第十一章 その2
俺の中に確信めいた気持ちが生まれた。閉ざされた玄関の向こうに、カワグチさんの次にようやく会えるかもしれない人間がいる。体中に緊張が走った。
「誰かに会うの?」
「う、ん……。人がいたらな」
事情を話し、この子を託すのにふさわしい相手かどうか見極めなければいけない。
どうやって話す? 中途半端な言い方ではあらぬ誤解を生み、襲ってきた男たちのようになってしまう。俺は思考を巡らせながら、この子を託すなら優しい家族であってほしいと思った。
願いとは逆に攻撃的な人物だったならどうしたらいいか。最悪争いごとに発展することがあれば……そっと後ろに手をまわす。腰にある血の通わない武器に触れた。服に隠れた拳銃の冷たさが手のひらに蘇ってくる。
いや、ダメだ。たとえ争いになったとしても、こんなものに頼ろうとするなんて。戦わずに逃げればいい話だ。
手に温かい感覚があり、俺は思考を中断した。振り向くとカヨが後ろに回した方の手に触れていた。俺の視線に気がついてカヨは弾かれたように手を引っ込める。
こいつの手を握ってやれば喜ぶんだろうな、といつも思う。
だが、カヨが罰の悪そうな顔をしていても、寂しそうな顔をしていても、この子の手をとって握ってやることはしない。
お前のためなんだ、という言い訳を心の中で呟くだけにとどめた。
❇︎ ❇︎ ❇︎
私はじっとりとまとわりつくような疲労を抱えて山を降りる。罠は仕掛けた。枯れた花もみずみずしい花も見かけることはあったが、動物の気配はなかった。きっとあれだけの罠では足りないだろう。
次はナタを持ってこよう。ナタがあれば枝をさっさと切り分けられる。そうして開いたスペースに罠を仕掛けて数を増やしていけば、獲物のかかる確率もあがるだろう。
それよりも今日をどうするか。顔を上げると分厚い雲に覆われた空が目に飛びこんでくる。空に向かって大きな息を吐く。
「血が……ほしい……」
うめくように言うと再び歩き始めた。
どこかに大きな動物が生き残っていたりしないものだろうか。
帰る道すがら微かな期待を抱いてスーパーを渡り歩き、鼠取りを確認したがどこもカラッポだった。
どうすればいいんだ、どうすれば……。誰か……助けてくれ。誰か、妻と娘を……。
一日ぐらいならなくても大丈夫だろうか。いや、危険なことはできない。なら自分の血を……。口の中が粘つくのを感じながら,自分の体のどこを切るべきか考える。
うっかり深く切ったとき、治療してくれる医療機関などもうないのだ。かといって少しの血では意味がない。
ふらふらになりながら、ようやく自分の家が見えてきた。家の塀にすがりつくように手を添えて体重を壁へとあずける。歩くこともだるい。壁にすがりながら門扉までたどり着く。膝から崩れ落ちそうな体を叱咤し、大きく息を吐くと家に入った。
❇︎ ❇︎ ❇︎
その人物がやってくるのを、相手よりも先に見つけられたのは単なる幸運だった。
気まずそうなカヨから視線をずらして、もう一度例の家を見ようと視界を転じたとき、道の角からゆらりと揺れる影があった。
「隠れるぞ」
カヨの返事を待たずに彼女を抱き抱えて、向かいの庭へと飛びこむ。門柱にピッタリと体をつけ、向こうからやってくる人物から見えないようにした。その庭は門柱以外が生け垣になっているので、植えられた常緑樹の葉の隙間から道路を観察できた。
相手がやってくるのを待つ。じりじりとした時間が過ぎていった。暑くないのに手にじっとりと汗をかく。カヨも状況を読んだのか、俺の腕の中で静かにしている。ようやく相手の影が視界に現れた。生い茂った葉が邪魔で相手のことがよく見えない。門柱に背中をピッタリとつけたまま、体を逆にかたむけてアルミ製の門扉の隙間から道路をのぞきこむ。ちょうど、向かい側の家の玄関が見える。
そこにさっきの影の主であろう男がやってくる。男は迷うことなく門扉から庭に入っていく。
男の姿を見ると警戒心が高まってくる。
男はブルーのシャツにズボンといったシンプルな服装で、その袖口や、ズボンには泥がついていた。手にしている紙袋も汚れて、動きもフラフラとしていまにも倒れそうだ。その証拠に男は塀に手をついて体をかたむけ、引きずるように足を動かしている。病気か、怪我か、それとも別の何か。
嫌な予感がする……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます