしていた。
「お嬢さんと奥さんを埋葬しよう」
タナシの肩がぴくりと動いた。
「そして動物たちの死体も」
「知っていたのか?」
「家に上がる前に、裏庭へ行ったんだ」
裏庭の物置の引き戸には黒ずんで乾いた血が所々ついていた。その周りにある雑草にも乾いた血がついていた。
おそらくタナシが日々掃除していたのは、一階と表の庭だけだろう。あとは視界に入れないようにしていたのか、裏庭も二階の部屋も乱雑だった。
「俺も一緒に手伝うよ。……みんなをゆっくりと寝かせてあげよう」
俺は手を差し出す。タナシは呆然と眺めていたが、ようやく俺の意図を理解したのか、手をゆっくりとにぎってきた。
俺はタナシを引っ張り立ち上がらせる。
カヨには二階に残るようきつく、きつく、言い聞かせて庭にでると物置に向かう。どれくらいの穴を掘ればいいのか確認したくて、物置を開けると絶句した。俺はてっきり、あるのは骨だけになったものかと思っていた。だがタナシはこいつらを食べることもせずに、血を抜いただけで、あとは物置に放り込んでいたのだ。中は腐乱した死骸がつまれていた。俺はすぐに物置のドアを閉めた。
これらを移動させて庭に埋めるのはとんでもなく、きつい作業になるだろう。
だが、やらなければ。失われつつあるものを取り戻したいのなら。
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