第十一章 その3
男がまともそうであれば接触しようと思っていたのだが、どうも男の様子がおかしい。
男は玄関の鍵を開けて家の中へと入っていった。
「声をかけないの?」
気がつくとカヨが俺の肩からひょっこりと向かいの家を見ていた。
「おい、顔をだすな」
小声で注意する。カヨはむっ、と唇を尖らせて俺と同じように小さな声で言った。
「会わないの?」
「ああ……、会いにいくさ」
俺はおざなりに返答する。言いながらもまだ迷っていた。時間はないのに。せっかく出会えた人だ。どんな人物か直接話してみないとわからないだろう。
しっかりしろ、と自分を叱咤する声が聞こえてきた。お前に逡巡している時間はないんだぞ。
わかっているよ。わかっているが……。
だが、問題がありそうな男を前にして躊躇う気持ちがでてくる。
「よし、行ってくる」
男が家に入ってからしばらくして、俺はようやく決心がついた。
俺の言葉にカヨはがばりと体を起こす。
「あたしもっ」
「おまえはダメだ」
不満そうなカヨの体を掴んで、引き剥がした。
「なんで?」
「危険だからだ」
こいつは前にも自分が殺されかけたことを忘れたのか? 俺は呆れてカヨを見た。彼女は口をへの字にして不満を訴えていたが、俺が睨みつけるとそれ以上文句を言ってこなかった。
玄関に行くまえに家の庭をのぞきこむ。幸いなことにどの部屋もカーテンや障子が引かれていたので、中から俺の姿を認めることはできないだろう。
パッと見は普通の庭だ……。だが……。俺は裏庭に回ると眉をよせた。
会うことに再びためらいが生まれてくる。いやそれでも、もうここまできたら会ってみるしかない。こうやって人に巡り会えたのだ。この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。自分に残された時間を考えると、行動するしかないのだ。
❇︎ ❇︎ ❇︎
玄関を開けると、ただいまと言って中に入った。家の中は静かだった。以前のような騒がしさはない。
娘が動き回っていた頃はうるさい、大人しくしていてくれと思ったこともあるのに、実際にそうなってみると虚しいだけだ。
家に上がるとナタを探し始めた。和室の押し入れやクローゼットなどを開けて探し回るが、それらしいものは見当たらない。
私は首をかしげた。キャンプで焚き火の木材を切る時にナタを使っていたのだ。絶対にあるはずだ。だが、どこにしまったのか忘れてしまった。
あと探していないのは二階の部屋だ。私は二階に行くのをためらった。階段を登ることを考えると、手の平が、足の裏が、ひんやりと冷たくなってくる。
どうする? ナタをあきらめるか、それとも二階に上がるか。
玄関の近くにある階段に一歩一歩近づき、うっすらとほこりのかぶった階段に片足を乗せた。
ピンッポーン。
陽気な音が響いた。玄関のチャイムだった。階段に乗せた足が思わず上がる。
もうずっと聞いていなかった音に全身がわななく。たった一回のチャイムなのに、口の中は乾き、唇は震えた。
ピンッポーン。
最初のピンの部分が跳ね上がったような明るい音。薄暗い家の中に軽快な音は異質だった。それがもう一度響いてきて、私は中途半端にあげていた足を床に下ろして、玄関に向かった。
チャイムを押したのが誰だかわからない。だが一つの確信はあった。
獲物だ。
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