第十三章 その2
「あんたは、奥さんと子供を亡くしていたんだな」
廊下に立つタナシに向かって言った。
俺は階段を駆け上がると、暗く閉ざされたような廊下にでた。廊下の一番奥の部分だけ不思議と明るく、光輝いているように見えた。そこに救いを求めるように、一気に駆けよる。なぜそこだけ明るかったのかすぐにわかった。廊下の窓は全て雨戸が閉まっていて、部屋のドアも閉じられていたが、その部屋だけドアが破損して開いていたのだ。部屋の窓から太陽の光が差しこみ、明るかったのだ。ドアノブが壊され無理やり開けられたドアは、蝶番も一部外れたのか、部屋の内側へと傾いていた。他にも床には木片、金槌、金属の破片が散乱している。
小さなデスクとオフィスチェアが置かれ、部屋の隅には天井まで届く細身の本棚があるだけのシンプルな部屋だった。単調さを嫌がるように、ドアノブが転がっている。
それだけでも異様なのに、窓枠にはガムテープがびっちりと貼り付けられていて、その意図は空気が外にもれないようにするためだとすぐにわかった。傾いたドアに視線を移すと、ドアの内側にもガムテープが貼られている。
そして、フローリングの床には文字が書かれていた。黒いペンで書かれた大人の文字とまだ小さな子供の拙い文字。読みたくない、と思いつつ目は惹きつけられて、頭の中に自動的に放り込まれる言葉たち。
近づいてくる足音を聞いて俺は顔を上げて、やってきたタナシをまっすぐに見た。さっきまでのタナシに対する恐怖や忌避する気持ちはなくなっていた。
「徒花病で……」
「妻と娘は死んでなんかいない……」
「いいや、あんたは現実から目をそらしているだけだ」
「おまえに何がわかる……」
「あんたの気持ちはわからないよ……だが、俺はお嬢さんや奥さんの気持ちならわかる気がする」
なにをっとタナシは目を剥いた。俺は彼の様子には構わず、腕まくりをして彼に見せた。
ぼこぼこと歪になった肌を。
❇︎ ❇︎ ❇︎
この青年はもうすぐ死ぬ。それもあと数日のうちに。数えきれないほどの虫に刺されたような、水膨れみたいな膨らみ。歪になった皮膚を見せられて私はじわじわとそのことを理解した。
理解? ついさっき目の前の人間を死に至らせようとしていたのに、なにを……。私は自分の整合性のとれていない思考に辟易した。
なんの花かはわからない。これからさらにはっきりとわかるようになるだろう。体内に咲き誇った花が外に排出される時……他の生き物の中で芽吹くために胞子を蒔き散らせながら。
「それでも、体の中に血はあるだろう?」
私は言い終わるのと同時に走り出して青年との間を詰めた。廊下に立っていた青年は引き攣った顔をして、後ろに下がりながら部屋に入る。だが、あの部屋は狭い。私は部屋に一歩踏み込むともう二、三歩で青年に掴みかかれる距離だった。
部屋に逃げ込んだ青年のすぐ後ろにはデスクがあった。私は大股で青年に近づくと殴りかかった。逃げることはできない。青年は大きく体をそらしたため私の拳は青年の頬をかすった。青年はバランスを崩して倒れる。反撃されるかと思ったが、彼は後頭部をデスクにぶつけて、そのまま気を失った。
私はもう二度と彼が起き上がれないようにするため、ドアのところに戻り、床に転がっていたカナヅチを拾い強く握った。
どこかで小さな子供の声が聞こえる。
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